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君と、どら焼きが食べたくて。  作者: アトラモア


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第9話 苦労話2

 -20代・30代-


「三か月か……」


 龍登(りゅうと)は、机の前にあるノートパソコンと睨めっこしていた。

きっかけは、龍登が倒れた時のこと。その際に、結菜(ゆな)に言われた言葉。


『ネット小説が好きだった……自分でも書いてみようと思って時間がなくてやめたけど』

『なら、それを目指しましょう』


 目標ができたことは良いことだったが、実際にパソコンを開けば、何を書きたいか出てこない。


「時間はあるが……久しぶり過ぎて、頭が働かないな」


 趣味で小説を書いてたことはあった。

それでも、プロットだけ書いて終わったり、短編だけ書いて終わったりと。


 数万文字以上は、書いていない。  


 それでも龍登は、三か月、働かずに書くことを決めた。

だからといって、書きたいことがあるわけではない。書けるかもと思っていただけ。


 なろう系と呼ばれる作品を実際に書こうとしても、結局は没になる。

似たような作品を作ればいいだけだと高を括ってた罰があたったかのように。


 プロットを書いては没にして、書いては没にして。


「はは……書けねぇ……」


 没にするだけなら一端の作家と同じレベルだと、龍登は乾いた笑い声が漏れた。


 そんな試行錯誤と、没を延々と繰り返した末に。


「書けた……」


 15万文字のファンタジー小説を書き上げた。

村人に転生した30代が、地道に一歩前に進みながらも、自分に関わる人々を幸せにする物語。


 願いを込めてネット小説に掲載した。


「駄目……か」


 苦しみながらどうにか書いた作品も、小説家になろうに掲載してもほとんど伸びずに終わった。


「……就職するか」


 失業保険の金だけでは、これ以上は厳しいと判断する。


 覚悟を決めたからと言って、すぐに小説家に成れる訳ではなかった。

もしかしたら、すぐに書籍化するかもなんて淡い期待は、一瞬にして弾け飛ぶ。


 龍登の頭の中は、就職と金で埋め尽くされた。


 就活を決めた龍登は、結菜に報告する。


「やっぱり、就職するよ」

「そっか。でも、書き上げたのよね」


 結菜には自作の小説を見せていない。

とても見られるレベルではないし、愛する結菜にさえ、見せる勇気がなかった。


「まあ、一応……伸びなかったけどさ」

「完結させるだけでも、凄いことなのよ?」

「ああ」


 またしても、乾いた声が、龍登から漏れていく。

結菜の言葉でさえ、今の龍登には届かない。


「ここからが、大事なの。何度でも挑戦しないとね」

「……そう、だな」


 夢を叶えた結菜の発言には、重さがあった。

クリエイターとして、自らの手で仕事を勝ち取った結菜は、諦めてはいけなことを知っている。


 だからこそ、何度でもという言葉は、普通に出てきた。


(舐めてたってことだよな)


 物語の主人公のように、覚悟さえ決めれば、何かが変わると思った。


 けれど、ここは現実で、物語の中じゃない。

その当たり前の現実が、今の龍登の心を抉ってくる。


「まずは、第一歩を踏み出せてよかったよ」

「え」


 結菜の言葉に、龍登は顔を上げた。

心配そうな顔を見せるわけでもなく、結菜の表情は、いつも通りの穏やかな笑み。


「正直、完結することもできないと思ってたの」

「そう、なんだ」


 思いもしなかった言葉に、龍登は思わず視線を下げた。


 期待されていなかった。

龍登はぐっと拳を握りしめる。


「何かを生み出すってことは、そんなに簡単じゃないもの。

似たような作品があっても、それは似てるだけで別の作品なのよ。

一から作り上げるなら、なおさらね」


 結菜は、珈琲の入ったマグカップを包む。


「苦しんで苦しんで、もがいて、足掻いて、工夫しながら、それでも前に進むのよ。

諦めなかった人だけが、やりたかったことで生きれるようになる」


 結菜は、それを体現してきた。

自らの過去を振り返るように、ゆっくりと語っていく。


 龍登は顔を上げて、結菜の顔を見つめる。


「もし、龍登が会社勤めで満足できるなら、私はそれでもいいと思ってる。

それは、ちょっぴり悲しいけど、心と体を壊してしまうくらいなら、止めてほしいもの」

「結菜……」


 本当に、ちょっぴり寂しいだけなのだろうか。

龍登の中で、結菜の笑顔が、いつもより暗く感じた。


「私が無理強いしたのがいけなかったの。

私は、ただ、龍登にも幸せになってほしかっただけなのに」

「……ごめん」


 結菜の目を見ずに、謝ることすら、龍登にはできなかった。


「私の方こそ、ごめんね」


 龍登は、何かを言おうとして、顔を上げる。

けれど、出そうと思った言葉が出ることはなく、そのまま下を向いた。


「お風呂、入ってくるね」

「……うん」


 一人、リビングに残った龍登は、呼吸を整える。

冷めてしまった紅茶を飲みながら、目の前にポツリと置かれたマグカップを眺めた。


(……結菜に、あんな顔、させるつもりじゃ、なかったのに)


 情けない。


 龍登はただ、己を恥じた。


 たった一回、作品を掲載しただけで、評価が貰えなかった自分を。


 自分を殴りたい衝動にかられながらも、龍登は紅茶を飲み干す。


 席を立ち、パソコンの前に座る。


 就職サイトを眺めながら、仕事を選んでいく。


『まずは、やってみる。お金が不安なら、働きながら時間を作れる場所に変える。

小説を書きたいなら、それに付随した仕事を探してみる』


『色々と手段はあるわ。

ライティングの仕事もあるみたいだし、今よりは生活がマシになると思う。

正社員じゃなくてもいいのよ。二人の時間を作って、お互いがお互いを支えるの』


 結菜の言葉が、脳裏に浮かぶ。


「まずは……文字を書くことに慣れることから始めないと」


 龍登が応募したのは、ライティングがメインの会社。


 何社も受けては落ちて、受けては落ちて。

ようやく、雇ってもらえる会社が見つかって、一安心。


「働く場所、決まったよ」

「ライティングの仕事?」

「うん」

「良かったね!」

「うん」


 結菜は笑顔で言ってくれたが、心の底から喜んだ顔ではないように思えた。


(考えすぎだ)


 龍登は、社会に復帰した。


 20代後半、飲食店上がり。

パソコン業務も、文字を打ち込んでいくことも、デスクに座り続ける事も、何もかもが初めてのこと。


 龍登はただただ、ついていくので精一杯だ。


 人間関係にはどうにか恵まれた。

嫌味を言う人間もいるが、そこまで関わりがあるわけではない。


 パソコンと睨めっこしながら、龍登は仕事に没頭していく。


 

 夜。

 

 時間が空けば、龍登は小説を書いていた。


 もはや日課のように、毎日。

文字の入力にも慣れてきて、ブラインドタッチもできるようになってきた。

 とはいえ、書く速さが上がっただけで、内容がいいかと思えば、それは別の話。


 それでも手を止めなかったのは、やはり結菜のお陰かもしれないと、龍登は思った。


『まずは、第一歩を踏み出せてよかったよ』

「ここからが、大事なの。何度でも挑戦しないとね」

『苦しんで、もがいて、足掻いて、工夫しながら、それでも前に進むのよ。

諦めなかった人だけが、やりたかったことで生きれるようになる』


 結菜の言葉が、心の中で反芻する。


(諦めたら、駄目だ)


 書いて、書いて、とにかく書いて。


 時には睡眠時間も削って、結菜に怒られながらも書き続けた。

また倒れるのは嫌なので、龍登は生活習慣を整える。そうなると時間が足りない。


 だから、龍登はどこでだって書き続けた。

満員電車だろうが、休憩中だろうが、帰宅ラッシュだろうが関係ない。


 とにかく、スマホにメモ書きをする。


 そして、家に帰ってから、とにかく書いた。


 三か月間。

小説だけに向き合った時間も大きかったのかもしれない。


 ようやく、書くことに慣れてきたが、お金の心配も尽きなかった。

だからこその就職だったわけだが、給料はまだまだ安い。安心はできなかった。


(金の不安は、結菜頼りになったけど、今はそこまでない……ただ)


 就職をすると言った時の、結菜の表情と言葉が、龍登の脳裏にこびりついてる。


(合わせて笑わせるなんて、嫌なんだ)

 

 結菜は、イラストレーターで大変ながらも笑顔で働いてる。

今の生活にも慣れてきて、少しだけぎこちなくなっていた空気もなくなっていた。


 心からの笑顔を取り戻したい。


 龍登は、その一心で動いていた。


 それに。


(はは、不幸そうな顔しやがって)


 電源を落としたディスプレイに移った自分の表情を見て、このままでは駄目だと悟った。


(今のままじゃ、きっと、本当の幸せは手に入らない)


 だから龍登は、書き続ける。


 本当の幸せを目指して。



 だからといって、すべてがうまく行くわけじゃない。


(そんなの、百も承知だ)


 でも、諦めるわけにはいかなかった。

結菜の隣に立てるふさわしい男になりたい。


 愛する人を幸せにする。

自分のためでもあるが、龍登は愛する結菜のために動ける人間だった。


 龍登が小説を書いてから、もうすぐ二年が経つ。

 

 小説の方は、残念ながらうまくいかなかったが、嫌味のように仕事の方は順調だ。


 龍登は仕事での評価が認められて、社員になった。


 正社員だ。

給料が安定した代わりに、仕事量も、労働時間も増えた。


 それでも、小説は書き続ける。


 自分には、これしかないと信じ続けて。


神代(かみしろ)君」

「あ、はい」

「これ、お願いできる?」

「はい」

「あ、あとさ」

「はい?」

「会議室取ったから、ちょっと話したいことあって」

「分かりました」

「じゃ、よろしくねー」


 責任も増えつつある。

上司に仕事を任されることが増えて、人に教えることも増えたのだ。


 けれど、前に進まない訳にはいかない。

生活がある。ここで諦めてはいけないのだ。


 少ない時間を確保しながらも、龍登はひたむきに書き続けた。


 そんな時だ。


「龍登」

「どうしたの?」


 執筆中に、結菜が話しかけてきた。

普段、結菜は執筆中の龍登に話しかけることはない。


 龍登がそうだったように。

飲食店の社員時代、龍登の少ない休みの日でも、

結菜がイラストを描いている時は、仕事に集中してもらうために話しかけなかったから。


 話しかけないでと言われたわけではない。

ただただ、龍登が結菜の邪魔をしたくなかったのだ。


 だから、結菜も同じ行動を取っていた。


 だというのに、結菜が話しかけてきたのだ。

龍登の胸がざわつく。悪い報告ではないことを祈りながら、結菜が話し出すのを待つ。


「えっとね……これ」

「……ふぁ!?」


 普段ではありえない声が飛び出した。


「え、えへへ……授かったよ」

「結菜!」

「わ!」


 結菜が子を授かったのだ。

龍登は思わず結菜に抱き着いた。


 それはもう、大号泣で。

結菜も龍登に釣られて嬉し泣きを見せていた。


「いやー、本当に、安心したね」

「そうだな。本当によかった……ありがとうな、結菜」

「ふふ、こちらこそ、ありがと」


 ひとしきり喜んだあとで、ふたりは一息つくために、飲み物を用意する。


 白湯とホットミルクだ。


「龍登まで合わせなくていいのに」


 珈琲好きの結菜が飲めないならと、龍登は白湯を淹れていた。


「明日、カフェインレス買ってくるから、その時に飲むよ」

「ふふ、ありがと」


 ふたりにとって、ようやく授かった命。

龍登は本当に、泣いてしまうほど喜びを露わにしたが、ここでまた過る。


(金が要る)


 子供が生まれたら、日常品が増える。

ミルク、おむつ、服、ベビーカー、おもちゃ、食費、学校、大学の費用。


 たくさんのものが必要だ。


 それを買うには、どうしても金は必要なものであった。


 目を背けてはならない現実だ。


「あのさ、結菜」

「んー」

「俺も話があって」

「どうしたの?」


 首を傾げる結菜に、龍登は背筋を伸ばして真っすぐ目を見て言う。


「昇格の話が貰えてさ。

仕事は増えるだろうけど、どうにか頑張るよ」

「凄い! 昇格の話がすぐ出るなんて! おめでとう、龍登!」

「ありがとう」

 

 ひとしきり喜んだあとで、結菜は龍登の目を見つめ返す。


 笑顔ではなく、真剣な表情で。


「小説は、どうするの?」


(来たな)


 分かっていたことだ。

龍登の心臓がバクバクと音を立てる。


 言わなければならない。

何かを得るには、何かを捨てることも、また覚悟が必要だから。


「小説は……」


 結菜の目を見る。


(あ……)

 

 彼女はなぜか、泣きそうな目をしていた。

これから龍登が言う事が分かっているかのように。


 それでも、受け入れようという覚悟が宿った眼をして。


 そんな結菜を見て、龍登は。


 龍登は、ただ、微笑んだ。


「書くよ。諦めるつもりは、もうないから」

「……ふふ、そっか。嬉しいなー。

最近、ネット小説もブームがきてるから、きっと大丈夫よ」

「そうだといいな」

「うまくいくわ」


 結菜が見せた笑みは、子供のような純粋な笑みだ。


 何かを得るには、何かを捨てなければならない。


 龍登は、その考えを捨てた。


「……俺、頑張るから。負担をなるべくかけさせないようにするよ」

「お互い、無理しない程度にね」

「ああ……そうだな」


 

 深夜。


 ベッドの上で、天井を眺める。


 結菜は、龍登の方を向いて、心地よさそうに寝ていた。

幸せそうな顔で眠っている。「ふふ」っと笑った寝言。きっと、いい夢を見てるのだろう。


「……かわいいな」


 じっと、最愛の人を眺めたあとで、龍登は天井を眺めた。


 先ほどの、結菜との会話を思い出す。


(本当は……諦めるよって、言うはずだったんだけどなー)


 でも、結菜が表情を見て、気が付けば反対の言葉を口にしていたようだ。


(結菜が、気付かせてくれたんだろうな)


 本当は小説を諦めたくない自分もいた。

だからといって、仕事を辞めるわけにはいかない。


 葛藤はした。

二頭追うものは一頭も得ず。


 現実はいつだって厳しい。

龍登自身、そこまで器用ではないから。


(でも、今までやってこれたよな)


 この二年ほどの時間を振り返る。

諦めるチャンスなんて、いくらでもあった。


 それでも、龍登は書き続けてきたのだ。

 

 執念に近いだろう。


 今までやってきたこと、これからも続けるだけ。

 

(そう思えば、何んとなかなりそうだ)


 諦めるには早い。そう思った。


 龍登は、天井に向けて手を伸ばす。


「この際だ。全部、掴んでやるさ」


 ぐっと、拳を握りしめる。


(欲張りになったもんだ)

 龍登は、ひとり、静かに笑った。

結菜の寝息につられてか、それとも覚悟が決まったからか。


 龍登は、気付けば、眠りに落ちていた。





「はなちゃあん、パパですよー」

「あうあ!」


 (はな)が生まれてからは、さらに慌ただしい毎日になった。


 ライフワークバランスが、完全に崩壊した。

生まれてきた華のため、赤ん坊時代は、仕方がないと割り切る。

 

 家族のため。

身を削るのには慣れていた龍登とって、これくらいのことで動じることはない。


 ただ、小説の時間はあからさまに減った。

減っただけで書いている。書くことを、辞めることはなかった。


 もはや、ここまでくると、意地に近い。


 有言実行。

結菜と自分と子供のために。


 龍登はひたむきに、丁寧に、書き続けた。



 華が生まれて、一年、二年、三年……慌ただしくも、幸せな日常はあっという間に過ぎていく。


 気が付けば、華は小学生になっていた。


「パパー!!」

「ん、どうした?」

「じゅぎょうさんかん日、また見に来てね!」


 華は満面の笑みで、授業参観日の日程を知らせる用紙を渡す。


「もちろん、行くよ」

「へへ、やったー!

ママー、パパ来てくれるってーーー!!」


 華は小躍りしながら、結菜の元へと戻っていく。


「幸せだなー……小説以外は順調か」


 週二日、リモートワークでの仕事が可能となり、龍登は家にいることが増えた。

華が成長して小学校に上がり、出社が減ったことで、執筆の時間がかなり増えつつある。


 仕事も順調、家族との時間も順調。


 小説は、いまだに閑古鳥ではあるが。


(でも、幸せだ)


 龍登は、時間がある限り、小説を書いた。



 参観日当日。

準備をしている最中、会社から至急の電話が鳴り響く。


「はい、神代です。

はい、はい……え、はい、わかりました……すぐに行きます」


 ライティングで書いた内容が、取引先の会社で相違があったとの連絡。

謝罪をするから、龍登も来てくれとの知らせだった。責任者である龍登も呼ばれる事態。


「結菜……ごめん」

「それなら、仕方ないわよ。

華には、私から説明しておくから」

「……ごめん」

「そんなに落ち込まないで。あなたが悪いわけじゃないのよ」

「ああ」


 ぐっと拳を握りしめた。

華の三回目の授業参観日は、やむを得ず欠席した。


 小学生低学年だ。

子供にとって、授業参観日はビックイベントだろう。


 運動会、発表会、授業参観。

大事なイベントには必ず出席していた。


 龍登も、娘の華の成長を見届けたかったから。


 ただ、今回は緊急を要した。

会社に所属し、責任のある立場になってしまった手前、行かないわけにはいかなかった。


「この度は、まことに申し訳ございませんでした」

「頭を上げてください。こちらにも不手際があったようで……」


 取引先とは、問題なく和解できたようだ。

でも、娘の晴れ姿を見ることはできなかった。


 家に帰る足取りが重い。

和解はできたが、急な呼び出しと、行けると言った参観日にいけなかった後悔。


 華がどうしているかが、気になった。


 家に帰ってすぐ、結菜に感謝の気持ちを伝えてから、龍登は華と話をすることに。


「華……ごめんな」

「だいじょうぶ。お仕事ってママから聞いたもん。

パパの方が、さびしいって、ママが言ってた。

だから、はなは、大丈夫だよ」

「華……」


 華の目の周りが赤い。

きっと、泣いてしまったんだろう。


 龍登は、華との約束を破ったことはない。

今回、運悪く仕事のせいで、破ってしまったが、華には分からないはずだ。


 もっと、怒ってもいいはずなのに、たくさん泣いたあとで、大丈夫と伝えてくれた。


 龍登の目から、自然と涙が零れる。


 この出来事が、龍登の人生のターニングポイントだった。

華の泣きはらした後の顔で、大丈夫だよという言葉が、胸に深く、深く突き刺さる。


「おやすみ、パパ」

「華、一人で眠るのかい?」

「うん」

「そっか……おやすみ、華」

「うん、おやすみ、パパ」


 結局、華はわがままを言わずに、静かなまま就寝した。


 ふたりきりの時間。

龍登と結菜は、紅茶と珈琲を飲んでいた。


「華のこと、慰めてくれてありがとう」

「いいのよ。華もそうだけど、龍登だって辛かったって、分かってるもの」

「……ありがとう」


 結菜にも迷惑をかけてしまったことが、龍登の心を抉っていく。


 紅茶を飲んで、一息ついて、結菜に言う。


「来週、遊園地に行こうかって言いたかったけど……約束するのが怖くてね」

「そうね。針千本、飲む覚悟が必要よね。特に、子供が幼いころは余計」

「だな……」


 覚悟。


 自分にはいつも足りないものだと、龍登は思う。


「俺さ……やっぱり、小説で仕事をしたい」

「どうしたの、突然」

「今日のこと。このままずっと、華との約束を怖がりたくない」

「……そっか」

「仕事は……フリーランスになろうかなって」


 成果報酬になる代わりに、自分の時間が取れる。

約束を破らないために、まず取れる方法はそれだった。


 結菜は、龍登の提案にも動じない。


 それどころか、笑顔を見せた。


「いいと思う。龍登が、そうしたいなら、そうしたほうがいいわ」

「ありがとう、結菜」


 頭を下げる龍登に、結菜が隣に座って手を握りしめる。


「いいのよ。ふたりで支え合っていくって決めたでしょ」

「……ああ」


 このままでは駄目だ。

時間も取って、なるべく小説をメインに書き続けた。


 自信作を、ネット小説に掲載するも、結果は……。


「ふう……」


 龍登は、天井を眺める。


(また……駄目だろうな)


 初速が悪い。

大抵、こういう時は、伸びないのを経験則で分かっていた。


 何年もの間、書き続けたが、結果が伴わない。


「諦めるな……諦めたら、終わりだ」


 過去に上げた小説も、なんとなくコンテストに応募することにした。

今までは、最新作ばかりで、過去の作品をコンテストに乗せることはしなかったのだ。


 他にも、ネット小説だけではなく、作品を公募しているところにも応募した。


 それは、なんとなくだ。

まだ諦めたくないという後悔からでた行動だった。



 半年後。


 フリーランスの仕事を片づけて終わり、休憩しているとき。


「……ん?」


 メールに連絡が来ていた。


【FNWR株式会社】

 

 出版社からの名前だ。

コンテストの結果が出る前の連絡。


 メールを読み続けて、龍登は走っていた。


「結菜!」

「!!」


 びくっと、結菜の肩が上に動いた。



「びっくりした。急に大きな声出して、どうしたの?」

「こ、こ、これ」


 声も、手も、震えていた。


 結菜は、じっと、龍登が見せてきたスマホを見る。


「龍登!!」

「わ!」


 結菜が、ものすごい勢いで飛びついてきた。

突然のこと過ぎて、龍登は転んでしまい、ふたりして転んだ。


「おめでとう、龍登!!!」


 結菜もまた、龍登の書籍化を泣いて喜んだ。

就職をするといった時も、正社員になったときも、昇格したときも、笑顔だけだった。


 けど、今回は違う。

本気で泣いて喜んでくれた。


(ああ……これだ。

俺が見たかった光景は、きっとこれなんだ)


 心にすっと入ってきた。

ようやく待ち望んだものが、手に入った瞬間。


「結菜……俺さ、これから軌道に乗ったら、小説や、配信で食っていきたい」

「うん……うん、絶対、その方がいいよ」

「ついてきてくれる?」

「当たり前でしょ」

「ありがとう……結菜。本当に、ありがとう」

「龍登、ありがとう」


 軌道に乗るのも、大変だった。

けれど、それでも小説で食べれる額は稼げるようになっていく。


 フリーランスも手放して、小説を書きながら、ラジオ配信を始めた。


 過労で倒れてから、執筆を続けて8年。


 人によっては短いかもしれないが、

龍登がようやく掴んだ自分だけができる仕事。


 大変だったけど、振り返れば納得のいく人生だった。


 龍登は笑って言った。


「久しぶりに、どら焼き食べない?」

「クリーム入りよね?」

「もちろん、ふんわり堂の」

「じゃあ、四人で食べましょう」

「え、四人?」

「そう、四人で」

「結菜!!!」

「きゃ!」


 そこからも、どうにか足掻いて足搔いて、ようやく軌道になった。


 龍登が目指していた本当の幸せの形。


 龍登は、自身の手で掴み取った。


 三人と、お腹の中の子一人。

家族全員で食べるクリーム入りのどら焼きは、この世で最も至福の時間へと変わっていた。

 


読んでいただきありがとうございます!

もし少しでも心が温まった、良い話だなと思っていただけたら、

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