南天堂
薄茶色の髪をした少女を再び見たのは街のオープンカフェだった。外側にはねた短い髪の少女はクリーム色の他民族の衣服を着ていた。とても小柄な少女は十四歳くらいにも見えるが、言動からすると多分十代後半なのだろう。光沢のある花柄の民族衣装がどこの物なのかフィルは見当もつかない。
少女の友人が何か用があって席を離れるのが目の端に入った。
フィルが同席していた騎士仲間は注文をしに、さっき店内に入って行った。ウェイターが回って来ないのだから仕方ない。
フィルは椅子を後ろにずらし、「あの」と背後の少女に声をかけた。
「はい」
はねた髪先を揺らし振り返る少女。
「先日はどうも。ありがとうございました」
フィルの言葉を受け、少女はまじまじとフィルの顔を眺める。
「傷病者テントで、右腕に包帯を巻いて頂いた者です」
「ああ。右腕の裂傷の」
少女の顔にやっと理解の光が差す。
「その後、お加減どうですか」
「お陰様で。順調に回復しています」
「それは良かったです。大事にしてくださいね」
少女の笑顔の後ろで彼女の友人が席に戻って来るのが見える。引くべきかフィルが一瞬躊躇する。
「軟膏足りてます?」
少女の問いかけにフィルはまだ話していて良いのだと受け取る。
「ああ。あの薬まだあるんですか」
不気味な緑色をした塗り薬は効果的なようだが妙な臭いがしていた。
「お店まで来て頂ければいくらでも。南天堂です。リクボマ通りの」
「ナンテンドーですか?あの辺は無案内で」
「通りで聞いて頂ければすぐに分かると思います。目立つ建物なんで」
「分かりました。ありがとうございます。今度寄らせて貰います」
少女との会話を切り上げ前を向くと、騎士仲間の友人がニヤニヤしながらフィルを眺めている。
「珍しいねえ。お前がナンパとか」
「違うわ。そおゆうんじゃない」
フィルはむきになって否定する。耳が赤くなってゆくのが分かる。
「怪我の手当てをして貰ったお礼を…」
フィルは早口に説明するが、友人のニヤニヤ笑いは大きくなるばかりだ。
「お礼を言ってたら、軟膏を取りに店に来いって言われて」
フィルはますます焦ってくる。
「彼女の店に誘われたんだ」
友人は訳知り顔でうんうんと頷きながら言う。友人の言葉にフィルは耳を染めたまま下を向いてしまう。もの凄く誤解されているらしいが、何を言った所で泥沼にハマるだけのようだ。
「もういい。好きに解釈してくれ」
少しの間があってからフィルはテーブルに向かって呟く。
フィルと友人は後ろの女性陣より早く席を立つ。フィルはカフェを出る際、少女の座席分も支払いを済ませる。友人には知られないよう細心の注意を払った。
街で必要な買い物を済ませる為、二人はその後市場に向かった。
フィルがリクボマ通りに足を踏み入れたのはそれから二十日後だった。ナンテンドーの場所を聞くと雑貨屋の細君は数軒先の朱塗りの大きな木枠の扉の家を指した。派手な赤の扉は左右とも開け放たれている。店内からは人の声がして、フィルは恐る恐る足を踏み出す。店内は嗅いだ事のない異国の香に満ちていた。壁一面が取っ手の付いた引き出しになっていて、天井まで引き出しが続いている。引き出し一個一個に曲がりくねった難解な文字で何か書かれている。引き出しの中身の説明書きなのだろう。奥まで続く木のカウンター席に老婆が座り込み、民族衣装の少女と話をしている。
「だからね。私は言ってやったのよ。奥さんそれはジャイロさんの砂だからって。だってそうでしょ。ミボリムさんにも面子ってものがあるし、怒る気持ちも分かるけど。ねえ。道理が通らないってこの事よ」
老婆の世間話もしくは愚痴を耳では聞きながら少女は何かをすり鉢でゴリゴリとすり潰している。
フィルの姿に気付くと少女は微かに笑顔を浮かべる。少女の視線に、一瞬フィルは笑顔で返すが
「あんたはどう思う?どっちが正しいのかしら」
老婆がすぐに少女の視線を奪う。少女が老婆の問いに答えようとすると、途端に老婆は矛先を変え、背後のフィルの存在に気付いて
「あら、お客さん」と言う。
「長居しちゃったわね。私の薬まだかしら」
老婆は当初の目的を思い出したようだ。
「出来てますよ。どうぞ」
少女はフィルが入って来た時からカウンター上にあった小さな壺を手渡す。
「ありがとう。本当助かるわ。これ膝に効くのよ。他にも色々試したけどこれが一番だわ、本当」
老婆は手に下げた籠の中に壺をしまいながら喋り続けている。
「ありがとうございます。またいつでもどうぞ」
えっちらおっちらと老婆が帰る背中に少女は声をかける。
「こんにちは」
フィルの言葉に少女は笑顔を見せる。
「軟膏ですか」
「はい」
「ちょっと待ってくださいね」
少女はくるりとフィルに背を向け、壁際に広がった引き出しの海の中からいくつか薬草のような物を取り出す。天秤に乗せ、重さを測っては白いすり鉢の中へ入れてゆく。
「ここは薬屋なのですか」
フィルは天井まで広がる難解な文字の羅列を眺めながら言う。
「珍しいですよね。漢方薬局って言うんです。中華の谷で生まれた薬学なんですよ」
少女は手際良く材料を足しながら喋っている。
「チューカの谷?」
「はい。デザート王国にあります。辺境なので知らない方が多いですよね」
手元に集中していた少女は微かに笑顔を浮かべてフィルを一瞬見やる。
「デザート王国ですか。東国の文化なんですね」
「デザート王国の持つ文化ともちょっと違うんです。私の祖父は少数民族の出身で、中華の谷はデザート王国の中でも独自の文化圏を維持しています。この薬草も中華の谷から送って貰っている物です」
少女は言うと店の奥に消える。なにやら大きな壺を持って来て、中から粘性のある物質をすり鉢に足している。少女がすり鉢の中身を混ぜ始めるとあの香りが鼻を突く。
「独特の匂いがあるのはそのせいですか」
「嫌う方は多いですが本当に効くんですよ」
「それは分かります」
少女に軽く睨まれフィルは慌ててフォローする。
「また戦地に行かれるのですか」
出来上がった軟膏の壺を手渡しながら少女は聞く。
「はい。サザマックに。戦が長くなると薬が足りなくなるので、出発前にと思い、寄りました」
「どうかご無事で。ご武運をお祈りしています」
少女は真剣な眼差しでフィルの目を見つめる。
「ありがとうございます」
フィルは硬い雰囲気を和らげようと笑顔を作った。
壺を腰の袋に収め、店を出て通りを歩いていると、後ろからフィルを呼ぶ声がする。
「お客さん。すみません」
走って来たらしき少女が息切れしながら言う。
「どうしました」
「お礼を。カフェで奢って頂いた、お礼を言おうと思って、いたのに、すっかり忘れてて」
少女はまだハアハアしながら喋っている。
「あの時はありがとうございました」
「いいですよ。お茶くらい。気にしないでください」
「これ、良かったら」
少女は小さな包みを差し出す。
「これは?」
「飴です。少しですが。喉に良い薬草が入っています」
「ありがとう」
フィルは飴を小袋にしまい込み、少女とは丁寧な挨拶をして別れた。
少女がくれた飴をフィルは戦地で食べた。ミントの香と他にも何か甘くて苦い味がした。鼻に抜けるチューカの芳香はナンテンドーを思い出させた。あの少女は元気でいるだろうか。また会えたら良いなと思っていた。
数カ月後、帰還したフィルはナンテンドーに足を向けた。店内にはあの膝の痛い老婆が一人鎮座していた。フィルの下げた剣がぶつかる音がでかかったのか、振り返る。
「あら、プレンティ。例の騎士様よ」
老婆は店の奥に向かって声を張り上げる。
(例の?例のって何だ)
老婆の言葉に引っ掛かるフィル。
奥で物音がして
「はい?」
クリーム色の民族衣装の少女が顔だけ覗かせる。少女は老婆に視線をやり、次に店内にフィルを見つける。
「ああ」
少女は大きな吐息と共に言葉を吐き出す。
「ご無事だったんですね」
胸に手を当て、目を潤ませている。
「じゃあ、帰るかな。薬、ありがとね」
言いながら老婆はフィルと少女の間をゆっくりと通過し、店を去る。
「無事生還しました。軟膏助かりました。また頂けますか。あと飴も。上司に食べさせたら気に入って、買ってくるよう言われたので、もう少し大きな袋でください」
「はい。軟膏と喉飴ですね。お待ちを」
少女は泣き笑いの笑顔を浮かべて言うと、カウンターの下から大きなガラス瓶を取り出す作業に移る。フィルは老婆がさっきまで座っていた椅子に腰を下ろすと
「こちらはあれから変わりないですか」
ガラス瓶の中の飴玉を掬う少女の手元を見つめながら問う。
「ええ。特には。しいて言うなら近所の境界線問題が軽い衝突を経て冷戦状態に突入しました」
袋の中に飴玉を入れながら少女は言う。
「解決しませんか」
「無理でしょうね。はい。喉飴です」
少女は口を縛った袋をカウンター席に座っているフィルに手渡す。
「上司の方、喉飴良かったって言ってました?」
壁側の引き出しを開け閉めしながら途中で振り返って少女は問う。
「はい。喉にすぐ不調が出るタイプらしくて、これは良いからもっと寄越せと持っていた分はほとんど取られました」
フィルが貰った飴を口に入れている時、独特の香りに気付かれ、ヨシュラム軍曹に強奪されたが正解だ。
「ふふ。気に入って頂けて何よりです」
少女は嬉しそうに笑う。使いっ走りにされたフィルにしてみればなによりな出来事とは言えないが、少女に会える口実を作ってくれたと思えばヨシュラム軍曹のファインプレーと言えよう。
「騎士様はドラゴン騎士団所属なんですね」
調剤を着々と進め、今はすりこぎを使いながら少女は喋っている。
「はい。ご存知でしたか」
「サザマックに派遣されたのはドラゴン騎士団だと聞いたので、そうかなと」
大きな壺の中身を探りながら言う少女。
「そうなんですが、騎士様はやめてください。フィルと。皆そう呼びます」
「フィル様…」
「ただのフィルでいいです」
「フィルさん…」
少女は探り探り話している。
「はい」
フィルは落とし所かなとさん付けで納得する。
「プレンティです。よろしく」
「プレンティさん。よろしくお願いします」
二人は改めて向き合う。
「握手もします?」
プレンティは突如フォーマル化した雰囲気を壊そうと茶化して言う。
「今はやめておきます」
プレンティの右手に付着した粘性物質を見て、笑顔でフィルは言う。
こうしてフィルは南天堂にちょくちょく出入りするようになる。南天堂での滞在時間はどんどん引き延ばされ、常連客の近所の老人と知り合いになるフィル。
カウンター席に座りながら痛風持ちのお爺さんと駱駝レースの話題で盛り上がる。横にいるプレンティは賭け事に熱中する男達を冷めた目で見ている。
フィルは南天堂でお茶を出して貰えるようになり、長っ尻に拍車がかかる。
時々新作商品の試作品を味見させられる。甘草入りの菓子を数種類味見させられ、最初のやつを外に吐きに行く。
「無理っす」
フィルは言うが、カウンター上にはまだ三種類試作品が残っている。覚悟を決めて残りの物体を口に入れる。何とか食べられない事はない。
「最初のが強烈で、もう他の味がぼやけてて。でも最初のやつ以外は大丈夫でした」
「うーん。改良します」
プレンティは黒い粒を見つめ首をひねる。
ある日、南天堂を訪れたフィル。膝の痛いお婆さん、ジプタさんと一緒になり、プレンティと三人で菊花茶を啜りながら話をしている。ジプタさんの家族の話を何故かフィルも聞かされ、立て続けに喋るジプタさんの話をただ相槌を打ちながら聞くしかないフィル。
「あら、もう昼ね。私、用事があったんだった」
そう言う残すと、ジプタさんは唐突に帰って行く。フィルはそっと嘆息する。プレンティは店の奥に引っ込む。帰るべきか、でも一言挨拶してからと、フィルがひとりまごまごしていると
「良かったらお昼食べます?」
奥から顔を覗かせプレンティが言う。
「えっと…」
フィルは親切に甘えて良いものか一瞬悩む。
「はい。お邪魔じゃなければ」
プレンティと一緒にいたい気持ちに負けたフィルはそう返事を返す。
「奥へどうぞ」
にこっと笑顔を浮かべプレンティはフィルを通路の奥へと促す。店の奥には物置き代わりになっている狭い通路があり、通路の先には小さなダイニングキッチンが付いていた。薄暗い所から光に満ちた小部屋に出て、フィルは一瞬目が眩む。
小さく乱雑だが温かみのあるキッチンで、プレンティは食べた事もない料理を作ってくれる。手際良く野菜を刻みながらプレンティはフィルの話す戦地での笑い話に耳を傾ける。フィルがヨシュラム軍曹の逸話を披露しようとしていたタイミングで、目の前のテーブルの上に大皿が置かれる。
緑色の香味野菜が浮いた具沢山のスープみたいだ。
透き通ったスープに浮かんだ白い物体を口に運んだ。滑らかな食感で、皮の中からは香辛料の効いた羊肉の味がした。
「美味しい」
フィルが思わず言うと、プレンティは嬉しそうに笑った。
フィルはこうしてプレンティが作る料理を好きになっていった。




