砂浜1
俺は、砂浜につっぷしていた。俺は、汚い部屋の万年布団に寝ていたはずだ。
くっさい皮脂汚れの臭いもしない。くさいのは、くさいが磯臭い。波の音がする。
砂に手をついて起き上がる。俺は、コロナでひっくり返って。つっぷして。あれ?
洗濯のしすぎでよれよれのトレーナーをめくって腹をかく。見慣れた毛だらけの出腹。
赤ちゃんのころ、へその緒を張ってたテープにかぶれた跡がいまだに残ってる。
日の光が明るい砂浜だった。少し肌寒さを感じる。振り返れば、俺を波打ち際からひきずった跡がある。足跡が続いていた。
緑の体。下唇から上に向かって突き出た歯。あ、オークだ。毛のないイノシシか豚に似た顔だ。
肩口からあばらの下あたりまで斜めに切り裂かれた傷口が荒い息にあえいでいた。肌が緑で傷口は赤いのか。
俺は変に感心していた。俺は同人絵師だ。ある時は、オークに犯される女、時には男を節操なく描いて糊口をしのいできた。
見間違うはずもない。オークだ。ということは、ここはもしかして異世界?
えーっと。
鏡がなくてもこのダイエットとリバウンドを何度も何度も繰り返したのに、しがみついて離れない見慣れた出腹は紛れもなく俺のだ。
こういう時は、ほら、異世界転生ってM字バンクのすかした美少年とか美少女とかになるんじゃないの?
いかした前髪のツインクロスM字バンクどころか、薄毛のオーク顔のおっさんのままじゃん。
きりっととか、きりりととかそういう感じのほら。いや、現代でオークみたいだったよ、俺。だからって、いくらなんでもオークと一緒って。
なにかこう、駄女神とかそういうのないの? 異世界チートでちょろいんとちーれむとかそういうの
オークがせき込んだ。血痰を吐き出す。やばい。死にかけてる。
何はともあれ、このオークは俺の命の恩人だ。波打ち際で突っ伏してたら溺れ死んでた。
誰に傷つけられたのか知らないが、付近に足跡はひとつだけ。陸地からオークが歩いてきて、俺をひきずって安全なとこまで来てくれた。
やばい、どうしよう。傷の治療とか、消毒液とか縫合とか俺、薬剤師とか、医者とかじゃないからさっぱりわからん。
どうにかしないと。どうやって。
こういう時ってほら、なにか、魔力が莫大とか、威力が強すぎとか、俺また何かやっちゃいましたとか、そういうシーンだよな。
「えーっと、治療! ケアル! すてぇたすおぅぷん!」
俺は、手をかざし叫んでみた。普段あまり声を出さないせいで、力の枯れた情けない声だ。何が、ケアルだ。
おまえに毛なんかろくにないだろ! 何も起きやしない。
「ほら、すてぇたすおぅぷん!」
くそ、気恥ずかしさ以外何もない! 海外かぶれのなにか英語かっこいいとか、そういうのはもう、コロナで終わったんだ。
あいつら案外バカだろってもうばれたんだよ。白人へのあこがれとかそういうのもうないんだって。
『ささげよ』
「え、何? 誰?」
俺は、かすかに聞こえた日本語にびくっとした。普段から店で何か買う時くらいしか人と会話なんてしたことない。
『命をひとつささげよ』
命をひとつささげよ? 血なまぐさい言葉だ。声もとてもじゃないが、女神とは思えない。ありていにいって、邪神かなにかだ。
言うこと聞いたら絶対やばいやつ。ベヘリットかなにかだぞ、おいこれ。おまえは顔がベヘリットだけどな。
邪神に魂売るほど落ちちゃいないとか、かっこいいこといえるほど、俺はできた人間じゃない。真っ先に魂売る男だぞ、俺。
俺でいいのか、邪神様。砂浜だ。見たところ、生き物は、あー、フナ虫みたいなのがいっぱい。
でも俺は、ゴキブリも殺虫剤かけるくらいしかできない男だぞ。くそ。はだしだ。踏みつぶすのも嫌悪感がある。