35 悪女は悶々とする
夕べ……
私はぶうと頬を膨らます。
遠方から建国記念祭に招かれたゲストは、大抵首都のホテルか王宮に宿泊することになっている。
私達も今日の式典と夜会に備え、昨日の夕方には首都に到着した。当初はホテルに泊まる予定だったが、新婚なんだから♡ と国王が変な気を利かせてくれたお蔭で、王宮のスイートルームを用意されてしまった。
もちろん断る訳にもいかず、室内には薔薇の花びらを撒かれたキングサイズのベッド一つしかなく……。(ご丁寧にソファーもない)
今度こそ襲ってしまうかもと心配していたけれど、それは取り越し苦労に終わった。ベッドを見てあからさまに嫌な顔をした冷徹が、持参していた納豆の臭いを嗅いで、さっさと気絶してしまったからだ。
てか、ちょっと用意周到すぎない?
そこまで露骨に嫌がらなくても。
悔しくなった私は、冷徹の手から納豆を奪うと、ガツガツ掻き込んで、歯も磨かず隣に潜り込んでやったのだ。
せめて朝日の中で、『お前、足臭い♡』『え~納豆だってば♡』なんてじゃれ合えたらと思っていたのに。小鳥がチュンチュン鳴く前にいなくなってたし。
確か小説だと、『俺が床で』『私が床で』『じゃあ二人でベッドに』って定番の押し問答をした後、手を繋いで眠ったんだけどな。んで、朝起きたら自然と冷徹の胸に抱き寄せられていて、キュンとしたっけ。
……はあ。何だかメイリーンが可哀想になってきたわ。
初恋の人に全然意識してもらえないどころか、避けられちゃってさ。
やっぱりあの夜、設定よりも早く過去に踏み込んでしまったことがいけなかったのだろうか。何にしろ、原因はサツキね。
そんなこんなで、チクチクする胸を抱えながらも、無事に堅苦しい式典を終えた。
こうなったら夜会は思いきり楽しんじゃおう。エナリーワルツだけ踊ったら、ドンペリでヤケ酒だ! とわくわくしていたのに。こんなに苦しいんじゃグラス一杯も飲めるかどうか……トホホ。
「ゆ~~~っくり眠れたわよ」とだけ返す私に、クニコは「あら」と残念そうな顔をする。
ご期待に添えなくて悪かったわね。
でも、もしこのままの関係が続いたらどうなるんだろう。
たとえ嫌いでも、妻としての使い道があるなら結婚生活は続ける気なのかな。今のところ、『おみおつけをずっとこしらえろ』っていう命令は受けているし。おみおつけに飽きた頃、スパッと離婚するつもりなのかもね。
離婚されたらどこへ行こう。ハイジのベッドが沢山ある牧場で働こうかな。それか和食専属コックとして、そのまま屋敷で雇ってもらうか…………
イヤだ。
和食だろうが中華だろうが、厨房で働くのだけは絶対イヤだ!
己の鬼と闘っていると、偉そうなノック音が響き、私を悶々とさせる憎き張本人が現れた。
う……うわあああぁ……
夜会仕様の麗しい黒鬼に、さっきまで暴れていた鬼なんて吹き飛んでしまう。
私のデザインを残しつつも、仕立て屋によって、よりゴージャスに仕上げられた礼服。上等な虎の毛皮も、装飾として大胆にあしらわれているレッドダイヤも、彼の魅力をこれでもかと引き立たせている。
仕上がった服は見ていたけれど、実際に着た姿は当日のお楽しみにとっておいて正解! うーん、これは想像以上に素晴らしいわ!
「カッコいい……すっごくカッコいい! 大好き!」
「……だ、だい?」
元々赤かった顔を更に赤らめる黒……いえ、赤鬼。
そんな表情も可愛くて、避けられていると分かっていても、ついずんずんと近寄ってしまう。
頭から足の先まで、背伸びしたり後ろへ回ったり。360度、どこからどう見ても、私の夫は完璧だ。
「奥様もお綺麗でしょう?」
気を利かせて言うクニコに、赤黒鬼はピシッと固まる。
……はいはい、別にいいわよ。気を遣わなくて。
逞しい腕に手をスッと絡め、淑女らしい笑みを隣へ向けた。
「エスコート、お願いしますね」
明日も、数時間後も、たった一分後も。
どんなに考えても、未来なんてどうなるか分からないのだから。
とりあえず今は、最高の鬼を堪能させていただこう。