55 悪女は愛を交わす
貴方が、私を、愛しているかですって?
そんなこと……
「分かる訳がないでしょう。私だって、こんなに熱くて苦しいのに。自分の鬼を抑えるので精一杯なのに。でも……」
はあと息を吐き、冷徹の頬に手を当てる。
「もし貴方が今、私と同じように思っているなら、それは愛かもしれないわ」
「……同じって?」
「貴方に触れたい、抱き締めたい、キスしたい。貴方の為に一生美味しいおみおつけをこしらえたい……ううん、一生私のおみおつけを飲みたいって。そう思ってくれているなら……!」
────唇が重なったその瞬間から、多分時は止まっていた。
相変わらず器用な唇は、私から私を奪い、真っ白にしていく。真っ白になった何者でもない自分は、新しい自分を知りたくて、夢中で彼の愛に縋る。
甘い問いと、切ない答え。
そこには前世も今世も何もなくて。
唇が離れるその瞬間まで、時は二人だけのものだった。
…………ん?
涙を浮かべ、うっと嘔吐く冷徹。
私にズルリと凭れかかりながら、そのままベッドへ倒れ込んだ。
あらら、だから止めとけって言ったのに。
……え、言ってないって? そうだったわ~ははっとツッコむ。
仕方ないわ。
言ったところで、きっと止められなかったもの。
これからはお互い気を付けないと、すぐに鬼を暴走させてしまうわね。
足を投げ出して気絶する彼の、柔らかな黒髪をそっと撫でる。
真っ青な顔に唇を落としまくりたいところを堪え、私は一人立ち上がった。
「歯、磨こっと」
♡- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -ഒ˖°
その日の夕食から、さっそく冷徹の鬼は暴走し始めた。
今まではテーブルを挟んで向かい合っていた席が、さらっと隣同士にされている。おまけに椅子の間隔が狭すぎて、少し手を伸ばしただけでも肩が触れそうだ。
「……うん、やっぱりメイリーンのオミオツケは美味しいな♡ この味には、どんな一流シェフも敵わない♡」
そんな風に言われてしまえば、私もニマニマしてしまう。夫の大好物を皿に盛り、「はい♡ あなた♡」と差し出した。
「いいなあ。僕も飲んでみたいな、メイちゃんのオミオツケ♡」
絶対面白がっている王子に対し、冷徹は真面目に反応する。
「このオミオツケは、妻が私の好みに合わせて作った特別なものですから、王子殿下のお口には合わないかと。どうぞ、シェフが作った万人受けする味付けの方をお召し上がりください。あと、妻のことは “ 夫人 ” とお呼びください。非常に不快です」
キッと睨みながら、スープカップを空にする。
やれやれ。朝のことといい、不敬罪にならなきゃいいんだけど。
分厚いステーキ肉を頬張る私に、冷徹はあれこれと注文を付ける。
「今日はもうナットウはダメだぞ♡ 出来れば魚も♡」
「はい」
「野菜と果物もしっかり摂れ♡」
「はいよ」
「食後はすぐに歯を磨け♡」
「へいへい」
ったくうるせえなあ♡ と、フォークで刺した田楽を、綺麗な口に押し込む。
きょとんと丸くなり、きゅるんと輝く青い目。目尻をニマニマ垂らしながら飲み込むと、「あーん♡」と次を待っている。
「……ダメだこりゃ」
王子のそんな呟きが聞こえた気がした。
食後のデザートがテーブルに置かれ始めた頃、冷徹は不意に立ち上がり、暗い窓の外を窺う。
何やら緊張感の漂う背中を見つめていると、食堂のドアが慌ただしく開いた。
「お食事中失礼致します。閣下、王宮から早馬が……」
予期していたのか。素早く食堂を出て行く冷徹と、それに続く王子。しばらくして戻って来ると、夫は笑顔で私を抱き締めた。
「ちょっと出掛けてくるから。……歯磨きして、風呂に入って、いい子で寝るんだぞ」
その優しい声は、戦争の話をしてくれたあの時と同じ、苦しみと恐怖に震えていた。