24 悪女は鬼に堕ちる
柔らかい土と草が受け止めてくれたお蔭か、覚悟していたほどの衝撃はない。それでも鼻をまともに打ち付けたせいで、かなり痛いけど。
メイリーンはサツキよりも鼻が高いからなあ。美しいって、いいことばかりじゃないのね。
鼻がどうなったかよりも、クニコが作ってくれたハイジのワンピースが気になる。破れていないか確かめようと身体に力を入れるより先に、何かにひょいと抱き起こされてしまった。
「大丈夫か!?」
痛みで涙ぐんだ視界に映るのは、豆の雨を全身に浴びながら、私を見下ろす青鬼。その瞳は悪魔でも冷徹でもなく、ただただ心配そうに揺れている。
あら……鬼って優しいのね。
私は手を伸ばし、草の上に転がっていた升を手繰り寄せる。一粒だけ残っていた豆を指でつまむと、鬼の綺麗な唇の間に滑り込ませ、こう言った。
「私の勝ち」
カリッと豆を噛み砕く赤鬼を、からかうように舌を出す。だけど何だか恥ずかしくなり、すぐに下を向いてしまった。
柔らかな唇の感触が残る指先。ギュッと握れば、私の心臓はドキドキと高鳴り、口から飛び出しそうになる。
『私、一体どうしちゃったの?』なんて言わない。今の私は純真無垢な少女でも、前世の私は結婚歴ウン年目の大人の女性だったんだから。
これは……これは、恋だ。
メイリーンの初恋だ。
溺愛なんてどうでもいいと思っていたのに。所詮、設定には抗えないのだろうか。
「奥様! 大丈夫ですか?」
次第に豆の雨が止み、わらわらと集まってくる使用人達。赤鬼は私を抱き上げると、声高に叫んだ。
「豆はこの偉大なるオニが存分に受け止めた! これにてオニ祓いの儀式は終了とする! ……侍女長、離れに医師を呼べ」
長い足が繰り出す揺れに、思わず胸板にしがみついてしまう。その素肌の艶かしさに、私はごくりと唾を飲んだ。
いやらしくないなんて……嘘。これはかなり……危ない。
赤い喉仏をうっとりと見上げれば、綺麗な鎖骨の窪みから、豆が一粒ポロリと落ちた。
診断の結果、鼻とおでこを軽く擦りむいただけで、他は特に異常なかった。
正直痛みよりも、頭に人参を着けたまま医師と会話する鬼が可笑しくて、笑いを堪えるのに必死だ。その一方で、美しい鬼に頬を染め、チラチラと覗き見ては手元が疎かになる看護婦にイラッとしてしまう。
恋心に目覚めたばかりなのに、嫉妬心まで抱いてしまうなんて。感情が忙しすぎて、付いていけないわ。
「他にどこか痛む所は?」と医師に尋ねられ、そういえば膝も……と捲りかけたスカートを、大きな手でペシッと叩かれる。
黒鬼は初老の男性医師をギロリと睨むと、お前が診ろと看護婦に命じた。
擦り傷と痣が出来ていた膝の手当ても終わり、医師達が帰っていく。二人きりになった離れの屋根裏は、何だかやけに狭く感じて……また、心臓が騒ぎ出す。
ハイジのベッドに腰掛ける私に、容赦なく降り注ぐ青い視線。もじもじしながらも、私は口を開いた。
「あ……ありがとうございました。ここまで運んでくださって」
「……別に。離れの方が落ち着くんだろう? 草の寝床が置いてあるだけの、こんな狭苦しい場所の何がいいのやら」
「そうですねえ、色々素敵ですけど、そこの丸窓から差し込む月の光がすごく綺麗なんですよ? ベッドもふかふかで気持ちいいし。……あっ、よかったら座ってみてください」
隣をポンポンと叩けば、赤鬼は少し躊躇いながらも、虎柄の腰を下ろす。
白いシーツの中でふわりと沈む干し草。少し動けば逞しい腕にくっついてしまいそうになり、私は慌てて飛び退いた。
「……なんだ」
不機嫌そうに眉を寄せる黒鬼。
そうよね、自分からお隣へどうぞって言ったくせに、今の態度は失礼だったわ。苛立たしげに腕を組む鬼を見下ろし、どう謝ろうかと考えていると……ふと、お茶の間世代の血が騒ぎ出した。
黒鬼……白いふわふわ……雲…………
あっ、ああっ!!
「あのっ、あのね、ご主人様に是非お願いしたいことがあるの!」