リスタート
少年は香ばしい匂いとともに軽く左目を開く。視界がぼやけていてここが何処かを瞬時に確認することができない。
手足の感触によるとどうやら少年はベットのようなものに寝かされているらしい。少年が視線を彷徨わせると、ベットに頬杖をついている小さな少年と目が合う。
ベットに頬杖をつきながらしゃがんでいる小さな少年は齢10歳ほどに見える。色素の薄い金髪にルビーをそのまま埋め込んだような美しい赤い瞳。
なぜか金髪の少年から見て左側の方は長く伸ばした前髪に隠れているため、片方の目としか目が合わなかった。
金髪の少年は目が合った事に驚いたのか、それとも単なる人見知りなのか、目があって数秒で何かを叫びながら物凄い勢いで部屋からドアを開けっぱなしにしたまま出て行ってしまった。
「姉ちゃん!! あいつ目、覚ましたぞ!!」
ドタバタと階段を下る音がし、下の方からはそんな金髪の少年を母親のように咎めるような声が聞こえてくる。
声質や先程の会話から察するに多分、金髪の少年の姉だろう。
「こら、お客様の前でみっともないでしょ!! バタバタしない!!」
少年は階段の下からその女が弟と一緒に上がってくる音がしたため、ヨロヨロとベットから起き上がった。
体がやけにだるいし、上手く動かせない。何日も寝込んでいたのかもしれない。やがて部屋に1人の少女が姿を表した。弟と同じく金髪に赤い瞳の少女だ。腰まで届くほどの長い髪を赤いリボンで結び手には水が入ったバケツを持っている。
「目が覚めてよかったわ。5日間も目を覚さなかったからこのままだったら、どうしようかと思ってたの」
「お陰で僕たちの取り分が減っちまうし、散々だったんだぜ!! お前、きちんと僕たちに恩返ししろよな!! って痛ててぇぇーー!!」
ベットにいる少年に対し、指差しをしながらそう吠えた少年は姉によってゲンコツの制裁を喰らう。
金髪の少年はかなり痛かったのか、床の上で寝っ転がり体を丸めて悶える。そんな弟を姉はため息をついて叱る。
「シェイク、いい加減にしなさい!! ごめんなさい、弟はちょっと生意気で……」
そんな姉弟の微笑ましいやりとりを少年は無言で見ていた。そんな無反応な少年に対して少女は何かおかしいと感じたのか、不思議そうに少年の元へと近寄ってくる。
「あの、大丈夫? さっきからボーとしてるけど、やっぱり頭の怪我が後遺症になったのかも……」
横で青ざめる少女の言葉を聞き、少年は少女の見ている頭の怪我とやらに左手で触れてみようとする。そこには包帯がキツく巻かれていた。痛みはあまり感じない。頭に巻かれている包帯も、もはや形だけといった感じだ。
少年はその包帯を左手で乱暴にとってしまう。そしてあらわになったはずの傷口に手のひらで触れる。
髪越しでもわかる大きな傷跡が確認できる。かなり重症だったようだが、すでに完治しているようだ。
傷口の様子を間近で見た少女は驚いたように目をまん丸くする。
「もう、治っちゃったの!? かなりの重傷だったはずなのに……。あなた、治るの早いのね!!」
「……」
「おい、お前無視すんなよ!! 言葉がわかんないのか!」
とことん無反応の少年に対し、シェイクは苛立っているようだ。少年が寝ているベッドの上にまたがって少年の眼の前で手をひらひらと振る。
シェイクの顔は少年が手を伸ばせば簡単に触れられる位置だ。
少年はシェイクの子供ならではのモチのような柔らかいほおが気になり始める。少年は欲求に従うがままにシェイクのほおを軽く引っ張る。
「いってーーー!! 何すんだ、テメーー!!」
シェイクは足をバタバタしながら、自身のほおをつねる少年を引き剥がそうとする。しかし少年の左腕はシェイクの両腕に抑えられてもびくともしない。
「ちょ、ちょっと!! シェイクから手を離してあげて!」
隣で見ていたシェイクの姉が少年に懇願する。少年はシェイクのほおから手を離した。
少年は軽くつねったぐらいだが、それは並の人間にはペンチでつねられているのと同じくらいの衝撃であった。シェイクのほおはこの短期間の間に赤く染まっていた。
シェイクはそのほおを涙目で撫でる。
「力強すぎだろ、お前!! いてて!!」
「ね、あなたはどこからきたの? いきなり私たちの村の近くの湖に落ちてきたんだけど……」
痛がるシェイクを少女はガン無視する。少女にとってはあまり痛そうな光景に見えなかったのだろう。当然だ。少年の腕には、はたからみてもなんにも力がこもっていないような感じだった。
よって少女は弟が構って欲しさにわざと痛がったのだと思っているのだろう。放って置かれたシェイクはベットの端で少し拗ねている。そんなところは年相応の少年のようで可愛くもあった。
「……。上」
「上……? でも、ここの上って言ったら世界樹ぐらいしかないけど……」
少女は少年の回答に対して不思議そうに首を傾げる。そんな姉にさっきまで落ち込んでいたシェイクは途端に小馬鹿にしたような口調で少年を指差す。
「上?? 姉ちゃん、こいつ嘘つきだよ!! あんな空の上に行けるはずがないよ!!」
シェイクはそれで言いたいことは言い終わったのか、ベットから飛び降りると部屋から出て行ってしまう。
最初から最後まで騒がしい子だった。一部始終を見ていた少女は嘆息する。
「ごめんね、あの子ちょっと生意気で……。 私の名前はアイスっていうの。 あなたの名前は?」
少年はアイスに名前を尋ねられ少し記憶を掘り下げてみる。しかし少年にはここで目覚める前の記憶がない。要するに記憶喪失というやつだ。しかし自身が周りにになんと呼ばれていたのかはよく覚えている。聞けば、人間というものは積み重なった記憶を失ったとしても名前などの重要な情報は忘れないらしい。
理屈はわからないが、名前だけは少年の魂に残っていた。少年は頭の中に浮かんだ名前を口に出す。
「サン……。それが俺の名前」
「サン? あなたの髪の色にぴったりね!!」
アイスはサンの髪の色を見てそんな感想をこぼす。サンという言葉の意味は太陽という意味だ。
たしかにオレンジ色の髪を持つ少年にはこれ以上ないほどにピッタリな名前だ。
「さーてと、じゃあ私は下の階に行くから、気が向いたら降りてきてね!!」
アイスは隣に置いておいたバケツを両手で持ち上げると、それを軽々と持ち上げ部屋から退出していく。
白のエプロン姿を見るに彼女は昼ごはんを作っていたらしい。ベットの横に設置された窓を見れば、もう太陽が世界樹の上に重なるほど高くまで登っている。
この日が少年"サン"のリスタートだった。