第五話 光を織る
# 主要登場人物
## 月緯
- 19歳、女性
- 織師
- 伝説の光織りの再現に挑む
- 繊細で完璧主義な性格
- 伝統織物の家系の末裔
- 触媒を織り込む新技術の開発者
## 錦手
- 68歳、女性
- 月緯の祖母
- 元名織師
- 穏やかで深い知恵を持つ
- 光織りの技を知る最後の世代
- 孫娘の才能を導く導き手
## 糸雨
- 25歳、男性
- 触媒師
- 糸への触媒込めを専門とする
- 寡黙だが技に誠実
- 月緯の技術的支援者
- 新しい織物技術の共同開発者
一
月緯の指が、織機の上で止まった。
「まただめか」
糸雨が、静かに言う。
編み込もうとした触媒が、また糸を焼いていた。光る糸と呼ばれる、触媒を編み込んだ糸。それを織り上げることが、月緯にはまだできない。
「もう一度」
月緯は、新しい糸を手に取った。
しかし。
「今日はもう休みなされ」
祖母の錦手が、工房に入ってきた。
「糸も触媒も、織り手の心が曇っては受け付けぬもの」
「でも」
月緯は、焼けた糸を見つめた。
「結界衣の約束が」
「分かっておる」
錦手は、孫娘の肩に手を置いた。
「だが、拙速は技を誤らせる」
月緯は、ゆっくりと立ち上がった。
工房の窓から、夕暮れが差し込んでいる。
糸を照らす光が、まるで血のように赤い。
「おばあ様」
月緯は、ふと思い出したように尋ねた。
「光の織物って、本当にあったのですか?」
錦手は、遠くを見るような目をした。
「あったとも」
その声は、懐かしさに満ちている。
「私の母が、一度だけ織り上げた」
「どんな」
「まるで、月光を織ったよう」
錦手は微笑んだ。
「触れると、ほんのりと温かくて」
月緯は、黙って祖母の言葉を聞いた。
光を織る。
それは、この里に伝わる伝説の技。
「私にも」
月緯は、小さく呟いた。
「できるでしょうか」
錦手は、答えなかった。
ただ、孫娘の頭を、優しく撫でた。
二
「これは」
月緯は、蔵の奥で見つけた古い織機を見つめていた。
普段使うものとは、明らかに構造が違う。
「母の残したものじゃ」
錦手が、懐かしそうに言った。
「光を織った、あの織機」
月緯は、息を呑んだ。
織機の枠には、不思議な模様が刻まれている。
触れてみると、微かに温かい。
「これは」
糸雨が、織機を見つめた。
「触媒を受け入れる、特殊な」
「そう」
錦手は頷いた。
「普通の織機では、触媒は糸を焼く」
「だが、この織機は違う」
月緯は、織機の模様をなぞった。
複雑な文様の中に、何かの理があるはずだ。
「使ってみてよい」
錦手が言った。
「月緯、お前なら」
「はい」
月緯は、強く頷いた。
「必ず」
三
「織機が、温かい」
月緯の声が、工房に響く。
古い織機に、新しい触媒が響き合っている。
「この織り方で」
糸雨が、緊張した面持ちで言う。
「織物が、触媒を」
「受け入れる」
月緯は、静かに頷いた。
指が動く。
織機が鳴る。
糸が交差する。
そして。
「光る」
思わず、声が漏れた。
織り上がっていく布が、淡く光を放っている。
まるで、月の光を織り込んだかのように。
「これが」
糸雨の声が震えた。
「光の織物」
「違う」
月緯は、織り続けながら言った。
「これは、始まり」
織機が、さらに温かさを増す。
月緯の指が、より速く、より確かに動く。
それは、もはや技というより、祈りに近かった。
「編み込むのは」
月緯の声が、静かに響く。
「光だけじゃない」
想いも。
願いも。
守りの心も。
「結界衣は」
月緯は、最後の糸を通した。
「こうして、織り上げるもの」
四
「美しい」
錦手が、完成した布を見つめていた。
淡く光る布は、触れると確かな温もりがある。
そして、何より。
「確かな、守りの力」
糸雨が、布の上で触媒を試した。
「これほどの結界布は」
「祖母様の母の作品には」
月緯は、織機に手を置いた。
「まだ、遠く及びません」
「いいえ」
錦手は、静かに首を振った。
「お前は、お前の光を織った」
その通りだ、と月緯は思った。
これは、誰かの技を真似たものではない。
自分の手で、自分の想いで織り上げた。
「次は」
月緯は、また新しい糸を手に取った。
「もっと、強い守りを」
錦手は、微笑んで頷いた。
工房の窓から差し込む朝日が、織機を優しく照らしている。
その光の中で、月緯の新しい織物が、始まろうとしていた。
(終)