42 悪女は冷徹をつつく
◇◇◇
建国記念祭を終え、帰路に就く馬車。
屋敷へと向かうその車輪は、きんにく……きんにく……と恨みがましい音で回っている。
「あのぅ……」
低い声に顔を上げれば、行きと同じ正装姿の冷徹が、怯えた目でこちらを見下ろしている。
────最後の枡を空にしたあの後、揺らしても叩いても起きなかった男達。勝手にシャツを脱がせようと挑んだものの、どちらの巨体もうつ伏せで寝てしまった為、ボタンには手が届かず。
胸筋と腹筋は泣く泣く諦め、背筋だけペタペタと触ると(悔しいからシャツの中に手を突っ込んで、生で触ってやった)、女子会ならぬヤケ酒大会に突入した。
怒りでブチブチと切れるコルセットの紐。
楽になった腹に日本酒を流し込みながら、『せっかくゲームに勝ったのに!』とブーブー文句を言う。すると気を利かせたのか、美味しいカクテルを沢山作ってくれたバーテンダー。山盛りのオードブルが無くなるまで酒を堪能すると、眠り続ける男達を放置し、さっさと部屋に戻った。
『あ~れぇ~』と遊びながらドレスを脱がせてもらった私は、寝室へ向かい、新婚仕様のベッドにダイブする。舞い散る無駄な薔薇の花びらに、ケラケラ笑うクニコと二人、手を繋いで仲良く眠ったのだった。
「まさかあの程度で潰れるとは……うん、やはり一気飲みは危険だな」
「……また約束を破りましたね」
「違う! 夕べはお前に筋肉をジャッジしてもらう気満々でいたんだ! ……そうっ、オニ。私の中のオニが、米の酒にやられたせいだ!」
「ふん、都合良く鬼のせいなんかにして。私に触られたくなくて、酔い潰れたフリをしただけなんじゃないですか?」
「そんな! ……いや、ある意味触られたくはないが」
「やっぱり」
「違う! そういう意味じゃな」
「じゃあどういう意味なんですか? ジョフェズビブァッファ公爵のご令嬢だったら、ジャッジなんか関係なく、喜んで生筋肉を差し出すくせに」
「なっ……」
図星だったのか、口をあんぐりと開けたまま、言葉に詰まる冷徹。
ああ悔しい。こんな間抜けな顔でも綺麗なんてさ。くっさい納豆でも放り込んだろか。
「随分親し~い仲だったんじゃないですか? デビュタントでは令嬢をエスコートされたり、二人きりでピクニックを楽しまれたり。クニコも気を遣って、あえて私に言わなかったくらいですからね。……まあ、夕べ色々聞いちゃいましたけど(小説でも読んだし)」
「違う! 楽しくなんかない! 公爵に無理矢理押し付けられて断れなかったんだ!」
小説と全く同じ弁明に、ケッと悪態を吐く。
「……生筋肉、彼女には触らせたんですか?」
「さっ、 触らせる訳ないだろう! 他人になんか……気持ち悪い!」
「じゃあ私は? 『妻』なんだから、お触り権は所有しているはずでしょう? そうね……たとえば、二人きりのこんな密室なら、行使してもいいんじゃないかしら」
揺れる馬車の中、私は素早く立ち上がり、冷徹の正面から隣へと移動する。
ピタリと寄り添い、立派な上腕二頭筋に自分の左腕を絡めると、右手で彼のジャケットのボタンを外していく。
「おっ、おい!」
体格も力も比にならない私など、簡単に振りほどけそうなものを。よほど驚いたのか、彼は真っ赤な顔で固まり、されるがままになっている。ほんの少しからかうつもりが、ベストのボタンまで簡単に外せてしまった。
くすぐられる嗜虐心。シャツ越しの大胸筋を人差し指でつんとつつけば、それだけで「ふあっ」と艶かしい声を上げられてしまう。
可愛い……赤鬼だわ。
つんつんつんつん。
意外な反応と筋肉の弾力を楽しんでいると、突然両肩を掴まれ、「やめろ!」と引き剥がされてしまった。
ふん、なによ。
いやらしく撫で回した訳でも、生で触った訳でもあるまいし。
頬を膨らませ、再び人差し指を大胸筋に近付けるも、今度は手首を掴まれ阻止されてしまう。
「やめろ……! そんなっ、そんな風に触られたら……俺は清潔で純潔で高潔じゃなくなる! 孤高の冷徹じゃなくなるんだっっっ!!」