第八話 音継ぎの歌
# 主要登場人物
## 音菅
- 38歳、男性
- 音継師
- 失われた音の修復と保存を専門とする
- 繊細で聴覚が鋭敏な性格
- 代々の音継師の家系
- 新しい音継ぎ技術の開発者
## 音乃
- 29歳、女性
- 音菅の妹
- 触媒調合師
- 兄の仕事を技術面で支える
- 実直で研究熱心
- 音と触媒の新技術を共同開発
## 響
- 75歳、男性
- 村の長老
- 失われた祭りの音を探す依頼者
- 温厚で伝統を重んじる
- 村の文化継承に尽力
- 音の復活を強く願う
一
音菅は、古い響石を手に取った。かすかに、何かが鳴っている。
「兄さん」
音乃の声が、工房に響く。
「これは」
「ああ」
音菅は、静かに頷いた。
「間違いない。百年前の祭りの音だ」
響石の中で、かすかな振動が続いている。しかし、その音は弱々しく、まるで今にも消えてしまいそうだった。
「響様の言っていた音ですね」
音乃が、触媒の入った小箱を準備しながら言う。
音菅は、再び頷いた。
村の祭りに不可欠だった音。
百年前に失われ、今では誰も覚えていない音。
それを、この響石が細々と伝えていた。
「でも」
音乃の声が心配そう。
「このままでは」
そう、このままでは音は消えてしまう。
響石の中の触媒が、限界を迎えようとしている。
「新しい技を使おう」
音菅は、静かに決意を告げた。
「音乃、準備を」
妹は、無言で頷いた。
兄妹で開発してきた、新しい音継ぎの技。
まだ誰も試みたことのない方法。
それが、この音を救う最後の手段だった。
二
「始めます」
音菅の声が、調音所に響く。
中央には響石が置かれ、その周りを特殊な触媒で描いた円が取り巻いている。
「音封じの準備、できました」
音乃が、最後の印を描き終える。
音菅は深く息を吸った。
この技は、危険を伴う。
音と触媒の強すぎる反応は、時として制御不能になる。
「解放」
音菅の声とともに、響石が淡く光り始めた。
中の音が、少しずつ漏れ出してくる。
かすかな鈴の音。
太鼓の低い響き。
そして、人々の声。
祭りの音が、百年の時を超えて蘇る。
「兄さん!」
音乃の警告の声。
音が、制御を失い始めていた。
響石から漏れ出た音が、不協和音となって渦を巻く。
「大丈夯」
音菅は、冷静に次の印を結んだ。
「音繋ぎ」
新しい触媒が、暴走する音を包み込んでいく。
それは、まるで糸で音を紡ぐかのよう。
「見えます」
音乃の声が、感動に震えている。
「祭りの情景が」
確かに、音は映像を作り出していた。
太鼓を打つ人々。
踊る子供たち。
笑顔で拍手を送る観衆。
百年前の祭りの光景が、音とともに蘇る。
三
「これが、本当の音なのですね」
響の声には、深い感動が滲んでいた。
音菅は黙って頷く。
調音所に満ちる祭りの音。
もはや不安定さはなく、確かな強さを持って響いている。
「しかし」
響が不思議そうに尋ねる。
「なぜ、こんなにも鮮やかに」
「音は、記憶を運ぶのです」
音菅は静かに説明した。
「人々の喜び、興奮、祝福。すべてが、音の中に」
「そうか」
響の目に、涙が光る。
「だから、失われた音を」
音菅は、響石に手を当てた。
「音は、人の心そのものです」
「だから、私たち音継師は」
「音を継ぐのではなく」
音乃が、兄の言葉を継いだ。
「心を継ぐのですね」
工房に満ちる祭りの音。
それは、百年の時を超えて、人々の心を運んでいた。
四
「お聞きください」
村の広場に、新しい音が響き渡る。
かつての祭りの音は、もはや単なる過去の記録ではない。
現在に生きる音として、力強く鳴り響いている。
「懐かしい」
「でも、新しい」
「確かに、祭りの音だ」
人々の声が、感動に震えている。
音菅は、静かに目を閉じた。
音は、確かに受け継がれた。
しかし、それは単なる音の複製ではない。
新しい時代に向けて、再び生まれた音。
「これからは」
音乃が、兄の傍らで言う。
「毎年、この音とともに」
音菅は頷いた。
失われた音は、もはや失われてはいない。
それは、新しい命を得て、未来へと継がれていく。
「音継ぎの仕事は」
音菅は、響石を大切に抱きながら言った。
「音そのものより」
「音の中の心を」
音乃が、静かに言葉を継いだ。
「守り継ぐこと」
広場に響く祭りの音。
それは、過去と現在、そして未来をつなぐ、永遠の響きだった。
(終)