第11話 お別れ
-50代-
「終わったわね」
「あぁ、終わったな」
白髪と皺の増えたふたりが、肩を並べて寄り添い合う。
ふたりが座っているのは仏壇前。
仏壇には、結菜の父と母が笑みを浮かべた写真が飾られている。
「ママ、幸せそうに眠ってたわよね」
「あぁ、そうだね。理想の眠り方と言ってもいい」
「私もそう思う。私の両親も、龍登のご両親も、理想的な亡くなり方だった」
「あぁ」
結菜はハンカチで涙を拭きながら、部屋の中を見渡した。
家の中にはたくさんの思い出が飾られている。
結菜の幼少期の写真や、学校行事や、家族旅行、結婚式。また、学生時代に受賞したであろう本や、イラストの数々。
つい最近、数年前に撮った家族親戚一同の写真。
本当に、たくさんの思い出が丁寧に飾り付けられて並んでいる。
「この家とも、お別れかぁ」
すでに赤く染まっている目から、ちいさな雫が流れていく。
「寂しいよな、わかるよ」
龍登の両親は、すでにこの世にはいない。
龍登の実家は既に売却済みで、思い出だけが胸に残っている。
結菜の母が亡くなり、結菜の兄が住むことになった。
実家は残る。けれど、もう父と母の家ではない。
その事実を、まだ飲み込めないのかもしれないと龍登は思っていた。
自分がそうだったから、なんとなくだ。でも、なんとなく分かっているからこそ、龍登は結菜に寄り添うことができる。
2人は夫婦なのだ。
病める時も、健やかなる時も、仕事で苦悩した時も、家族を授かった時も、子育てで辛くなった時も。
2人はいついかなる時も、ずっと一緒にいたのだから。
「ありがと、龍登」
「ああ」
龍登に感謝して、結菜はまたじっと外を眺める。
小さな庭には、大小様々な花が並んでいた。特に目に入るのは、燦燦と咲いたひまわり。
結菜はひまわりを見つめながら、ふうと呼吸を落ち着かせる。
「やっぱりさ、実家は特別なんだよ」
「そうだな」
少し間を置いて、結菜は話す。
「でも、その特別はさ。パパとママがいるからであって。
兄さんだけじゃ足りないの。両親のいない家、かぁ……やっぱりキツイね」
結菜は家を眺めながら、思い出に浸る。
龍登は何も言わずに、結菜の肩をさするだけ。
しばらくして、結菜は少し移動して、長年愛用されたアンティークソファに身を鎮める。
龍登も当然のように、結菜についていく。
「みんな、泣いてくれたね」
「そりゃそうさ。君のご両親は、とても優しくて温かかったから。みんな、好きになるのは当然だよ」
「そうだね……自慢の、両親だから」
「泣いていいさ。思う存分」
顔を上げて涙を堪える結菜に、龍登はただ優しく言葉をかける。
けれど、龍登の言葉に、結菜は首を静かに振った。
「ううん、もう平気。
お葬式でたくさん泣いたもの」
「そうか」
「うん」
ふぅと、何度目か分からない呼吸を整える結菜に、龍登が話題を振る。
「そう言えば、みんな大往生だったな」
その言葉に、結菜はハッと息を吐いて驚いたように笑う。
「たしかに!
やっぱり悲しむよりも、お祝いしたほうがいいわよね」
うんうんと一人で頷いて、納得する。
「みーんな、大往生なんて、凄いことよね。悲しむより、お祝いよ、お祝い!」
結菜は立ち上がって、リビングへとズンズン向かう。
無理に元気を出そうとする結菜を、龍登は止めずに見守った。
結菜が見えなくなると、もう一度仏壇に向かう。
そして、仏壇に飾られた結菜の両親に向かって頭を下げる。
「結菜には、もう悲しい思いはさせません。
プロポーズの時、彼女よりも先に死なないと誓いましたから」
ぎゅっと真剣な顔で、結菜の両親に誓いを立てるように呟く。
「お義父さん、お義母さん。
どうか、末永く安心して、天国でお待ちいただければと思います」
そしてまた、頭を下げた。
「じゃーん、持ってきました」
「あ、それ」
「生クリームカスタードたい焼き」
綺麗に半分に切ってあるたい焼き。
それを仏壇の横において、お供え物とした。
「私たち家族、これが大好きでさー。って知ってるよね」
「うん。お義父さんに、よくいただいたからね」
「パパ、顔は怖いけど、根は優しいの。
あんまり喋らないけど、龍登のことも好きだったのよ」
龍登は、静かに頷く。
「分かってるさ。表情では判断できない事もあったけど、とても丁寧に色々な事を教えてくれたから」
「そっか。ちゃんと伝わってたならよかった」
そうしてまた、龍登に寄りかかる結菜。
ふたりはじっと、結菜の両親のことを眺めていた。
「パパね、受験の時も、夢を追うって決めた時も、華たちを預けた時も、支えてくれた」
「うん」
「ママもそう。いっつも応援してくれて、いつでも味方でいてくれた。
ぶきっちょなパパの代わりに言葉をくれた」
「うん」
両親との思い出。
結菜の言葉が、龍登の脳内で再現される。
結菜と出会っていないころの記憶だが、情景が浮かぶ。
「ママはパパが誰よりも好きでね。
本当はもっと早くパパの所にいきたかったと思うの」
「うん」
仲の良い夫婦だった。
言葉の数は少なくても、そこに愛がある。
仕草や表情、行動が、物語っていたから。
「でも、私たちのことも心配だったんだと思う。
だから、ママは、3年も待ってくれた」
「ああ」
「ママは最後まで、私のママでいてくれた」
結菜はスッと背筋を正した。
「優しくて、温かくて、気品があって、常に感謝を忘れない」
そして、龍登の顔を見つめる。
「私、ママみたいに、なれてるかな」
「なれてるさ。そこは、俺が保証するよ」
龍登は瞬時に答えた。
なんの余白もなく、考える余地すら必要ない、と言わんばかりに。
龍登の勢いが凄すぎて、結菜は笑みを浮かべる。
その目は、とても満足そうで、幸せそうに頬を緩ませていた。
「龍登が保証してくれるなら、きっとそうなんだね」
「あぁ、絶対そうだ」
一口、お気に入りのたい焼きを食べる。
カスタードと生クリーム、そしてたい焼きの生地。冷たいのに、たしかな温もりを感じる。
「このたい焼き屋、閉店するんだって」
「そう、なんだ」
「うん、だから、これも最後」
慎重に、大切に味わう2人。
「思い出の味も、時が経てば無くなることもある。永遠なんて、あり得ない」
だからこそ、この瞬間、瞬間を生きなければならない。
結菜は、そう思った。
「ねぇ、龍登」
「ん?」
間をおいて、結菜はゆっくりと話す。
「私たち、私たちの両親みたいに、いきたいね。
怪我も病気もないまま、ボケもせずにさ、静かに眠るの」
それは理想だった。
歳を取れば、体のあちこちが弱っていく。
筋肉、骨、臓器、脳。
健康体でいられる方が、稀と言ってもいいかもしれない。
「そうだね。ぜひとも、現実にしたい」
龍登もまた、結菜の言葉にゆっくりと頷いた。
「でしょ。
眠るように息を引き取って、みんなに惜しまれながら死んでいくの」
自分たちの両親がそうであったように。
自分たちもそうでありたいという願い。
「きっとなれるさ。
俺たちは、掲げた夢を叶えてきたんだ。
ならきっと、最後まで、思い描いた未来になるよ」
今までが、そうだったように。
これからも願いは叶うと龍登は言った。
それは、確信とも思わせるような口ぶりだ。
きっと、それは、今まで培ってきた経験が、龍登に語りかけてきたのかもしれない。
「たしかに。わたしたち、ふたりなら、きっと大丈夫だよね。
ううん、龍登と私なら、かな」
「そうだね」
いつか、お別れが来る。
それを示唆するような発言。
けれど、龍登もまた納得したように頷く。
そして、顔を上げて、背筋を伸ばす。
「そのためにも、まずは、いい親、いい爺と婆でいないとな」
「ふふ、そうだね」
惜しまれるなら、まずはできることから始めようと、龍登は告げる。
結菜も、龍登の言葉に笑顔で頷いた。
しばらく、無音の時間が続く。
「……ねぇ、龍登」
「なんだい」
まっすぐ、龍登の瞳を見つめる結菜。
「私より、先にいかないでね」
「あぁ、約束するよ」
龍登もまた、まっすぐと見つめて、すぐに言葉を返す。
「ありがと、龍登」
「当然さ。プロポーズの誓いだからね」
「ふふ、そうだね」
結菜は龍登の胸にすっぽりと収まるように抱きついた。
「龍登、愛してるわ」
「あぁ、俺も愛してるよ、結菜」
30年分の想いが詰まった愛の言葉。
病める時も、健やかなる時も、ふたりは共に道を歩んできた。
その愛の告白を、誰が茶化せようか。
56歳と54歳。
約30年の愛を育んできたのだ。
愛とは、相手を想い続けた時間の長さ。
愛とは、共に手を繋ぎ、共に歩んだ軌跡である。
ふたりは、それをゆっくりと確かめ合うのであった。




