36 悪女は呑まれる
◇
「ちょっと……頭を冷やしてくる。大人しく柱の陰に隠れとけ」
真っ赤な顔でそう指示すると、私の鬼はふらりとバルコニーへ出てしまった。
あの人、一体どうしたのかしら。熱はなさそうだったけど。
エナリーワルツどころか、他の簡単なワルツでも、何度もステップを間違えては足を踏まれそうになるし。
目も合わせてくれないから呼吸もバラバラだし、しっかり支えてくれないから何度も転びそうになった。
……あっ、そういうこと?
幾ら嫌だからって、お務めはきちんと果たしてよね! こっちはご褒美なしで一生懸命頑張ったのに。覚え損じゃない!
こんな所で大人しくしていられるかと、私は鼻息荒く柱から出没する。
どうせ飲まないだろうと思っているのか、横を素通りしようとする給仕を捕まえ、金色に輝くグラスを手に取った。
芳醇すぎる香りと、見るからにきめ細かそうな泡。溢れそうになる唾を、ごくりと飲み込んだ。
間違いない。
これが異世界のドンペリ……
お上品にグラスを傾け、金色を口に含んだ瞬間、頭にやんごとなき天使が飛び交った。
なっ、なにこれ!
ごきゅっごきゅっごきゅっ……ごくん。
…………うまあ。最っっっ高!!
ドレスだし、お城だし、もう気分は女王様よ!
『くれぐれもお上品に』というクニコの教えも忘れ、あっという間にグラスを空にしてしまう。さっきの給仕を再び捕獲すると、空のグラスと新しい物を交換した。
コルセットなんかに負けてたまるか! と腹に気合いを送れば、プチッと紐が緩む。そうして空いたスペースへ、どんどんドンペリを流し込んでいった。
「お味はいかがですか?」
「ええ! 最っっっ高よ!! 前世でも今世でも、こんなに美味しいワインは初めて! さすがドンペリね!」
「ドンペリではなく、ケンペリです。私が生まれた年に編み出したブレンド法で作られたワインを、一部ではそう呼んでいます」
ん?
給仕だと思って気安く話していたが、滑らかなその声の主を見て、あっと驚く。
輝く銀髪に、金色の瞳。まるでグラスに注がれたシャンパンみたいな美丈夫が、そこに立っていた。
────ケンジート・ペリニャン第二王子。
例の当て馬キャラだ。
何で?
バルコニーになんか出てないし、泣いてもいないし、楽しく飲んでただけなのに。
何で話しかけてくるの?
困惑する私を余所に、ケンペリ王子はサッと手を上げ、給仕から赤みがかったグラスを二つ受け取る。
「さっき飲まれていた物とは熟成方法が違います。どうぞお試しください」
……王族から勧められた酒を飲まない訳にはいかない。差し出されたグラスを受け取ると、クニコの教え通り上品に傾けた。
「うっ……うま…………美味でございます~!」
堪らずごきゅごきゅと飲み干し、ぷはっと息を吐く。
「花っぽい香りがする! 花だけに、さっきのよりも華やかな感じですね。うーん……これはお肉とか、クリームソースの料理と相性がいいんじゃないかなあ」
「おっ、分かりますか? じゃあ……」
次はこちらをと、どんどん新しいグラスを勧めてくるものだから、わんこそばみたいにどんどん空にしてしまう。ヤバい……完全に酒と王子のペースに呑まれているわ。
「お酒、お好きなんですね。美味しそうに飲んでくださって嬉しいです」
「私も嬉しい♪ こんないいワインがタダで飲み放題だなんれ。色々大変だっらけど、来れよかっらわ」
「私も、貴女とこうしてワインを楽しむことが出来て光栄です。その個性的なドレスを見た時から、お話ししたいと思っていたんですよ」
「ああ、これ! 私のデザインでこしらえらの! 素敵でしょう?」
飲みかけのグラスを王子に預けると、黄緑色のスカートをつまみ、その場でくるりと回ってみせる。
「うん、本当に素晴らしい。胸元の愛らしいレース飾りと、ワイルドな腰の毛皮。一見アンバランスなのに、レッドダイヤのアクセサリーが品良く締めていて。東国風のデザインに見飽きてしまったので、非常に新鮮です」
東国風……ほんと、何でこんなに流行ってるのよ。
この広間に入った瞬間から、そこら中にいるコーラクの白衣に悪寒がしていた。他の色ならまだしも……新婚、多すぎだってば!
ちょうど側を通った白衣に、ひいっと飛び退き柱に隠れる。
「……きだ」
「へ?」
「ドレスと同じで、貴女も個性的だ。とても面白い」
おもしろ……へへっ♪
最高の褒め言葉に照れていると、王子はさっき預けたワインを、私の手にぐっと押し付けてきた。
「よかったら、とっておきのワインを飲みませんか? ……別室で」