【おまけ】おかしな悪夢
……この夢を見るのは久しぶりだな。
暗い森。日に日にやつれ、薄汚れていく兵達。
どんよりとしたその光景にため息を吐く。
あのシーンを見るまでは、決して目覚めさせてはもらえない。夢だと分かっていても、怖くて苦しいあのシーンを。
だから、その時まで大人しく待つしかないのだ。
だが、今夜は少し違った。父が殺された崖の上ではなく、月明かりが揺れる湖のほとりに立っている。
ここは……見覚えがある。
確か、夜営で体を清めた場所か。
脳のどこかに刻まれている記憶が、兵達をわらわらとほとりに集め、服を脱がせていく。
やはりそうだ。広くて綺麗でいい湖だったな……などと考えていると、突然、強烈な悪臭に襲われる。
こっ、この臭いは……!
周りを見れば、案の定、蒸れたブーツを一斉に脱ぎ出す兵達。次々と草むらに放り投げ、楽しそうに湖へと飛び込んでいく。
……仕方がない。
雨の日も強い日差しの中も、国を守る為必死に歩き続けているのだ。この臭いは兵の誇りであり、勲章とも言えるだろう。
暗い水面のあちこちで光る波紋が……命が尊く、胸が苦しくなる。
「閣下!」
「水が冷たくて気持ちいいですよ!」
「閣下も早く洗いましょうよ!」
実際はこんな風に誘われなかったし、たとえ誘われたとしても、神経質な自分が他人と一緒に裸になることなどまずない。
第一この時はまだ騎士団長ではなかったのだから、『閣下』などとは呼ばれないはず。
うん、これはやはり夢だ。
水面に目を凝らせば、すいすい泳ぎながら手を振る父の姿もあり、思わず笑みが溢れてしまう。
……全くあの人は。
騎士団長のくせに何をやっているんだか。
臭いのに楽しくて、不思議なのに温かくて。
自分もそこに混ざりたいと思ってしまう。
途端に窮屈に感じるブーツ。よし! と勢いよく脱ぎ捨てた瞬間────
今までとは比べ物にならない、強烈な悪臭が鼻腔を貫いた。
これっ……は…………
臭いなんて生易しいものじゃない。兵器だ。
人一倍綺麗好きな自分の足が一番臭くなるのだから、戦とは恐ろしいものだと改めて思う。
うう、息が出来……ない……
皆と一緒に……泳ぎ……たい……のに……
はっと目を開ければ、そこにはピンク色の小さな物体があった。艶々していて、見た目は何とも愛らしいのに、強烈な悪臭を放っている。
徐々に整理されていく、寝るまでの記憶。
そうだ。ここは王宮の寝室で、いやらしいベッドしかなくて、身を守る為に持参していたナットウの臭いを嗅いで…………
コイツ、食べたな。
おえっ。
臭いのに、何故か目も鼻も逸らせない。
それどころか勝手に手が伸びて、悪夢の原因をぷにっとつまんでしまう。
柔らかくて、でも程よい弾力があって……
初めての感触に、全身が熱くなる。
────忘れるな。
俺は清潔で純潔で高潔な冷徹だ。
足も臭くない。
慌てて手を離し、そっとベッドから下りる。
まだ鳥も鳴いていない暗い室内。
離れてもまだ感触が残る指先を見つめれば、それはキラキラと糸を引いており、夢の中の臭い湖と重なった。
悪夢なのに怖くないなんて……おかしいな。
ふっと笑いながら、細い肩に布団をかけ直す。
室内扉から隣の部屋へ出ると、洗面用の水と高級石鹸で、手を念入りに洗った。