20 悪女は誘き寄せられる
あ~あ、あれが全部酒だったらいいのに。
……そんな訳ないかと首を振れば、悲しみがどっと押し寄せる。
ナガコがこっそりくれたブランデー入りチョコの箱を抱えながら、ハイジのベッドを求め、とぼとぼと離れへ向かった。
◇
廊下を慎重に見回してから厨房に入った冷徹は、内側からも厳重に鍵をかける。ドアの前には見張りの兵も置く徹底ぶりだ。
「それにしてもすごい荷物ですね。狭くて仕事が出来るかどうか……なんて、はは」
『仕事の邪魔だからどこかへ移して欲しい』
遠回しなシェフの訴えは、冷徹の冷たいひと睨みで、粉雪の如く散ってしまう。
「厨房はガキが唯一恐れる場所だ。ここ以上に適した保管場所などないだろう。……ナガディア、ガキは離れに行ったか?」
「はい。例の物をお渡しして、こっそり召し上がるようにと申し上げたところ、ご機嫌で離れに向かわれました。お昼寝に丁度良い時間ですし、当分の間は戻られないかと」
「ふん、アイツは酒に餓えてるからな。ちょろいもんだ。……よし、では早速作業を始めよう」
調理台に並べられたのは、様々な種類の大豆ペーストと、干した小魚に海藻。それと削った木のような、魚どころかとても食材には見えないもの。
冷徹は小魚をサッと布で覆うと、震える手を後ろに隠し、何とか威厳を保ったまま声高に言う。
「離れの取り壊し費用と、馬小屋の改装費用を注ぎ込んでまで取り寄せた、東国の貴重な食材だ。最強のオミオツケとやらを完成させ、必ずあの女からガキを祓う。この屋敷を救う為、皆、心して任務に当たれ!」
「「はい」」
「……その前に、まずはこれを幾つか作ってくれ」
冷徹は例の本を広げると、ある挿し絵を指差す。
「柊に鰯の頭を刺すのでしょうか。何とも不気味な」
「ああ。いかにも魔除けといった飾りだな。生の鰯を輸送するのは難しい為、干した物にした。それでも多少は効果があるだろうから、作ってドアに掛けてきてくれ。私はその間に煎り大豆を仕上げる。オニが暴れた時にぶつければ、大人しくなるらしい。……ふっ♪」
────あの奥様が、豆をぶつけたくらいで大人しくなるだろうか。
シェフとナガディアはあり得ないといった表情を見合せるが、ご機嫌な主を前に、とりあえず頷くしか出来ない。
こうして手分けして魔除けアイテムを完成させた三人は、ようやく安心してオミオツケ作りに取り掛かった。
◇
「ん?」
どこからか漂う懐かしい匂いに、涎がつうと垂れる。
……やだ! 私ったら、お鍋を火に掛けたまま寝ちゃったのかしら!
ガバッと跳ね起き見回したそこは、コジマ家の台所でも、コーラクの厨房でもない。美しい薔薇色の夕陽が、丸太の壁をただ穏やかに染めていた。
いかにも洋風な室内なのに。この匂いのせいで、夕焼け小焼けでも聞こえてきそうだわ。
ベトベトの口を拭うと、鼻をくんくん動かしながら、半開きの丸窓へ近付く。
お屋敷の……厨房の方からだわ!
『厨房』
ゾッとするけど、元日本人の欲求には抗えない。
ほんの僅かでもアルコールを摂取した胃は、確実にそれを求めている。
生唾をゴクリと飲みながら梯子を降りると、私はふらふらと匂いに引き寄せられて行った。