33 悪女は臭くない
オッケー♡
と即答しそうになり、寸前で踏み止まる。
ダメ。こんなに可愛くて色っぽいのと一緒に寝たりなんかしたら、襲わない自信がない。いや、確実に襲う。
……まあ、夫婦なんだし? 襲ったところで何も問題はないんだけどね♡
いや、ダメダメ。サツキならまだしも、清らかで可憐なメイリーンが男を襲ったりしたら、読者が離れちゃう。
ほら、一応ね、ここは小説の中の世界なんだから。
酒を飲んで暴れたりと、とっくにキャラ設定を崩壊させていることは置いておく。私は大きく深呼吸をすると、彼のふわふわの黒髪を撫でながら、出来るだけ落ち着いた声音で話し掛けた。
「いいわよ。でもテーブルを片付けたいから、先に寝ててね」
彼は素直に「うん」と頷くと、私にもたれ掛かりながら立ち上がる。
おっ……重い。さすが最強の筋肉を装備しているだけあるわ。
腰から腕を離してくれないものだから、私もズルズルと引きずられ、一緒にハイジのベッドへ倒れ込んでしまった。
ぐえっ! 酒もつまみも全部出そう。
腰にまとわりつく腕をポカポカと殴るも、背後からは「んー」という声が聞こえるだけで、ビクともしない。上腕二頭筋にガブッと噛みつき、命からがら脱出すると、寝息を立てる大きな身体を見下ろした。
ふう、とりあえず一人で寝てくれてよかったわ。
…………あっ!
「ねえ、歯磨きは?」
肩を揺すり、真っ赤な耳に呼び掛けてみるものの、返事はない。
綺麗好きな彼のこと。起きたら酒臭い自分に絶望するんだろうな……と思いながらも、諦めて長い足に布団を掛けた。
ささっと皿を片付けると、赤鬼が残した日本酒と、丸々一本残っているワインをぐびくびと飲む。急激に回る酔いで本能と煩悩を抑え込むと、きちんと歯を磨いてから、 酒臭いベッドに潜り込んだ。
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……臭い。
小鳥がやっと起き出したばかりの早朝。
冷徹は鼻をひくひくと動かしながら、重い瞼を開ける。
胸に感じる、何とも言えない生温さと冷たさ。確か前にもこんなことがあったな……と考え、すぐにその正体に気付く。首だけ起こして見下ろせば、やはりそこには、涎を垂らしながらすやすや眠る悪女がいた。
ああ、だから酒臭いのかと笑った瞬間、頭を雷で打たれたような衝撃が走る。
まさか……まさか、まさか!
自分の口に両手を当て、はあと息を吐けば、あまりの酒臭さに悶絶する。
そういえば……歯を磨いた記憶がない。それどころか、いつ、どうやって寝たのかも覚えていない。
まさかこの俺が、コイツよりも臭くなる日が来ようとは……
クラクラする頭を押さえ、必死に夕べの記憶を辿る。悪夢と臭い大豆の話をして……悪女に米の酒を何杯も注がれ……つまみを全て平らげたところで、それはプツリと途絶えていた。
冷徹はハッとし、自分と悪女の服を交互に見る。寝たせいで多少乱れてはいるが、『何か』があった形跡は見られない。
ホッとしたのも束の間……自分にくっつく悪女の、真っ平らだと思っていた胸に、ささやかな女性らしさを感じてしまう。生々しい妄想をしてしまったせいか、勝手に熱が高まる身体を、自分ではどうすることも出来なくなってしまった。
臭い、いやらしい、情けない。
冷徹は激しい自己嫌悪に陥る。
きっとこの女は、自分の中のオニと手を結び、内側から堕落させようとしているに違いないと。
────忘れるな。
俺は清潔で純潔で高潔な冷徹だ。
とりあえず歯を磨いて……と起き上がろうとするが、悪女にぎゅっとしがみつかれ、固まってしまう。
……本当にどうかしている。涎だらけのこんな汚い顔すらも、可愛いと感じるだなんて。
目を閉じ本能と煩悩と闘っている間に、人生二度目の二度寝をしてしまった。
酒とつまみで笑顔になった鬼は、冷徹の中で今、大きくその姿を変えようとしていた。