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ン界周覧ブルーベリーバス  作者: 細井 真蔓
第一話 でたらめミーツガールズ
2/27

その2 水面

 公園の入口を前にして、ふいに聖が立ち止まった。

 その顔は、彼女の足元の、歩道と公園の境界に向けられ固まっている。

「……どうしたの?」

 つゆが、ためらいがちに声をかける。

「ほんとに、いいのか」

「……何が?」

「この公園、あたしたち、入ってもいいのか?」

「犬も子供も、普通に歩いてるよ」

 朝葉が眩しそうに、手のひらをかざしながら答える。

「大丈夫だよな……。越えてはいけない一線とか、ないよな」

「怖いこと言わないでよ」

「ほいっと」

 二人の視線が注がれたその一線を、朝葉が軽々と飛び越えた。

 呆気に取られる聖に、駆けていった朝葉が手を振る。

「行こうよ、学校始まっちゃうよ」

 目を丸くして見つめ合う聖とつゆを、朝葉の声が急かす。

「あいつは、何考えてるんだろうな、ほんと」

「うん」

 不安そうに固まっていたつゆの口角が、ほんの少しだけ上がった。


 三人がリズムよく芝生を踏む音に、小さな子供たちの喧騒が混じる。

「こんな朝っぱらから、わざわざ公園で遊ぶもんかね」

「学校が始まるまで、遊んでるんだよ」

「学校にも校庭があるだろ」

「公園は、なんか魅力があるんだよね。言葉では説明できないやつ。ね、姫」

「知らないわよ」

「ほら、サラリーマンだってさ、昼間公園に集まってくるじゃん」

「他に行くとこがないだけでしょ」

 公園のあちこちで、小さなグループが思い思いの様子で戯れている。

「朝から晩まで走り回ってるんだろうな」

「止まったら、死んじゃうんだよ。あの子たちは、きっと」

「何よ、それ。マグロじゃあるまいし」

「姫とわたしも、そうだったよね。懐かしいなあ」

 子供たちの蹴ったボールが、ふと、三人の足元に転がった。ボールを拾い上げた聖は、それをしげしげと眺める。

「なんか、変なボールだな」

 それは一見、サッカーボールのように見えた。ただ、均等に分けられてあるはずの白と黒のパターンが、奇妙に偏っている。

 聖がなかなかボールを寄越さないので、痺れを切らした子供の一人が駆け寄ってきた。

「悪い悪い、ほら……」

 続く言葉を失った聖の手から、ボールが転げ落ちる。

 子供の両手が、それをつかみ上げる。だが、それは手ではなかった。

 肩から生えているはずの両腕は、まるで膝のように大きく突き出した関節、いや、それはまさに膝そのものによって屈曲し、ボールを挟み込んだ手のひらのようなものは、見間違うべくもなく、剥き出しの爪先だった。

 子供は三人には目もくれず、そのまま走り去った。

 言葉もなく、三人はしばらくその場に立ち尽くしていた。驚きとも、恐怖とも言えない、未知の感情が三人を浸していた。

 それはある種の覚悟に似ていたかもしれない。目の前に置かれているのに、わざと焦点を合わせず見ないことにしていた事実そのものが、今くっきりとした輪郭を持って彼女らの網膜に焼き付けられた。

「学校、探そう」

 独り言のように、聖がつぶやく。

「でも、ここには学校らしき建物はないみたいだよ?」

「この公園しか手掛かりはねえだろ」

 歩き出した聖を、ふと、つゆが呼び止める。

「待って。この公園、見覚えがある」

「なに?」

「ところどころ違ってるし、妙に広いから初めはわからなかったけど、国道の南の公園じゃないかしら」

「ほんとだ!」

 朝葉が手を叩く。

「あのステゴの顔がついたジャングルジム、あそこのやつだ!」

「ステゴ?」

「ステゴサウルスでしょ、恐竜の」

 見ると、遠くに恐竜を模した遊具が置かれている。子供たちがへばりついているが、彼らがどのような姿をしているのか、ここからでは見えない。

「国道南ってことは、ずいぶん離れてるな」

「ワープしてきたんじゃない?」

「じゃあ、ここにあった学校は……」

「そこにある可能性があるわね」

 聖がまた髪の毛を掻き乱す。

「ああ、わけわかんねえ……。けど、行ってみるしかないんだろうな……」


 国道に出るまでに、三人は、ビルの壁に刺さったエスカレーター、天面に差し込み口の開いた郵便ポスト、それから鼻の下に長い尻尾の垂れた野良猫や、その他にも奇怪な造形をした生き物や建造物をたくさん見かけた。

 広い国道には、車が行き交っている。高速で流れていく車の列に、時々見慣れない形が混じる。横断歩道の上では、歩行者信号の赤色の左半分だけが青く点灯している。青い光のあったはずの部分には、何もない余白がある。

「つゆ、こういうの、なんて言うんだっけな。ナントカ界みたいな。魔界だっけか」

「魔界って、悪魔の住むところでしょ。仏教にもそんな概念はあるけど。それよりは、魔境かしら。もしくは、異界とか」

「異界って言ったらあれだろ。異世界ってやつだろ。ドラゴンとか出てくる」

「色々だとは思うけど……」

「んー、ン界だよね。ン界」

「なんだよ、ン界って」

「だから、ンの部分に好きな文字を入れてねってやつ」

「何よそれ」

「まあ、でも、魔界とか異界って言うよりは、ン界って感じだな。これは」

 タイヤが車体の上部にくっついた車が滑るように走っていく。どのような機構で動いているのか、つゆは考えないことにした。

「そうね。初めは学校とか一部の人とか、局所的な異常かと思ったけど、どうも世界全体が変わってしまったみたいね」

 車の流れが止んだ。

 青と赤に分かれていた信号が、青一色になった。

「青になったみたいだな」

 三人は並んで横断歩道を渡る。白線の一部が、ところどころ抜けている。少し離れた車道に、ちぎれたように、ぽつんぽつんと白い線が描かれているのが見える。

「公園は、あの工場の向こう側にあったはずよ」

「学校があったとして、おはよう、って登校するのか?」

「ひとまずは、そうするしかないでしょうね」

「教師の肩から足が生えてたら?」

「うっ……」

「大丈夫だよ、二人とも。なんとかなるって」

「おまえみたいに、なんでもかんでもすぐに受け入れられねえやつだって、いるんだよ」

 工場の前で、三人は一度立ち止まった。

「いいか、行くぞ」

「なかったら……、どうする?」

 つゆが不安そうに鞄を握りしめる。

「そんときゃ、そんときだ」

「そうそう。とりあえず行こ」


 工場の裏手に回ると、従業員用の駐車場、それからコインパーキングと、その向こうに開けた空間があった。

「学校は、どこだ?」

「なさそうね……」

「あっちも見てみようよ」

 朝葉が先導してコインパーキングの先を曲がる。

 すると、とつぜん、強い光が三人の目を眩ませた。

「これは……」

「まさかの……?」

 それは、夏の朝のまっすぐな光を一面に反射していた。濃紺と白銀の織りなす網目模様が、風もないのにきらきらと絶え間なく波立っている。

「これは……うちの、やつだよな」

「どこの学校のも似たようなものだとは思うけど……」

「うちのだよ。しっくりくるもん」

 三人は、恐る恐る近寄って、その水面をのぞき込んだ。

「けど、これは、ずいぶん深いぞ」

「底が見えないわ」

「なんか、こう、引き込まれるよね。引きずり込まれるっていうか」

 朝葉は手頃な小石を拾い上げ、水面に落とした。

「やめろよ。踏んだら危ねえだろ」

 朝葉は耳の後ろに手を当て、水面に向かって耳を澄ましている。

「……音が返ってこない。こりゃ、相当深いよ」

「そんな小石、水の中に落としても、音はしないわよ」

「……で、プールがあって、肝心の校舎はどこにあるんだ?」

 まもなく始まる水泳の授業のために、プールは澄んだ水をなみなみと湛えていた。しかし、その底は青い闇に隠され、どれほどの深さを秘めているのか明かそうとはしない。

「この中にあるんじゃない?」

「いや、校舎はプールに収まるほど小さくねえだろ」

「でも、底の方ががどうなってるか、想像もつかないわよ」

「そうそう。広がってるかもしれないしね」

「マジかよ……」

 水に映った三人の影が、途方に暮れる本体を笑うように、ゆらゆらと揺れる。

「ひじりん、ちょっくら底まで行ってきたら?」

「あ?」

「この中で一番泳げるの、ひじりんじゃん。よっ、万能選手」

「馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ。中にどんな危険があるかわからないじゃない」

 つゆが横から釘を刺す。

「で、行ってどうすんだ? プールの底で授業受けてるやつ捕まえて、エラ呼吸のやり方でも聞いてくるか?」

「だって……、こないだ水泳はリハビリに、って言ってたじゃん」

「もし本当に学校のみんながこの中にいたら、もうみんな、わたしたちの知ってる姿じゃないかもしれないわね」

「半魚人と並んで昼飯食える自信はねえぞ」

「半魚人! 何人か友達に欲し……」

 言葉の途中で、大きな水音が、朝葉の声を掻き消した。大粒の水しぶきが、聖とつゆに降りかかる。

「おい!」

 水面に頭と手だけを突き出して、朝葉がもがいていた。

「ちょっ、助け……、っぷ、目が……」

「泳げるだろ、早く上がってこい!」

「ちが……、目が、おかし……」

 二人の目の前で、見る間に朝葉の体が沈んでいく。異常を察した聖が、鞄を放り投げ、飛び込む。

 朝葉の落ちた場所には、既に人の影は見えない。朝葉を追った聖が残した波紋と、大小の泡が断続的に上がってくるだけだ。つゆはプールサイドに跪き、呼吸も忘れ水面をにらんでいる。

 途切れ途切れになった泡が、やがて再び数を増し、暗い水の底から二つの人影が浮かんできた。

「ぷっはぁ!」

 つゆも必死に手を伸ばす。

「つかまって!」

「朝葉を、頼む!」

 つゆが朝葉の腕をつかみ、先に上がった聖が加勢して、ようやくプールサイドに引き上げる。

「大丈夫? どうしたのよ、急に」

 激しく咳き込む朝葉の肩を支え、つゆがうつむいたその顔をのぞき込む。

「まさか、半魚人の、真似したわけじゃ、ないだろうな……」

 へたり込んだ聖が、息も絶え絶えにつぶやく。

「みんな、どこにいる……?」

 朝葉が顔を上げる。反射的に飛び退いたつゆの顔には、恐怖が貼り付いている。

「視界が、おかしいんだ……。わたし、倒れてる?」

「なに言ってんだ? ケツ付けて座ってる……」

 聖の顔が歪む。

 二人の視線に貫かれた朝葉が、両手を上げる。途端に、地面にへばり付くように倒れる。

「ねえ、なんか……、変なんだけど……」

 プールサイドに頬を擦り付けた朝葉の顔は、誰もいない虚空を見つめていた。

 いや、見つめていたのは、彼女の両手の先に付いた、二つの目玉だった。朝葉の顔にあったはずの二つの眼球は、今、彼女の人差し指の場所できょろきょろとせわしなく動いている。

「おまえ……、顔っつうか、目から指が生えてるぞ……」

「え、なに、どゆこと」

「とりあえず、一回、目つぶれよ……」

 朝葉の指の間で、手の甲からゆっくりと皮が伸びて、まぶたのように眼球を覆った。

 二人はその様子を、苦虫を噛みつぶしたような顔で見ていた。

 

 

 

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