第5話 仕事2
-20代-
「ごめんなぁ、結局こんなことになって」
青白くコケた顔。
目の下に隈を作り、点滴を打たれながら笑う龍登の顔は痛々しい。
病院で点滴を受けている龍登に、結菜はそっと寄り添って頭を振る。
今まで泣いていたのだろう。目には涙がたまっていて、目の周りも赤く染まっていた。
「いいのよ。龍登が生きてればそれで」
「へへ、うれしい事言うなぁ」
ニッと笑顔を見せるものの、彼女の顔は曇り続けている。
「仕事、休んじゃったなぁ」
天井を眺めながら、ポツリと言葉を漏らす。
倒れてもなお、仕事のことを気にする龍登に、結菜は見えないように手をぎゅっと握りしめた。
「仕事のことなんていいから、ゆっくり休まないと」
そう言って、龍登の頭をなでる。
龍登は結菜を見つめながら、小さく首を横に振った。
「そうしたいけど、ほら、働かないとさ。
家賃とか、生活費もあるし。それに、結婚したっていうのに、これじゃあ、ご両親に申し訳が」
「こら」
「いて」
弱々しく言い訳を並べる龍登に、結菜はムッと口をすぼめてデコピンを食らわす。
ジーンと響いた柔らかい痛み。
龍登は驚きながら、結菜を見つめた。
「ふ た り で。
一緒に頑張ろうって言ったよね?」
その言葉には優しい圧があった。
普段からニコニコと笑い、歳上には見えない結菜からは考えられない圧。
龍登は、思わず反射的に頷いた。
「う、うん」
でも、けど、そんな事を言ってはならない。本能が告げた。
結菜は少し落ち着いたのか、ふぅと息を吐いて心を鎮めさせる。
10秒かかったか、かからないくらいの深呼吸。
怒ることではないが、感情が乱れてしまうのを必死に抑えるように。
今まで龍登が無理をしてきたのは、自分のためでもあると。感情的になることではないと息を整える。
深呼吸が終わると、結菜は背筋を伸ばして龍登に言う。
「あなたのおかげで、私たち20代にしては貯金があるほうよ。
半年はお金の心配いらないの。私も働いてるし、ふたりで頑張るの」
「は、はい」
龍登に近づいて、ゆっくりと手を握る。
龍登の手は冷たく、血が通っていないようだ。
考えたくない景色が過ぎり、落ち着かせた感情が逆流しているのか、握りしめた手の力が強くなった。
「一人じゃ意味ないの。
お金持ちでも、小金持ちにでもなりたいわけじゃない」
震える声で、懸命につたえる。
「龍登と、あなたと2人で生きていきたいの」
涙が溢れる。
美しい涙だ。今までの日々が込められた涙。
それは、龍登の冷たすぎる手に落ちて、龍登の手を温める。
「……うん。俺もそうだよ、結菜。
俺、一人で頑張ろうとしてた。男だし、意外と体力もあると思ってた。
でも、そうだね……ふたりで生きていくんだもんね」
「そうよ」
2人は額を当てて、目を瞑り微笑んだ。
「それに、激務じゃ2人の時間も取れないでしょ。1人で家にいるのは懲り懲りよ」
「うん、そうだよね」
「何度も言うけど、お金はある程度でいいの。
仕事も流すくらいで。やりたい事があるなら、そっちをしましょうよ。
26歳なんだもの、全然まだまだ時間はたっぷりあるわよ」
「うん」
龍登のうん、という短い言葉。
その言葉は、若干震えていた。涙を堪えているようだ。
「今は賃貸だけど、小さな庭付きの家を買いたいんでしょ。ローン払いでコツコツと」
「うん」
「子供は二人。運良く2年でやりたい事がお金になったら、きっと私たちの所に来てくれる」
「うん」
結菜は、龍登の頭を撫でて、慈しむように見つめた。
「疲労で倒れるなんてよっぽどよ。
3年間、慣れない仕事な上に激務で、人間関係も最悪。よく耐えたほうよ」
「……」
無言の彼の脳裏に浮かぶのは、職場。
給料はある程度貰える方だ。けれど、1人で抱えきれない量のタスク、残業は当たり前、褒める人はおらず、罵倒と嫌味の日々。
体と心、両方が疲れていたんだなと悟った表情。震える声でどうにか呟く。
「……ありがとう、結菜」
「いいの。ふたりで、生きていくんだから」
「うん」
「プロポーズの返事、ちゃんと覚えてる?」
結菜が悪戯に笑うと、龍登もまた笑みを浮かべた。
「もちろん。君より先に死なないこと」
「そうよ。このままだと過労死まっしぐらなんだから。
約束、ちゃんと守ってもらわないと」
結菜は続けて言葉を紡ぐ。
「なんてたって、プロポーズの言葉なんだから」
「……うん、今度こそ、必ず守る」
じっと結菜を見つめる龍登。
久しぶりに結菜と向き合ったことで、彼女の不安な表情が伝わってきた。
きっと今までも、
心配をかけていたのだろうと反省する。
「転職、するよ」
「そうしましょう。大丈夫、2人でなら、絶対」
「そうだね。絶対そうだ」
ぎゅっと手を握りしめてもらったからか、龍登の手にも温もりが残っていた。
「なにか、やりたいことはないの?」
「やりたいことか……」
龍登は考える。
働いていた日々で、自分は何に興味を持っていたかと。
「ネット小説が好きだった……自分でも書いてみようと思って時間がなくてやめたけど」
「なら、それを目指しましょう」
「でも、お金になるかどうか」
龍登にとって、大事なのはお金だ。
二人で生活していくうえで、これから家族が増えていくうえで、お金は必要なものだから。
「まずは、やってみる。お金が不安なら、働きながら時間を作れる場所に変える。
小説を書きたいなら、それに付随した仕事を探してみる」
結菜は龍登を静かに説得する。
「色々と手段はあるわ。
ライティングの仕事もあるみたいだし、今よりは生活がマシになると思う。
正社員じゃなくてもいいのよ。二人の時間を作って、お互いがお互いを支えるの」
「……うん」
結菜の言葉は、不思議と龍登の心に溶け込んできた。
心配をさせたのもあるが、結菜が言うと、不思議と大丈夫だと思えたのだ。
「幸せになりましょう、ふたりで」
「ああ、ふたりで」
ふたりは、幸せになるために笑みを浮かべて、誓い合う。
「そうだ。退院したら、何食べたい?」
「そうだなぁ。結菜の作る生姜焼きかな」
「小間切れのやつね。本当に好きね」
「あれはうまいからさ。普通の生姜焼きの肉より好きだ」
「ならよかった。他には?」
龍登は考えながら、「あ」と小さく声を出す。
「「ふんわり堂のどら焼き」」
ふたりの声が重なって、また笑みがこぼれる。
「絶対言うと思ったわ」
「バレたか」
ふたりにとって、思い出の食べ物。
しばらくの間、今までの分を取り戻すように、ふたりは会話を楽しむのであった。




