21 悪女は厨房に入る
匂いの発生源はやっぱり厨房ね。
勇気を出して何とか近くまでやっては来たものの、いかにも厨房ですよ! といった造りのドアに足がすくむ。
ん? 何あれ?
ドアの上の方に、緑の葉っぱが掛けられている。
クリスマスリースかなと目を凝らせば、それは西洋風の異世界には合わなすぎるアレだった。
…………節分?
興味が恐怖を僅かに上回り、廊下の角から恐る恐る足を踏み出してみる。
柊に鰯……うん。どう見ても節分の飾りだ。
もう一歩ドアに近付くと、横に立っていた兵にサッと阻まれる。
「申し訳ありません。ご主人様のご命令があるまでは、どなたも中にお通しすることは出来ません」
「あ、いいの。中に入る気はない……っていうか怖くて入れないし。それよりこの飾り、何か知ってる?」
「魔除けと伺っておりますが、詳しくは存じません」
魔除け。やっぱり節分だわ。
小説にそんなシーンあったかなとしばらく考えるも、優しいお出汁と香ばしい味噌の香りに引き戻された。
節分におみおつけ……まるで日本に帰って来たみたい。郷愁に駆られ涎を拭っていると、ガチャリとドアが開いた。
「騒々しいと思えば……何の用だ」
人を瞬殺出来そうなオーラを漂わせながら、ギロリと見下ろす悪魔。その手には剣ではなくお玉が握られており、腰にはメイド達と同じフリフリのエプロンが愛らしく揺れている。
悪くはないけど……この匂いには割烹着の方が合うわね。ほっかむりも着けてさ。
汗ばんだ綺麗な額をぼんやり見上げていると、目の前にお玉をニュッと突き出された。
「相変わらず意地汚い顔をして。ふん、どうせオミオツケの匂いを嗅ぎ付けて来たのだろう」
「……そう! おみおつけ! こしらえてるの?」
「ああ。中に入れるなら、飲ませてやってもいい」
大きく開け放たれたドアから、良い香りがぶわっと鼻腔に流れ込む。恐ろしいコンロも調理台も、湯気の立つ魅惑的な小鍋を餌に、自分を手招きしている。
飲みたい……でも怖い。
日本は恋しいけど、コーラクは怖い。
『サツキ! 何モタモタしてるんだい! 店開けるよ!』
『はい! いらっしゃいませ!』
『いつもので』
『はい!』
『あ、こっちも注文いい?』
『はいっ!』
『餃子ラーメンチャーハン上がったよ!』
『はあい!』
『お水ください』
『はあいっ!』
『焼売タンメンチャーシュー上がりぃ!』
『はああいっ!』
『サツキ! ヒサコに昼持ってけ!』
『…………はい』
足が震える。
だけど、だけど……
よく見れば、コンロも調理台もコーラクとは全然違う。業務用のステンレスのギラギラしたアレじゃなく、中世ヨーロッパ風の趣のあるソレだ。
大丈夫。ここはコーラクじゃない。
へっぴり腰で何とか足を踏み入れれば、背後でガチャリとドアが閉められた。振り向けば、悪魔が鍵を指でくるくると回しながら、不敵な笑みを浮かべている。
────もう逃げられない。
私は覚悟を決めて、ナガコが引いてくれた椅子に座った。
「五種類の大豆ペーストと、魚や海藻のエキスを組み合わせ、幾つか作ってみました。奥様のレシピに一番近いと思われるのは……」
というシェフの言葉を遮り、悪魔がドヤ顔で私の前にスープカップを置く。
「これが一番美味い。飲んでみろ」
その白っぽい汁を見た瞬間、コレジャナイと思ったけれど、普段は凶悪な目をあまりにもキラキラさせるものだから言い出せない。
仕方なく一口飲んでみたけれど、期待していた涎が全部引っ込んでしまった。
…………甘っ!