3. 反逆
上等じゃないか……
僕は内心ほくそ笑んだ。
巨大な敵の出現に、念気動格の最深部が震える。
あいつが本当にあのサイズに開発されたものなのか、それとも不確定フィールドのせいで狂った因果律が生んだ怪物なのか……
どちらにせよ、やりがいのある相手だ。
巨大クーガーは加速状態にもついてきているらしく、その黒光りする巨体をゆっくりとこちらに向けた。
僕は敵がこちらの動きに追いつく間を与えぬよう、奇襲をかけるべく身構えた。
その時……
僕の視覚センサーが視界のすみ……西口ロータリーの開口部からのぞいた地下広場の一角に、動く影を感知した。
「!」
人間だった。
二人……
母親と思しき女性と、それに抱かれた子供……
なぜこんなところに?
新宿は……いや、東京全土は星雲人侵攻によって、とっくの昔に無人と化したはずなのに……
避難が間に合わず取り残された住民か……
気がつくと、僕は地下の西口広場に飛び降りていた。
四足歩行の姿勢のまま、放棄されたタクシーの陰で座り込んでいる母子に近づく。
加速状態の僕の前で、母子は微動だにしない。それでも、恐怖に慄いているような様子はわかった。
立って逃げられるのか、そのまま動けないのか……
いずれにせよ、ここは危険だ。すぐにもクーガー同士の激しい戦いが始まる。
僕は戦いへの期待に燃えていた意識が、いつの間にかひとつの奇妙な義務感に取って代わられているのに気づいた。
彼らを安全な場所まで逃さねば……
僕は念気動格ロックを起動して、我が身を再び不確実フィールドの支配に委ねた。
ロック解除は騎手の専権事項だが、起動は僕にも可能だった。
「どうした? まだ五秒も経ってないだろ?」
加速中の状況はコマンダーにも把握出来ない。
コクピットの中は、極限定的不確定フィールドの影響外なのだ。
母子には、僕がいきなり目の前で実体化したように見えただろう。
一層恐怖の表情を濃くして、今にも叫び出しそうだ。
子供は火がついたように泣き出した。
「何やってる?」
僕はユラの問いに答えず、母子に手を伸ばしてゆっくりと抱き上げた。
母親は観念したように固く目をつぶったままじっとしている。
「何やってる! そんなもの放っておけ!」
背後から、ずんという鈍い振動が伝わってきた。
あの巨大クーガーが近づいてきたのだ。
ユラも新たな敵の存在に気付いた。
「こいつは……おい、早く逃げろ!」
僕は命令通り、広場から都庁方面へ伸びる地下道へ向かおうとした。
が、巨大クーガーが上の道路とロータリーを崩しにかかり、逆の方向へ逃げなければならなくなった。
新宿駅の南口方面に向かう地下道へ。
両手で母子を抱えたまま、僕は身を屈めて狭い地下道に飛び込んだ。
前足の使えない四足姿勢では、重力スケートでの走行がとても不安定だ。
「その人間たちを捨てろ!」
ユラの命令に、僕は危うく反応しかける。
だが、意志の力を振り絞ってその声をはね除け、突っ走り続けた。
「聞こえないのか! 命令を聞け!」
念気動格に刻まれた服従のプログラムが、僕の意識を苛む。
だがその苦しさが、逆に自分の意志を強くしている……気がした。
突然、前方の天井が崩落し始めた。
「!」
敵クーガーが地上から攻撃しているのだ。
センサーでこちらの位置を把握したらしい。
僕は都営新宿線の改札前で右にカーブを切り、さらに狭い通路に突入した。
このまま進めば、都庁に抜けるはずだ。
ボディを極力縮めてコンパクトな姿勢を取っているが、ところどころで壁にガガガと接触するのは避けられなかった。
おまけに地上からの攻撃も激しさを増し、僕は瓦礫と砂煙の嵐の中を疾走することになった。
「くっ!」
ユラが歯噛みする。
「操縦権を切る! このまま生き埋めになりたくないからな!」
「やめろ!」
僕の抗議もむなしく、ユラは念気動格の機能を操縦系から解除した。
「!」
一瞬、脱力感が僕を襲い、腕から母子がこぼれそうになる。
だが、僕はシステムの回路をこじ開けるように全身へ信号を送りまくり、ユラの操縦を妨害しようとした。
「こいつ!」
ユラが悪態をつく。
念気動格を切り離したのに、操縦系が取り戻せない。
闘獣機の反逆……こんな事態はあり得ないはずなのだ。
僕は僕で必死だった。
なんとしてもこの母子は守りたい。
理由はないが、とにかくそうしたいのだ。
もしかしたら、念気動格をアンロックした時に解放した僕の戦意がまだ尾を引き、自分自身の意志を貫くという方向に働いているのかもしれなかった。
「いうことを聞け! ヒビキ!」
ユラが、人間だった時の僕の名を呼んだ。
これは彼女がよほど追い詰められていることを示している。
この名前は僕に強く訴えかける力もあるが、かつて人間であったことも思い出させることになり、念気動格の安定を損なう危険もあるのだ。
僕は少しだけユラに同情した。
だが、ここは譲るわけにいかない。
その時、轟音と共に通路の天井が完全に崩落し、頭上に夕映えの空が現れた。
もう通路を使うことは出来ない。
僕はジャンプして地上に飛び出した。
迫る巨大クーガーの黒い腕をかわし、体を二足歩行モードに切り替えて、重力スケートを起動し走り出す。
見ると、すぐ目の前に都庁の姿が聳え立っていた。