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いつかあなたと迎える朝に

 毎週土曜日になると、昼過ぎから水無瀬の部屋に行って掃除をしてから晩メシを作るのが日課になっていた。当然、二人で晩メシを食った後はそれほど遅くならないうちに帰ることにしている。透からは「甲斐甲斐しいなー、通い妻じゃん」と揶揄されているが心外だ。

 今日は掃除をした後、夕飯の買い物に行くまでのあいだコタツでダラダラすることにした。俺は今までコタツの良さを理解していなかったが、これは本当に良いものだ。暖かくて一歩も動きたくなくなるし、心地良い眠気は襲ってくるし、人をダメにしてしまうのも頷ける。水無瀬のような奴にこそコタツを与えてはいけないのではないかと思うが、これ以上ダメ人間にならないように俺が手綱を握ってやるしかない。


「見て見て悠太、これ美味しそう!」


 隣でレシピアプリを見ていた水無瀬が、俺の袖を引いてスマホを見せてきた。ディスプレイにはこんがりときつね色に焼けたフレンチトーストの写真が表示されている。写真の上には「休日の朝ごはんに! 至高のフレンチトースト」という見出しが踊っていた。


「おまえ、晩メシ何食いたいか考えてたんじゃなかったのかよ。フレンチトーストじゃおかずになんねえぞ」

「そうなんだけど! たまたま見つけて、食べてみたいなーと思って」


 スマホを見つめる水無瀬の焦茶色の瞳は、きらきらと輝いている。まあ、食欲があるのはいいことだ。「一人だとおなかも空かない、何を食べても美味しくない」と言っていた彼女のことを思うと、食いたいものがあるなら何だって作ってやろうじゃないか、という気持ちになる。


「作ったことある? フレンチトースト」

「まあ、たまに。俺はフランスパンで作るのが好きだ。卵液に一晩漬け込んどくんだよ」

「えー、すごい! 手間かかってるね!」

「全然めんどくさくねえよ。前の晩にやっとくだけだし」

「わー、話聞いてたらますます食べたくなってきた……」

「でもおまえ、普段朝メシ食わねえだろ。休みの日も昼まで寝てるくせに」

「うっ」


 俺の指摘に、水無瀬は言葉を詰まらせた。こいつはいつも休日昼過ぎに俺が行くと、寝起きの顔で「おはよう〜」と出迎えてくる。こちとら午前中のうちに自宅の家事を済ませて来ているというのに、ぐうたらな奴だ。


「悠太はいっつも早起きしててえらいよねえ……」

「休日に寝坊すんの、一日無駄にしたみたいで嫌なんだよ」

「お休みの日に布団でゴロゴロ二度寝するのが最高なのにー……でも、悠太の朝ごはんのためなら早起きしちゃうかも」


 水無瀬はそう言ってニッコリ笑うと、こてんとこちらにもたれかかってくる。


「よく考えたら、私悠太の作った朝ごはん食べたことないもん。悠太の昼ごはんも晩ごはんも食べたから、今度は朝ごはんだね! おいしいフレンチトースト、私のために作ってね!」


 水無瀬は無邪気にそう言ったが、俺はうんと頷くことがでになかった。こいつは果たして、自分の言葉の意味を理解しているんだろうか。

 俺が無言で頰を掻いていると、水無瀬の表情がみるみるうちに曇っていき、やや不安げに「やだ?」と顔を覗き込んでくる。


「やだ、っていうか……」

「うん?」

「……俺がおまえに朝メシ作るって、どういう状況かわかる?」


 俺の言葉に、水無瀬はしばし顎に手を当てて考え込む。ほどなくして、みるみるうちに耳から首まで真っ赤になった。

 まあ、俺が早起きしてこの部屋に来るという可能性もなくはないが、そのシチュエーションはあまり一般的ではないだろう。俺が前日の晩からフレンチトーストを仕込み、水無瀬に朝食を作ってやる日がくるとしたら――十中八九そのときは、共に朝を迎えたときのことである。


「や、やっぱりなし! 今のなし!」


 水無瀬は長い髪を振り乱して、ぶんぶんと必死で首を振った。……やっぱ、わかってなかったのか。彼女の反応に俺はこっそり傷ついたが、仕方のないことだ。なにせ俺たちは、未だキスのひとつもできていない、このうえなく健全なカップルなのだから。

 水無瀬はこたつテーブルの上に顔を伏せて「うー」とか「あー」とか唸っている。そんなに心配しなくても、俺はまだこの部屋で夜を明かすつもりはないぞ。安心させるようにぽんぽんと背中を叩いてやると、水無瀬は頰を赤く染めたまま、ちらりと目線だけを向けてきた。


「……悠太。やっぱり、朝ごはん作らなくてもいいよ」

「はいはい、わかってるって。言われなくても、遅くならねえうちに帰るから」

「そ、そうじゃなくて……」


 水無瀬は口籠った後、ぎゅっと俺に抱きついてきた。上目遣いにこちらに見上げて、ボソボソと小さな声で呟くように続ける。


「……だって、私が朝起きたとき、悠太がそばにいてくれないとやだ……」


 だから、朝ごはんなんか作らなくてもいい。

 俺は水無瀬の言葉の意味をしばらく考えて、それからカッと頰に熱がともる。たぶん今の俺の顔も、彼女に負けないくらいに赤くなっている。

 動揺した俺が返答に窮していると、水無瀬はポカポカと俺の胸を拳で叩いてきた。


「でもでも、い、今はまだ無理だからねー!」

「う、うん」

「あの、もうちょっと先の話っていうか……い、いつかね!?」

「わ、わかってる」


 表情がだらしなく緩みそうになるのを、頬の裏側を噛んで必死で耐える。馬鹿野郎、デレデレすんな。間違っても下心を表に出さないように、俺は表情を引き締めた。

 ――今すぐじゃなくても、彼女はいつか俺と一緒に朝を迎えてもいいと思ってくれている。キスのひとつもまともにできなくても、今はそれで充分だった。


「……ま、たまには寝坊すんのもいいか」


 そう小声で呟いた俺に、水無瀬は嬉しそうに身体を擦り寄せてくる。様子を窺うように唇を寄せると、「まだ無理ー!」と叫んだ彼女が思い切り俺の顔面にヘッドバットを食らわせてきた。……彼女と朝を迎える「いつか」は、まだかなり先になりそうだ。

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