30 悪女は燃え尽きる
思わず取ってしまったその手は、冷徹どころか燃えるように熱い。彼は私へ挑戦的な笑みを向けると、素肌の胸にぐいと引き寄せた。
ドク……ドクドク……
彼の熱が、私のブラウスと下着を越えて、心臓まで侵食する。まるで直に素肌を合わせているような艶かしい感覚に、くらくらと眩暈がした。
ああ……今日は黒鬼でも冷徹でもない。純真無垢なメイリーンを一気に焦がす、危険な青鬼だわ。
サツキまでもが熱に浮かされ、正常な思考が停止する。繋いでいるのとは反対の手が、勝手に彼の胸板へと伸ばされるが、あと数ミリというところで、ふいと躱されてしまった。
「……触りたいのか? 胸板に」
素直にこくこくと頷けば、青鬼は美しい口元をクッと歪める。
「ならばあと二時間で、最高難度のエナリーワルツを習得しろ。もし出来なかったら……逆に俺が褒美をもらう」
こっ……これはっ!
ひょっとすると、出来ても出来なくても美味しいパターンじゃないか?
前世で散々読んだロマンス小説。ピコピコと光る選択肢に翻弄されていると、耳元に熱い息がかかった。
「手を抜いたりしたら、お仕置きしてやる」
お仕置きっ! お仕置き一択!
砕けそうになった腰を、魅惑的な腕橈骨筋に支えられる。それを合図に、ダンスレッスンの火蓋が切られてしまった。
一時間と五十五分後────
ぜえぜえと床に座り込む私を、青鬼は涼しい顔で見下ろしている。シャツの襟を整え、最後まで残っていた一番上のボタンを閉めると、クニコからクラヴァットを受け取りこう言った。
「今日の褒美は諦めろ。残念だったな」
あまりにハードなレッスンに、楽しい選択肢の光はとうに消え失せていた。それどころか、ステップを間違えるたびに閉ざされていく胸板に焦ってしまい、必死に食らいついている状況だ。
エナリーワルツめ……なんでこんなにクセが強いのよ!
生まれたての小鹿みたいによろよろと立ち上がると、今まさに結ばれようとしているクラヴァットをむんずと掴む。
「待って……あと一回っ。一回だけお願いします」
「……いいだろう。最後のチャンスだ」
青鬼はクラヴァットを抜き取り再びクニコに預けると、私の腰を力強く抱き寄せた。
間違えたらもう後がない。その一心で、もつれそうになる足を懸命に奮い立たせ、正確にステップを刻んでいく。
1・2・3♪ 1・2・3♪
何度も間違えた、最難関のクセつよターン。無事に着地し、気が緩んだのがいけなかったのか。足がつるりと滑ってしまった。
「わっ!」
……身体を襲ったのは、痛みでも冷たい床でもなく、逞しい肉の感触。むぎゅっと挟まれているそこは、立派な上腕二頭筋と胸筋の間だと気付いた。
へへっ、暖かぁい♡ と極上の狭間に浸っていると、無情な声が降ってきた。
「……時間切れだ。残念だったな」
私を引き離し、さっさとベストまで着込む青鬼を、呆然と目で追う。
あっ、そうか……ご褒美なしか。
すっかり隠れてしまった胸板を恨みがましく見つめていると、手首にきゅっと冷たい感触が走った。
何だろうと見下ろせば、いつの間にか両手がクラヴァットできつく括られている。
手品……それとも手錠か? と、いまいち状況を飲み込めずにいる私を、青鬼はクックッと嘲笑う。結び目の端を鎖みたいに持ち上げ、勝ち誇った顔でこう言った。
「約束だ。俺に褒美を寄越せ」




