18 悪女は悪魔を引き止める
私、いけないことを言ったかしら?
震える指で懸命にペンを動かす姿は、何かに怯えているようで。心配しながら見守っていると、悪魔はゆっくり顔を上げた。
「それは……そのオミオツケとやらは、材料を揃えれば自分で作れるのか?」
自分で? と少し想像しただけで、身体が凄まじい拒絶反応を起こす。
「無理……絶対無理。厨房には絶対に、死んでも入りたくない!」
「……何故だ?」
「怖いからです。厨房にはコーラクのトラウマが……とにかく怖いのっ!」
悪魔はまた顎に手を当て、何かを考える。「作り方は分かるんだな?」と問われ頷けば、さっとメモを取り、ペンごと胸ポケットに押し込んだ。
「今日の尋問はここまでにする」
「……あ! あのっ」
これだけは言っておかないといけない気がして、立ち上がろうとした悪魔を引き止める。
「何だ」
「私、犠牲になんかなっていません。こちらへ嫁いでから、今のところ毎日すごく楽しいです。まるで天国みたい」
「……使用人達に無視されたのに?」
「無視は見方を変えれば自由ですから。でも、ちょっとだけ誰かと話したいなって思ってたら、あく……れいて……ご主人様がお帰りになって。お蔭であんなに楽しい宴会が出来ました」
「……そうか」
悪魔の口元が、ふっと緩んだように見える。
「最後に訊く。ここで暮らすに当たって、お前の一番の望みはなんだ。正直に言え」
一番ねえ。それはもちろん……
「毎日のんびり暮らすことです」
「……それだけか?」
「はい。何にも追われず、自分のことだけ考えて、自由に暮らしたいです。それ以上の幸せはありません」
「そうか」
「へへっ、あと、出来れば酒とご馳走」
「今日はここまで」
悪魔は立ち上がり、ごそごそと動き始めたベッドに視線を送る。
「侍女達が起きたらそれを飲ませて、全員まとめて風呂に入れ。用意しておくから」
トレイの上には、まだジュースがたっぷり残っているピッチャーと、三人分のグラス。
ふふっ、冷徹のくせにと、温かな気持ちになる。
そう、ヒーローにも、冷徹にならざるを得なかった複雑な事情があるのよね。昔は素直で可愛かったって、クニコも言ってたし。確か……と小説の設定を思い出している内に、冷徹はもうドアノブに手を掛けていた。
「あ、ねえ!」
「……何だ」
眉をひそめながら、こちらを振り返る悪魔。なんとなく引き止めてしまったけれど、特にもう話すことはない。うーんと考え、咄嗟に思いついたことを口にした。
「夕べ私達は、どうやって部屋に戻って来たんですか?」
すると悪魔は腕を組み、呆れたようにため息を吐く。
「二人とも私が担いで来てやったんだ。ハイジのベッドで一緒に寝るだの泣き喚いて、ガゼボから離れないから」
ハイジの……ベッド。
切ない記憶が、もやっと甦る。
これ以上訊いてはいけないというブレーキに逆らって、つい突っ込んでしまう。
「どうしてそのまま寝かせてくれなかったんですか? ハイジのベッドで」
悪魔はもう一度ため息を重ね、残酷に言い放った。
「お前の言うベッドが干し草のことなら……処分したからだ。とっくに」