第58話 苦情は想定内です
それから数日してワイン伯爵領には「契約書の義務化」についての領内への通達が行われた。
契約書の義務化の施行日は一か月後の日にちにした。
領民も企業主も準備が必要なので一か月の準備期間を持たせたのだ。
とりあえず領地改革の一歩を踏み出した。
他の案件も準備出来次第通達を出す予定にしている。
今回はワイン伯爵とクリスと私で話し合い契約書の内容で最低限必要な内容を記載するようにしてある。
これで不当に扱われる労働者は少なくなるだろう。
だが当然反発する人間がいないわけではない。
通達を出した次の日ワイン伯爵家に通達の内容に反対だという男性がやって来た。
玄関が騒がしいので私は何事かと思い玄関に向かう。
そこにはワイン伯爵と金髪で口髭を生やした男性が何やら揉めていた。
「ワイン伯爵様!何ですか、この通達は!雇っている者全ての人間と雇用契約書を結ぶことを義務化するなど、使用人など働かせてあげるだけでありがたいと思う人間ばかりですよ!わざわざこんな契約書結ぶなんて労力の無駄です!」
口髭の男性は顔を真っ赤にして怒鳴っている。
私は同じく騒ぎを聞きつけてきたクリスにそっと聞く。
「クリス。あの人誰?」
「あの人はピッグ男爵です。領内で商売をしてますがあまり評判は良くないですね。安い賃金で従業員を雇ってると聞いたことがあります」
なるほどね。雇用契約書で安い賃金で従業員を働かせることができなくなることを恐れているのね。
ようはブラック企業の社長ってことか。
「ピッグ男爵。落ち着いてください」
ワイン伯爵はピッグ男爵を落ち着かせて話をしようとしているらしい。
私は二人に近付き声をかける。
「お父様、ピッグ男爵様。通達の内容についての話なら私が説明するのでとりあえず応接室にどうぞ」
ピッグ男爵は私を見ると明らかに胡散臭い表情を見せる。
「ワイン伯爵様。この娘は何者ですか?」
「アリサは私の娘になった者だ」
ワイン伯爵が「自分の娘」と言ったのでピッグ男爵は態度をやや軟化させる。
フン、この男は権力に弱いタイプね。
どこにでもいるのよねえ。こういう身分制度の世界で自分の身分にふんぞり返る奴が。
「こちらへどうぞ」
私はピッグ男爵を応接室に案内する。
応接室のソファにワイン伯爵とクリスと私とピッグ男爵が座る。
「それでお話は何ですか?ピッグ男爵様」
「昨日ワイン伯爵様が出された契約書の義務化についてだ。平民といちいち契約書など結ぶ必要はない!」
「では契約書を結ぶ必要が無い根拠は何ですか?」
私の冷静な態度にピッグ男爵は落ち着かない様子で答える。
「平民は契約書など結ばなくても働くからだ」
「それでは根拠になりません。ダイアモンド王国の法律書には平民が契約書を交わして働いていけないということはどこにも書いてません。ならば契約書を平民と交わして働いてもらうことは法律上問題ないということです」
「うっ、だ、だが平民と契約書を結ぶなど聞いたことない」
「それは単に「前例」が無いだけで契約書を結ばないという正当な理由にはなりません」
私は淡々とピッグ男爵に説明していく。
こういう苦情が来るのは想定の範囲内だ。
「しかし……」
「ここはワイン伯爵領です。そしてワイン伯爵が決められる権限の範囲内での通達をピッグ男爵は何の根拠もなくワイン伯爵の命令を聞かないということですか?」
「いや……。そんなことはないが……」
私はわざとワイン伯爵の方がピッグ男爵より上の者だと口に出す。
権力を振りかざすタイプの人間は自分より権力の高い者に弱い。
おそらく通達を見てカッとなって怒鳴り込んで来たのだろうが冷静になれば男爵が伯爵の命令を理由も無しに無視することはできないはずなのだ。
「それとも使用人と契約書を結ぶことに何か不都合なことでも?」
「い、いや、そんなことはないが……」
ピッグ男爵は汗をかいてハンカチで拭いている。
まあ、ブラック企業の社長としては契約書を交わすことによって使用人を安い賃金で働かせることができなくなるのを恐れたのだろうが。
「それから通達にも書いてありましたが不当な条件の契約書が結ばれていないか時々監査をさせていただきますので」
私はピッグ男爵にとどめの一発を放った。
「わ、分かりました。私も気が動転していたようです。ワイン伯爵様、どうかお許しを」
「ああ、分かってくれればそれでいいとも」
ワイン伯爵の言葉にピッグ男爵は頭を下げる。
そしてピッグ男爵は帰って行った。
この程度の苦情では苦情対応とも呼べないレベルだ。
公務員は住民からの苦情対応をするのも仕事の一つである。
「いやあ、助かったよ。アリサ」
「お父様。あのような人物には毅然とした態度で対応してください。ワイン伯爵領ではお父様がトップの立場なんですから」
「うむ。そうだな。これからはそう心がけよう」
さて事務作業の続きをしようかしら。
「あ、アリサ」
「はい。何ですか?」
「雇う事務員の応募者の書類が集まったのだが」
「分かりました。お父様の執務室で書類を確認しましょう」
そう言って私たちはワイン伯爵の執務室に向かった。




