43 悪女は裏設定を知る
…………ケツ?
一気に言われて情報を処理しきれなかったけど、ケツが沢山並んでた気がする。
その中で唯一、『ジュンケツ』という言葉だけが脳みそに引っかかっていた。
ジュンケツ、じゅんけつ…………『純血』?
この変換で合っているかしら。まさか『純潔』の方じゃないわよね?
いや、だって、あり得ないでしょう。
この容姿にこの筋肉よ!?
おまけに侯爵位を持つ騎士団長様で、一番お元気そうな二十代。それがまさか、『純潔』なんてこと……
でもその辺、小説には書いてなかったのよね。
メイリーンとの初夜シーンはあったけど、R15だからめちゃくちゃアッサリしてたし。(ちえっ)
よし、ここはストレートに訊いてみよう。
『純血』の方だったら、そんな訳あるかとツッこんでくれるはずだ。
「ねえ、今『ジュンケツ』って聞こえた気がするんだけど。貴方、まだ女性経験ないの?」
軽い調子で訊いたのに、赤鬼はこれ以上ないほど真っ赤っ赤な顔で、こくんと頷いた。
……マジか。
ちょっ、ちょっとちょっとなにこの可愛すぎる裏設定! 作者、神なんですけど!
もし正ヒロインならば、ここでポッと顔を赤らめ、可愛らしく口をつぐむべきかもしれない。
だけど私は偽ヒロイン。せっかく訊いたからには、もっと彼の裏を知りたくなってしまう。
「なんで? なんで純潔なの? たとえ冷徹でも、貴方なら女性なんてワラワラ寄って来るでしょうに」
「……さっきも言っただろう。他人に触られるのですら気持ち悪いのに、肌なんか合わせられるか」
「私は? 私のことも、気持ち悪いから嫌なの? だから避けるの?」
私の手首を掴んだままの彼の手。
素肌が触れ合ってしまっているそこへ、自然と互いの視線が向かう。
「違う……お前はしょっ中臭いけど、気持ち悪くも嫌でもない。だけど、怖いんだ」
「怖い?」
「ああ。お前に触れると、自分の意思ではコントロール出来ない凶暴なオニが、内側から身体を突き破ろうとする。冷徹なのに……清潔で純潔で高潔なはずなのに。熱くて熱くて怖いんだ!」
不意に手首を引き寄せられ、バランスを崩してしまう身体。ぽふっと抱き締められる形になり、厚くて熱い胸板に、顔が密着してしまった。
ドクドクドクドク
頬に感じる、激しい彼の鼓動。
まさか、本当にオニが胸板を突き破ろうとしているんじゃ……!?
心配になり慌てて顔を上げれば、妖しい青が私を見下ろしている。
うそ……うそうそ! 何この色気! これが純潔なんて、絶対嘘でしょ!
「一緒に飲んだあの夜……お前、俺に一体何をしたんだ?」
吐息がかかるほど近い距離。
日本酒と彼自身が混ざった濃厚な香りにクラクラしながらも、私は必死に平静を装う。
「……べつに。一緒にお酒を飲んで、おつまみを食べて、話をしただけでしょ」
「その後だよ。俺が酔って寝ている間に、何かしたんじゃないのか?」
「……何かって?」
「そうだな……たとえば……」
さっきの仕返しだろうか。熱い人差し指で、つんつんと私の唇をつついてくる。
妖艶な笑みを湛える青鬼。つんつんはどんどん熱を帯びて、その内つうっと輪郭をなぞり出した。
チカチカと点滅する信号。
きっ、きけん……危険すぎる!
暴走する鬼をどう抑えたらいいんだと考え、そうだ! と思いきり口を開いた。
ガブッ!!
「いてぇ!!!」
防衛本能が無意識に働いてしまったのか。可愛く甘噛みするつもりが、つい本格的に噛んでしまった。
鬼から冷徹に戻った夫は、涙目で人差し指を押さえている。
「ごっ、ごめん! ちょっと見せて」
血は出ていないものの、歯形がくっきりと付いた痛々しい指。水筒の水で冷やしたハンカチを巻き、様子をみることにした。
しばらくすると痛みが落ち着いたのか、冷徹は私をキッと睨み付ける。
「……このっ、ガキめ。あの雰囲気で夫の指を噛むヤツがあるか!」
「鬼が暴走してたから、止めてあげようとしたのよ。あんなに歯が食い込むとは思わなかったんだもん」
「お前の歯は普通じゃない! 一晩で牛一頭を平らげた牙なんだから気を付けろ!」
「牛だけじゃないっ! 豚も鶏も野菜も、ちゃんとバランス良く食べたわよ!」
「ふん!」
ああ痛いと文句を言いながら、そっぽを向く冷徹。
いつものノリにホッとしつつ……でもどこか寂しくて。温くなってしまったハンカチを指から離すと、大きなその手に、自分の手を絡めた。
ハッとこちらを見る冷徹に、私の中のメイリーンが切実に訴える。
「嫌いじゃないなら、もう避けないでよ。……避けられるのは、寂しいから」




