47 悪女は前世を語る
「らあめん?」
きょとんとする夫。
そうか、きっと異世界では違う名称なのねと、悪寒を堪えながらヤツの説明をする。
「アイツよ……アイツ。具沢山の、ぐるぐるのスープ」
ダメだ。これ以上語ったら吐きそう。うぷっ。
幸いにも勘のいい夫はすぐ、「ああケンペリ王子の変なスープか」と察してくれた。
「嫌いなのか? アレ」
「うん。嫌いっていうより、怖いの。すごく」
「……実家で何かあったのか? 無理やり食べさせられたとか、作らされたとか」
「ううん、私は運んでいただけなの。毎日毎日、厨房から客席に。まあ、賄いは大体ヤツかチャーハ……炒めた米だったから、無理やり食べさせられてたといえばそうなんだけど」
粟立つ腕を擦っていると、その手を取られ、大きな掌にギュッと包まれる。
「よく分からないけど……相当辛かったんだろう? 誰よりも意地汚いお前が、食事と酒を残して気を失うくらい」
優しい言葉と眼差しに、鼻の奥がツンとする。
溢れる前に瞼を拭うと、ズッと鼻を啜った。
「うん……辛い。辛かったの、すごく。早朝から夜遅くまで、死ぬまでずうっと働いていたの」
「……死ぬまで?」
あっと口をつぐんだが、もう遅い。
夫の青い瞳には、何事も逃すまいという鋭い光が射している。
私はゆっくり上半身を起こすと、『前世』についてやんわりと語り始めた。
「……整理しよう。お前の前世は、東国料理のレストランの従業員。家族経営をいいことに、ほぼ無給で朝から晩まで馬車馬のように働かされた挙げ句、若くして過労死したと」
「はい、その通りです」
「……家族というのは、嫁ぎ先の義理の家族。つまり、お前は結婚していたんだな?」
「はい。今世はこの通り可憐な乙女ですけど、前世では酸いも甘いも噛み分けた妖艶な人妻でした」
うふっ♡ とウインクするが、ちっとも見てくれない。それどころか、綺麗な額にはピシピシと青筋が立ち、強烈な冷気を纒い始めた。
久しぶりだわ……こんな冷徹らしい冷徹。
私、何か悪いこと言ったかしら。
とりあえずウインクは止めて、夫の様子を窺う。
美しい顔の美しい唇は冷たく歪み、雹みたいな言葉が放たれた。
「 “ 前世では ” ? ……はっ! “ 今世 ” でも、お前は人妻じゃないか」
あら、そういえばそうね。
「可憐? 乙女? ……はっ! どこが! お前みたいなのが前世でも結婚していたなんて驚きだ。しかも恋愛結婚だと? はっ! 元夫はよっぽど物好きだったんだな」
「ふふっ。若かったから、可愛く見えちゃったんじゃないですか? それにほら、障害があればあるほど燃え上が……」
「うるさい! そんな話聞きたくもない!」
腕を組み、ふんとそっぽを向いてしまう。
なによ! 自分から話を振ったくせに。…………ん?
「ねえ、信じてくれたの? 前世の話」
身を乗り出し、つんとシャツを引っ張れば、口を尖らせながらもこちらを見てくれる。
「信じるも何も……お前がそう言うんだからそうなんだろう」
「ここへ嫁いで来る馬車の中で、突然思い出したって話も?」
「ああ。嫁いで早々、お前があの史上最悪の悪行を働いた理由も、それで理解出来た気がするよ。臭くても汚くても、とにかく自由気ままに過ごしたかったんだろ?」
そう言いながら、私の頭をくしゃりと撫でる。
こんな突拍子もない話を、そんな簡単に信じちゃっていいの?
と首を傾げていると、彼は私の心を読んだかのように、優しく微笑んだ。
「お前はバカだけど、人を傷付けたり陥れたりする人間じゃない。もしお前が何らかの嘘を吐くとしたら、何かを守る為の嘘だ。だから、お前が言うことは全部真実なんだよ」
全てを見透かしているような、深い青色にドキリとする。
そう、私は嘘は吐いていない。だけど……
ここが前世で読んだ小説の世界だってことは、一生心に秘めようと思っている。懸命に生きている異世界の人達に、自分は娯楽の為の創り物だなんて、絶対に思って欲しくないから。
特にこの人には……
彼の手を取り頬を寄せれば、ちゃんと温かい。
『文字』や『設定』なんかじゃなくて、ちゃんと生きている証拠だ。
すりすりすりすり
くんくんくんくん
掌から手首、腕撓骨筋へ。温度だけじゃなく、においや弾力までニマニマと確かめていると、突然ブリザードが直撃する。何事!? と凍りかけた顔を上げれば、更に冷たい両手でがしっと挟まれた。
「お前……元夫にもこんなことをしていたのか?」