58 悪女は鬼と和解する
頭を埋め尽くしていくハテナマーク。
いっぱいになる前に、答えが届いた。
「今日は絶対に一つになりたいと思っていた。お前の中に俺の居場所を残そうと……必ず帰って来られる場所を残そうと……そう思っていた。だけど、それは間違いかもしれない」
彼はまだ赤い顔を上げ、私の目を真っ直ぐに見る。
「もしもお前を抱いたりしたら、俺のオニはご機嫌になりすぎて。嬉しすぎて、幸せすぎて、満たされすぎて……きっと全員死んでしまう。俺をこの世に留める、怒りや、恨みや、悲しみや……そういった負の鉤が緩んでしまったら。二度と帰って来られない気がして怖いんだ」
ああ、そうね……私もそうだわ。
前世の辛い記憶があるから自由を求め、今世の孤独感があるから愛を求める。どちらの苦しみも、そこから生まれた欲も、私を生かす力になっているんだわ。今の私を創っているんだわ。
私は自分の胸に手を当て、大切な鬼と握手をした。
「オニは一匹残らず戦地へ連れていって、俺と一緒に戦ってもらう。だから、今夜はまだお前を抱かない。必ず帰って来て、思いっきり褒美をもらうよ」
ニヤリと笑い、熱い手を伸ばす彼。
その掌にすりすりと頬を寄せている内に、私はハッとする。
「ダメ……ダメよ。抱いてくれなきゃ、魔力が……」
「え?」
何と伝えるべきか分からない。
ここが創造上の世界だと言えば信じてくれるだろうけど、出来れば話したくないし。
でも、彼の命には代えられないと、覚悟を決めた。
「……あのね、私を抱くことで、貴方の魔力が開花するの。強烈なブリザードを起こしたり、敵を瞬時に凍らせる氷魔法。その力があれば、有利な武器になるはずだから。だから、抱いてくれないと困るのよ!」
冷徹は目を数回瞬かせた後、こてっと小首を傾げる。私の頬から手をそっと離すと、それを宙に突き出した。
「魔力って、もしかしてこれのことか?」
ピシピシと音を立てながら、彼の手に集まる氷の粒。やがて大きな玉となって、部屋中に強烈な冷気を放出し始める。
うそ……何で開花しちゃってんの?
むき出しの腕には鳥肌が立ち、ぽかんと開いた口から出る息は白く濁っていく。
「いつから? ねえ、それ、いつから使えていたの?」
「うーん……お前が嫁いできた辺りかな。感情が高ぶると妙に寒くなるのに気付いて、魔力専門医の診察を受けたんだ。随分練習して使いこなせるようになったから、戦地でも役に立つだろう」
そう言いながら、冷徹は巨大な氷の玉を、跡形もなく簡単に握り潰す。
嫁いできた辺りって……野宿して風呂に落とされてバーベキュー大会してた頃よね?
バーベキュー大会……
“ フラットな食欲に火が点き、もしゃもしゃごくごくやっていると、悪魔が冷気を纏いながら言った。”
“ ブリザードが放たれるも、ちっとも寒くない。むしろ暑かったくらいだから快適だ ”
( ※11話参照 )
そうだ、思い返せば確かにあの時から……
何度も感じていた冷気やブリザードは、気のせいなんかじゃなく魔力によるものだったの?
「でも、どうして……魔力が開花するには、愛で心が大きく揺さぶられなきゃいけないのに」
思わず口にしていた疑問に、冷徹は少し考え、ふっと笑う。
「……愛していたんじゃないか? 間違いなく」
へ。
「あんなに臭くて汚くて意地汚くて面白くて可愛い女、心が揺さぶられて当然じゃないか」
はあ。
「出会った瞬間から、俺はお前に魅入られてたんだよ。冷徹な俺をこんなに簡単に堕とすなんて……本当に、とんでもない悪女だな」
「…………ダーリンっ♡」
ギュッとしがみつく私を、彼はコアラみたいに抱き上げ、くるくると回る。
数えきれないくらい、何度も唇を求めては落とされ、落としては求められ……ぐずぐずに熔けてしまったところで、ぽふんとベッドに倒れ込んだ。
ちっとも冷めない熱に、はあはあと肩を上下させる二人。
何とか息が整うと、私は冷徹の上に跨がり、その優しすぎる瞳をキッと見下ろす。
「……戦場では冷徹でいなさい。敵は悪でいいし、味方は駒で構わない。冷たかろうが何だろうが、自分の命を優先することが勝利に繋がるのよ。……あんたは最高に強くてクールな大将なんだから」
「……うん」
「絶対に帰って来なさい。美味しいおみおつけをこしらえて、あの服で待っているから」
「……うん。帰って来るよ。必ず……必ず、お前への元へ」
優しく触れるだけの確かな約束。
それはどちらのものか分からない涙で、ほんのりしょっぱい味がした。
「ところで、どうして俺に魔力があることを知っていたんだ? 愛で開花する? とか、そんなこと俺も知らなかったのに」
「ああ……それは……」
言い淀む私を、冷徹は胸に抱き寄せる。
「いいよ、言わなくても。……前に言っただろう? もしお前が何らかの嘘を吐くとしたら、何かを守る為の嘘だって」
「……うん」
温かい腕枕の中で、丸窓の月を見上げる。
次第にぼやけて、再び目を開けた頃には、もう彼の姿はどこにもなくなっていた。