秋の宝石
くんちゃんは見ていました。
テーブルの上にある、このたくさんの粒はなんだろう? と。
黒っぽくて、艶があります。
鼻をふんふんとさせて、匂いを嗅ぎます。
甘酸っぱい香り。でも、知らない香り。
テーブルに乗っちゃいけないと言われているけれど、気になったら止まりません。
くんちゃんは口を大きくあけて、粒をかじろうとしました。
「こら、いけないよ」
優しく怒られました。
くんちゃんを抱き上げたのは、くんちゃんの大好きなご主人さま。
お外では『くんちゃんパパ』と呼ばれています。
「犬はね、これを食べちゃいけないんだ」
くんちゃんパパは、くんちゃんを優しくなでながら言います。
黒っぽくて艶のある、甘酸っぱい香りのたくさんの粒。
ダメと言われたら、余計に気になってしまいます。
くんちゃんは抱っこから下ろしてもらおうと、暴れました。
「こらこら。暴れないの」
くんちゃんパパは、くんちゃんをそっと下ろしました。
離してもらったくんちゃんはすぐにテーブルに飛び乗ります。
でも、そこにはもう何もありませんでした。
「だーめ。食べたらお腹を壊しちゃうからね。くんちゃん、テーブルから降りなさい」
くんちゃんパパは、黒っぽくて艶のある、甘酸っぱい香りのたくさんの粒を隠してしまいました。
くんちゃんは悲しくなりました。
あれはなんだったのか、知りたかったのです。
くうん。くうん。
くんちゃんは泣きました。
「困ったな。そんなに気に入っちゃったなんて」
くんちゃんパパは困り顔。
でも、ダメなものはダメなのです。
くんちゃんがお腹を壊してしまっては、いけません。
「気分を変えて、おさんぽに行こうか。さっきのとは違う秋が、お外にはたくさんあるよ」
くんちゃんパパが言うと、くんちゃんの耳がぴくんと動きました。しっぽは上にむかってぴーん、目はきらきら。
悲しい気持ちはどこへやら、くんちゃんはしっぽをぷりぷり振って、楽しい気持ちになりました。
「首輪にリードを付けて。おさんぽバッグを持って。さぁくんちゃん、行こうか」
くんちゃんパパが玄関の扉を開けると、冷たい風が吹き込みました。
木の葉は赤や黄色、オレンジに変わり、緑色はどこにいってしまったのでしょう。
不思議に思っても、くんちゃんはすぐに忘れてしまいました。
赤や黄色、オレンジの葉っぱは下にたくさん落ちて、くんちゃんが踏むとクシャクシャと楽しい音を立てたからです。
「くんちゃん、くんちゃんパパ、こんにちは」
「こんにちは」
おさんぽでよく会うおばちゃんと、あいさつをしました。
おばちゃんは袋にいっぱいのオレンジ色の物をくれました。「柿」というそうです。
くんちゃんは頭と背中をなでてもらうと、地面にごろんと寝転がりました。
「お腹もなでてほしいの? よしよし、くんちゃんはかわいいね」
くんちゃんは嬉しくてしっぽをぷりぷり。
たくさんなでてもらって、おばちゃんとバイバイをしました。
「くんちゃん、くんちゃんパパ、こんにちは」
「こんにちは」
次にあいさつをしたのは、学校帰りの小学生の子たち。
木の下にしゃがみ込んで、落ち葉を掻き分けて何かを拾っています。
くんちゃんも落ち葉の下に鼻を入れてふんふんと嗅いでみます。
「くんちゃん、どんぐりがあるんだよ」
女の子が見せてくれました。
「くんちゃん、栗もあるよ!」
男の子が見せてくれました。
くんちゃんは順番に匂いを嗅ぎます。
どんぐりをふんふん、栗をふんふん。
いたいっ。
栗のイガが、鼻にちくっと刺さってしまいました。
くんちゃんパパがくんちゃんの鼻を見て、よしよしとなでました。
「栗は鋭いイガで覆われているけど、中の身はとっても美味しいんだよ」
くんちゃんパパが教えてくれました。
でも、くんちゃんはどんぐりの方が好きです。
どんなに美味しくても、あのイガにはもう鼻を近づけたくありません。
しょんぼりしてしまったくんちゃんは、小学生の子たちとバイバイをしました。
「くんちゃん、くんちゃんパパ、こんにちは」
「こ、こんにちは」
最後にあいさつをしたのは、ご近所のお姉さん。
いつもいい香りがして、ふんわり優しい雰囲気。くんちゃんはなでられると、うっとりとしてしまいます。
くんちゃんパパも、うっとりとしています。
「くんちゃん、いい香りがするでしょう? キンモクセイが咲いたのよ」
お姉さんは、オレンジ色の小さな花を指さして教えてくれました。
かわいいお花です。とっても甘い匂いがします。
くんちゃん、ふんふんと鼻を近づけて、ぱくり。
「あっ! くんちゃん、いけないよ!」
くんちゃんパパが、慌ててくんちゃんの口からお花を取りました。
お姉さんは「おいしそうな香りだったかな?」と笑いました。
くんちゃんの口の中は、キンモクセイの香りでいっぱいになりました。
「またね、くんちゃん」
寂しいけれど、お姉さんともバイバイです。
おばちゃんにもらった柿をおすそわけして、くんちゃんはお家への道を歩きました。
キンモクセイの香りが、くんちゃんのお鼻をふんふんとさせます。
この匂い、どこかで嗅いだことがあるんだよなぁ。
くんちゃんはずっと考えていました。
「ただいま。くんちゃん、足を拭こうね」
くんちゃんパパが、タオルでくんちゃんの足を丁寧に拭きました。
リードを外すと、くんちゃんにお水をくれます。
たくさん歩いてのどがカラカラのくんちゃんは、勢いよくお水を飲みました。
「疲れたね、くんちゃん」
お水を飲み終わったくんちゃんは、自分のベッドでごろんと横になりました。
おさんぽして、疲れて眠たくなってしまいました。
うとうとしていると、何かを持ったくんちゃんパパが隣に座って、くんちゃんをゆっくりとなでました。
甘酸っぱい香りに鼻がふんふんと動きました。
「これは僕のおやつ。くんちゃんは、おやすみ」
黒っぽくて艶のある、たくさんの粒。
気になるけれど、今はとっても眠い。
頭にのせられたくんちゃんパパの手があったかくて、甘い香りにうっとりとします。
あ、この匂い。くんちゃんは気付きました。
くんちゃんパパは、キンモクセイの香りに似た匂いがするのです。
気になっていたことがやっとわかって、くんちゃんはすっきり。
うとうと、うとうと。眠ってしまいました。
「……眠ったかな?」
くんちゃんパパはくんちゃんをなでながら、黒っぽい一粒を口に入れました。
ぷちんっと弾けて、じゅわ〜っと甘酸っぱさが口のなかに広がります。
みずみずしくて、ごくんとのどが鳴りました。
「くんちゃんには、ぶどうが宝石に見えるのかな」
おさんぽで見つけた、たくさんの秋。
どれもこれも魅力的で素敵だったけれど、やっぱり気になるのは「黒っぽくて艶のある、甘酸っぱい香りのたくさんの粒」。
ダメと言われるほど、輝いて見えます。
くんちゃんにとって、「ぶどう」は秋で一番の宝石なのです。