37 悪女は流される
“ 別室 ”
どこか危険な香りの漂うワードに、クニコのとある忠告が頭に浮かんだ。
『王室主催の公式行事ですのであり得ないと思いますが……万一殿方から、“ 別室で ” あるいは “ 休憩を ” などと勧められたら、必ずお断りしてください。100%いかがわしい目的ですから。
“ 騎士団長に相談してからにします ” とでも言えば、それ以上は誘われないと思いますよ。皆さん、命は惜しいでしょうから』
……なるほど。
この王子、いかがわしいヤツだったのか。
『親切で可哀想な当て馬』というキャラ像が、一気に崩壊していく。がっかりすると同時に、別の忠告も浮かんだ。
『王族や目上の方からのお誘いは、気が乗らないものであっても安易に断ってはなりません。判断に困るものは、ひとまず礼を述べた上で、 “ 夫に相談してからお返事致します ” とお答えしてください』
うーん、王族からいかがわしい誘いを受けている場合はどうしたらいいんだ?
ま、どちらにしろ、夫に相談すると答えればいいのか。
私は押し付けられたワイングラスをしっかり受け取ると、ぐいと飲み干し、王子に突き返した。
よし、ここはきっぱりと……
「お誘いありがろうございます。では、冷徹に相談しれから、夫婦でワインをゴチに参りますわ」
……あれ、なんか違うな。
飲酒欲が勝手に口から溢れてしまったらしい。
「冷徹…………?」
王子は小首を傾げた後、ははっ! と声を上げて笑い出した。イメージからは随分かけ離れた、豪快な笑い声。驚く私に、彼は腹を抱えながら愉快そうに尋ねる。
「ねえ、それ、その冷徹って、団長本人にも言ってるの?」
「はい。冷徹どころか悪魔に見える時もありましらよ。最近は鬼ばかりですけど」
「オニ?」
「はい。今日は黒鬼、時々赤鬼かな。……へへ♡ 私の旦那様、ここにいる誰よりもカッコいいでしょう? それに本当はすごく優しくれ可愛いの♡」
「可愛い……へえ、それは意外だ。美味しいワインを飲みながら、ぜひ詳しく聞かせて欲しいな。ささっ、別室へ移動しましょう!」
二次会に行くノリで、お~っ! と返事をしそうになるが、何とか踏みとどまる。
「冷徹、冷徹も一緒に」
「ええ、もちろん。今バルコニーでジョフェズビブァッファ公爵父娘と話しているようなので、後で別室へ来るよう伝えておきますよ。捕まったら夜会が終わると言われている程、公爵の話は長いですからね」
ジョフェズビブァッファ公爵!
あんのスキンヘッドめとバルコニーを見る。
愛しの夫は死角になっていて見えないが、確かに丸い頭がゆらゆらと揺れていた。
「とは言っても、私と二人きりではご不安でしょう。よろしければ、貴女の侍女も一緒にどうぞ」
「えっ、いいの? クニコもいける口なのよ!」
「それはよかった。広間にはない、とっておきのオードブルもご用意致しますからね」
「やっらあ!!」
こうして結局、ケンペリ王子のペースにどっぷり呑まれ、あっさり流されてしまった私。案内された別室には、いかがわしいベッドや手錠などはなく、とりあえずホッとする。
落ち着いた照明が照らすのは、酒のボトルが並んだ棚にカウンターテーブルと、まるでバーみたいな造りの室内。その中心にある、見るからに座り心地が良さそうなソファーのテーブル席には、既にグラスや豪華なオードブルが用意されていた。
「それでは……建国記念日と、新たな出会いを祝して。乾杯!」
「「かんぱぁい!!」」
ウキウキ加わったクニコと三人。小説にはなかった、やんごとなき酒盛りが始まろうとしていた。




