第17話 私は勇者になれるかもしれません
もちろん5年間分の資料整理が半日で終わるわけはない。
私たちは夕飯の時間に合わせて作業を一時ストップした。
「ふう、とりあえず続きは明日にしようか」
「お父様。お疲れ様でした。クリスもありがとう。シラーもシャルドネも今日はもう休んでね」
私が皆に労いの言葉をかけると皆は疲れた顔を見せながらも頷いた。
この世界に「残業」って概念があるかどうか分からないから、シラーやシャルドネにはサービス残業なんてさせたくない。
私は基本的にはサービス残業反対派なのだ。
だって働いた分の対価を貰うのは当たり前の権利だと思うからさ。
「では私たちはこれで失礼します」
シラーとシャルドネはワイン伯爵の屋敷のある町で暮らしている。
伯爵家には通いで来てくれているらしい。
この世界に通勤手当とかあるのかな?
公務員はもちろん定期代が支給される。たいがい「6ヶ月定期」の代金だ。
でもこの世界には電車はないだろうから自宅から伯爵家までの距離に応じて出るのかな?
公務員だと交通が発達していない地域の通勤手当は自宅から職場までの距離を計算されて支給されることがある。
場合によってはマイカー通勤も認められている地域もある。
でもこの世界にそこまで細かい設定がされているとは思えない。
そういえばこの国の法律とかってどうなってるんだろう?
そもそも法律なんてあるのかな?
「国王が法律だ」みたいな世界なのかなあ。
でも文官とかいるならやっぱりある程度の法律みたいな決まりごとはありそうよね。
私はどうやら5年間の公務員人生でだいぶ影響を受けているみたいだ。
公務員の事務は全て法律や規程や規則に従って行われる。
私が新人で右も左も分からない時に一つ一つ丁寧に仕事を教えてくれた男性の主任がいた。
その人は当時もう定年に近かったが経理事務をやらせたら右に出る人はいないと噂のスーパー事務員だったのだ。
その主任はとりあえず先輩の仕事を真似ながら仕事をする私に時間があると「なぜこの仕事をしているのか?」とか「なぜこの事務処理の方法をしなければならないのか?」を教えてくれた。
「全てはこの規程や規則で決まっているからだよ」と私に分厚い規程や規則が載っている本を見せてくれた。
あの主任のおかげで公務員の事務というモノがなんなのかが分かった気がする。
もうその人は定年退職してしまったが……。
「ねえ、クリス。この国に法律はあるの?」
私は食堂に向かいながら隣を歩いているクリスに聞いてみる。
これで「国王が法律です」なんて答えだったら笑えるけど。
「法律ですか? もちろんありますよ」
「え!? あるの!?」
逆に法律があることに私は驚いた。
「はい。法律でいろんな決まり事もありますし」
「法律が書いてある本とかはある!?」
私が幾分食いつき気味にクリスに迫るとクリスは驚いたようだ。
「は、はい。我が家の図書室にあります」
「それって貸してもらうことできる?」
「いいですよ。僕はもう読んだので」
「え? 法律の本って分厚いんじゃないの?」
「はい。それなりの厚さはありますね」
「それを全部読んだの!?」
「は、はい……」
5年間公務員だった私だって必要な部分しか読んでないのに!
やっぱりクリスは天才だわ。
イケメンで天才なんて将来が楽しみだわ!こんな子が私の弟なんて……。神様、ありがとう!!
私は拳を握りしめて喜びに体が震える。
「では夕食の後に部屋にお持ちします」
「ありがとう。クリス」
それにしても法律を知りたくなるなんて私はやっぱり異世界でも公務員なんだわ。
何の因果で異世界まで来て法律なんか知りたいと思っちゃうんだろう?
きっとあの主任の影響ね。
私の頭に優しい主任の声が響く。「星月さん。全ては規程や規則で決まっているんだ。分からない時はこの本を読んで該当する規程や規則を調べるんだよ」。
ああ、そうよ。私が異世界に来てまで事務をやってるのは私の公務員(事務職)スキルがこの世界に必要だからだわ。
そうよね? 神様?
そう思ったら私がこの世界にいてもいいんだって思えて来たわ。
日本のヒラ公務員の私は勇者になれないと思ったけど、公務員(事務職)スキルで勇者になれってことなのね。
いや、誰も勇者になれとは言っていない。
「うん?」
「どうしました、アリサ?」
「いや、今誰かの声が聞こえたような?」
「気のせいですよ。夕飯にしましょう」
「そうね」
私は明日の書類作業への体力勝負に負けないように夕飯をしっかりと食べた。