第三話 火継ぎの道
# 主要登場人物
## 火垂
- 24歳、男性
- 火縄銃の鍛冶師
- 触媒技術との融合を研究
- 真摯で研究熱心な性格
- 伝統を重んじながらも革新を追求
- 金属と触媒の融合という新技術を開発
## 炎渡
- 58歳、男性
- 火垂の師匠
- 伝統的な鍛冶技術の達人
- 最初は新技術に懐疑的だが、弟子の才能を認める
- 厳格でありながら理解のある指導者
- 火垂の挑戦を支える良き理解者
## 雫
- 27歳、女性
- 触媒調合の専門家
- 火薬と触媒の新しい配合を研究
- 進歩的で実験好きな性格
- 火垂の研究に協力する技術パートナー
- 従来の火薬技術に新機軸をもたらす研究者
一
火垂は、静かに目を閉じた。
手の中の火縄銃が、微かに脈動している。これは普通の火縄銃ではない。銃身に埋め込まれた触媒が、火垂の体温に反応しているのだ。
「準備はよいか」
師匠の炎渡の声が、試射場に響く。
「はい」
火垂は目を開けた。
的までの距離、五十歩。通常の火縄銃では、この距離での命中は難しい。しかし。
「火薬の調合は問題ありません」
火垂の横で、雫が静かに告げた。
「触媒の反応も、計算通りのはずです」
火垂は無言で頷いた。この試作には、雫の技術が不可欠だった。従来の火薬に、特殊な触媒を配合する。その完璧な調合なしには、この実験は成り立たない。
「では、始めよ」
炎渡の声が、再び響いた。
火垂は、ゆっくりと火縄銃を構えた。
照準を合わせる。
深く息を吸う。
そして。
轟音が谷を震わせた。
二
「まだ、足りんな」
工房で、火垂は完全に冷えた銃身を見つめていた。発射の衝撃で、埋め込んだ触媒の一部が剥離している。
「でも、命中精度は確実に向上しています」
雫が、試し打ちの記録が記された紙を広げた。
「通常の火縄銃と比べて、三倍の精度です」
「しかし」
火垂は首を振った。
「このままでは、実用には耐えない」
「無理もない」
炎渡が、静かに言った。
「金属と触媒を融合させる。それは、誰も成し得なかった技だ」
火垂は黙って師匠を見た。炎渡は火垂の目を見返し、ゆっくりと続けた。
「だが、お前はそれを半ば成し遂げた」
「師匠...」
「私は最初、反対した」
炎渡は苦笑した。
「触媒など、異端の技だと」
工房の明かり取りから、夕暮れの光が差し込んでいた。
「しかし、お前は諦めなかった」
炎渡は火垂の肩に手を置いた。
「そして、ここまで来た」
「はい」
火垂は静かに答えた。
「ですが」
「何か、思いあたることでも?」
火垂は、作業台の上の古い巻物を見た。先代から伝わる鍛冶の技法書だ。
「触媒を埋め込むのではなく」
火垂はゆっくりと言った。
「金属に触媒を」
「融かし込む?」
雫が息を呑んだ。
「でも、それは」
「危険すぎる」
炎渡が厳しい声で言った。
「触媒は、溶けた金属に触れれば」
「爆発する」
火垂は静かに頷いた。
「分かっています」
「しかし、やるのだな?」
炎渡の声が、諦めを帯びていた。
「はい」
火垂は決意を込めて答えた。
「これしかないのです」
三
「準備は整いました」
雫が、特殊な触媒の入った壺を置いた。
火垂は無言で頷いた。
工房の炉が、赤々と燃えている。
その脇には、特別に準備された鋳型が置かれていた。
「最後の確認をするぞ」
炎渡が、一つ一つ確認していく。
「防護の結界は?」
「二重に張りました」
雫が答えた。
「避難経路は?」
「工房の裏口からです」
火垂が答えた。
「何かあれば、すぐに」
「では」
炎渡は深いため息をついた。
「始めよう」
火垂は炉に向かった。
中で、金属が既に溶けている。
銃身を作るための、最高級の鋼だ。
「雫殿」
「はい」
雫が、慎重に触媒を準備する。
火垂は、もう一度深く息を吸った。
これが最後の機会かもしれない。
しかし、それでも。
「行きます」
火垂は、溶けた金属に、ゆっくりと触媒を注ぎ込んだ。
瞬間、炉が激しく明滅した。
「這え!」
炎渡の叫び声。
しかし、火垂は炉から離れなかった。
溶けた金属が、触媒と混ざり合おうとしている。
その様子が、火垂には手に取るように分かった。
「まだです」
火垂は歯を食いしばった。
「もう、少し」
炉が、轟音を立てて振動する。
熱波が、工房中を揺らした。
そして。
「できた」
火垂の声が、静かに響いた。
炉の中で、金属と触媒が完全に溶け合っていた。
まるで、水に溶ける塩のように。
四
「撃てます」
火垂は、新しい火縄銃を構えた。
試射場には、緊張が満ちていた。
今度の的までの距離は、百歩。
通常の火縄銃では、夢にも及ばない距離だ。
「気をつけろよ」
炎渡の声が、心配そうに響く。
「大丈夫です」
火垂は確信を持って答えた。
「この銃は、私の」
言葉が途切れた。
私の体の一部、とでも言おうとしたのだろうか。
しかし、それは正確な表現ではない。
この銃は、私たちの技の結晶なのだ。
「行きます」
火垂は、静かに告げた。
照準を合わせる。
深く息を吸う。
そして。
銃声が、谷を震わせた。
しかし、今回は違った。
轟音ではなく、まるで大きな鐘が鳴るような、澄んだ響き。
「見事」
炎渡の声が、誇らしげに響いた。
的の中心に、完璧な弾痕が刻まれていた。
「これで」
雫が感動した声で言った。
「新しい時代が」
「いいえ」
火垂は首を振った。
「これは、始まりに過ぎません」
火垂は、まだ温かい銃身に手を当てた。
触媒と金属が完全に一体となった銃身が、生き物のように脈打っている。
「技は、まだまだ先へ」
火垂は、夕陽に照らされた銃身を見つめた。
「私たちの道は、ここからです」
(終)