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3.ヤマタノオロチとは

 男の身体の輪郭が溶けるようにぶれた。

 伊万莉の視界から男が消えて、代わりに目の前には壁が出現していた。

 否。壁ではない。ぬらりとした光沢のある板が何枚も何枚も少しずつずらして重ねられていて、それぞれ微妙に動きがある。壁は動いたりしない。

 では何なのか。


「でかい、へ……び……?」


 人を丸ごと飲み込めるサイズの大蛇がそこにいた。

 ズズズッという音をたてながら巨体をくねらせ地面を這う。それが伊万莉を囲い人影の接近を阻んでいた。

 後ろから近づくものは尻尾で薙ぎ払い、前から来るものにはその牙を突き立てる。だが最終的にはどちらも大蛇の腹に納まるのだった。

 あまりに一方的な狩り。ものの数十秒で全てが終わった。

 一帯の人影を食い尽くした大蛇はちろっと舌を出す。

 その大蛇の目はあの男と同じ赤い目をしていた。


『はぁー、不味い不味い。多少は回復の足しになるかと思ったが、味は無いし、中身すかすかだし、これだから亡者は……』


 大蛇からあからさまにがっかりした先程の男の声が聞こえる。

 つまりはこの大蛇はあの男なのだろうかと伊万莉は推測する。というかそうとしか考えられない。

 人が大蛇に化けているのか、大蛇が人に化けていたのか。

 どちらにしてもあり得ないことが連続で起こり過ぎてパニック寸前だった。


『だがこれでしばらくは寄って来ぬだろう』


 と、大蛇が伊万莉をじっと見つめた。

 空腹。亡者美味しくない。逆に生者美味しい。自分は生者。こっちを見る大蛇。

 伊万莉の脳が高速で演算をした結果、導き出された答えは。


「いや、僕もすっかすかできっと美味しくないから!」


 ほら筋肉も無いしと腕を見せて逆自己アピール。

 それを見て大蛇は「はふー」とため息をついた。


『いくら俺でも恩人まで食べたりはせん』


 大蛇の姿が揺れて元の男の姿に戻る。


「え? ってことはやっぱり他の人間は食べて……?」

「…………」

「そこで黙らないで怖いから!」


 後ずさる伊万莉。


「待て。食べると言っても丸呑みだから想像しているような猟奇さはない。それに食べてるのは俺に喧嘩売ってきた奴だけで……」


 ――ギュウウウゥ


 どこからともなく発泡スチロールをこすり合わせたような音が伊万莉の耳に届いた。


「……」

「……」


 お互いの顔を見合わせる。

 音源がわかった。


「これ、食べる?」


 昴と食べるために作った弁当、その自分の分を伊万莉は差し出した。

 あの騒ぎの中でも弁当が入ったリュックは手放していなかったのだ。

 振り回したので中身が寄ってしまっているが味については問題ない。


「これは、何と白く輝く上等な米か……。本当に俺が食べてもいいのか?」

「昼に食べようと思って作ったんだけど、お腹減ってるんでしょ? いいよ」

「恩に着る!」


 伊万莉の隣にどかっと座って俵型のおにぎりを一つ掴むと、男は勢いよく口に放り込んだ。


「んう⁉ 何だこれは⁉」

「あれ? もしかして傷んでた? まだそれほど時間経ってないはずなんだけど……」


 伊万莉も一つ手に取って食べてみた。

 しかし別段変わったところはない。


「うん、どこもおかしくは」

「いやいやいや、これは美味すぎるだろう!」


 確か昴の家も地元産の米を食べているから美味しい部類には入ると思うが、そこまで大仰に言うほどでもないはず。ただの海苔巻き俵おにぎりなのだから。


「まあ美味しいならなにより。卵焼きもどーぞ」


 伊万莉から勧められて男はおにぎりと一緒に卵焼きも頬張る。これも先程と同じ反応だ。

 がつがつと口に詰めていく様子を見て伊万莉は次に起こるであろうことを予測し準備しておく。


「ぐっ⁉ がふっ!」


 お約束の展開でどうやら喉に詰まらせてしまったようだ。

 準備しておいたお茶をさっと渡すと、男はそれを一気に飲み干した。


「ぷっはぁ~!」


 そしてまた弁当を食べ始めた。

 これはまだいるかな、と昴の分の弁当も出しておく。

 心のなかで「昴ちゃんごめんよ」と一応謝っておいた。もちろん後で本人に会って謝ることも忘れない。

 案の定、瞬く間に伊万莉の分の弁当を食べ終えてしまったので「これもどうぞ」と空になった弁当箱と交換で渡すと、変わらぬ勢いで食事を再開した。

 その食べっぷりを見ていたら男の正体とか正直どうでもよくなった。

 いろいろ秘密はありそうだし怪しいし変な格好だけどどこか憎めない。

 昴といる時とはまた違った安心感がある。横に座っているだけで心が安らぐ。




「馳走になった。大変美味であった。お主は神か?」

「いえ、普通の人です」


 二人分の弁当をぺろっと平らげ大変満足げな男がそこにいた。

 お弁当二つで神と崇められるとしたら手軽な神もいるもんだと伊万莉はやんわり否定した。


「しかし不思議だ。神力も回復している。こんなことは今までに…………はっ」


 男が伊万莉の顔を両手で挟んで強引に振り向かせ、その赤い双眸で食い入るように見つめてきた。

 お互いの顔の距離は二十センチもないくらい。相手の瞳の虹彩だって見えてしまうし呼吸も当然感じる。

 伊万莉はあまりの急なことに呼吸をすることを忘れてしまった。

 この状況になればそういう反応になるのではないか、と速くなる脈拍の理由を誰ともなく言い訳をしてみる。


「…………気のせい……か?」


 男はそれだけ言うと少し顔を曇らせて顔から手を離した。

 何を確認したかったのかわからない。だけどその男のごつごつとした手の感触と熱は伊万莉の頬にまだ残っていた。


「まあよい。お主、名は何という?」

「え? 伊万莉。神代伊万莉」


 つい名乗ってしまったが、よく知らない怪しい人に名乗って大丈夫だったろうかと少し心配になる。個人情報の保護は現代において重要事項なのだ。

 昴あたりが知ったら「脇が甘い」と怒られそうな気もするが、今更な感もある。


「ほう、伊万莉というのか。悪くはないな」


 よく「女の子みたい」と言われる名前だ。

 これも男の子に女の子のような名前をつけると悪いものから守ってくれるという迷信から祖父が名付けたと伊万莉は母から聞いていた。

 自分だけ名乗るのは不公平な気がするので伊万莉は男にも名前を聞いてみた。


「そういうあなたの名前は?」

「何っ? 俺の名前だと?」


 聞いてはいけないことだったのだろうか。男はすっと立ち上がった。


「そうか、知らんのか。そんな奴がまだいたのか。……ふっ、ふはははははっ!」


 額を押さえながらどこまでも面白そうに笑う男。

 どうやら怒っているわけではなさそうだ。

 一しきり大笑いした後、男は伊万莉の正面に回った。


「いや、こんな愉快なこと笑わずにいられようか。我が名、我が姿はあまねく世に知れ渡っていると思っていたが、それは俺の傲りだったようだな」


 と言われても蛇に変化できる人物になど伊万莉は心当たりないし、他の人ももちろんそうだろう。 


「あのー」

「よいよい。では伊万莉とやらの為に名乗りの口上を披露してやろうではないか」


 名前は確かに聞いたがそんなことは頼んでない。

 しかし今「あ、結構です」とか言ったら機嫌を損ねるだろうなというのはわかる。なぜなら男はそれをどうしてもやりたくてうずうずしている顔だったからだ。



 男は胸の前で腕を組み、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。


「葦原中国は出雲の国、連なる山巓(さんてん)に座したるは酸漿(ほおずき)見澄ます蛇の大神。乱麻となれば八の尾猛り、八の牙もて平に為さん。刮目せよ、其は峰なり河なり、天なり海なり。百景千望、我が威の及ばぬ地などなし。人の子よ、我が名を畏れ敬え。我が名は――ヤマタノオロチである‼」




 口上をやり遂げて得意げな男がそこにいた。

 ここで背後に爆発があったり、デデーンとかの効果音があったら特撮ヒーローのように最高に決まっていただろう。

 しかしここはなにぶん黄泉比良坂。そんなものはおろか観客だって今は伊万莉しかいない。後に残るのは静寂だけであった。


「……ヤマタノ……オロチ? あのヤマタノオロチ?」

「何だ、知っているではないか。そう、『あの』ヤマタノオロチだ!」


 この自称ヤマタノオロチの言ってることが真実か嘘かというのは現段階では判断できる材料が少なすぎる。

 否定するだけなら簡単だ。ヤマタノオロチは想像上の生き物であって、何かの比喩代替としての存在という説もある。

 つまり「そんなもの本当にいるわけねーよ」と現代日本なら一蹴されるのだ。

 しかし伊万莉だけはすぐに否定できない。何故なら、大蛇に化けるのをその目で目撃しているのだから。

 ただ、この男の印象が伝承に聞くヤマタノオロチとは全然違うことが気にはなる。


「毎年生贄の娘を要求して食べたり、悪さの限りを尽くした挙句の果てにスサノオに退治されたというあのヤマタノオロチ?」

「はあっ⁉ 何だそれはっ! どうしてそうなる⁉」

「どうしてって言われても……。そういう風に伝えられているから」

「生贄の娘とはアシナズチとテナズチの娘のことだろう? 逆だ! スサノオこそ娘を攫う悪漢だ!」


 これは古事記や日本書紀の記述とかなり食い違う。真逆と言ってもいい。


「俺たちは二人から頼まれて「クシナダヒメ」を守るためにこの地に滞在していたのだ。それがスサノオの策に見事嵌ってしまって、そしてクシナダヒメは……くっ」


 その顔に浮かぶのは後悔、慚愧、悲愴、憤怒。他にも様々な感情が入り乱れている。


「聞いていた話ではヤマタノオロチを退治した後、スサノオとクシナダヒメは結ばれたってなってるけどこれも嘘?」

「ああ。俺たちが意識朦朧となって捕まった直後にクシナダヒメは…………自害した。スサノオの慰み者になることを拒否してな」

「そん……な」


 ただの与太話と切って捨てるには男の演技は真に迫り過ぎていた。

 それに伊万莉が最近よく見るあの夢との整合性も気になる。


「どうやらスサノオは自分の都合のいいように事実を捻じ曲げているらしい」


 歴史は勝者が作る、とはよく言う。近代史でもそんなことがあったばかりではないか。

 歴史というのは必ずしも真実を述べているわけではない。

 無条件で全て信じるわけにはいかないが、伊万莉の心証では男の言葉は限りなく真実に近いと判断した。


「あの凶悪なスサノオを放置すればさらに悲惨な事態になるだろう。伊万莉、あれからどのくらい経った? 世の中はどうなっている⁉ スサノオは⁉」


 矢継ぎ早に質問されて伊万莉は困惑する。封印されていて彼には時間の感覚がわからなくなっているようだ。

 答えてしまっていいものか。


「……推定になるけど、最低でも二千年は経っているはず。スサノオに関しては根の国以降の記述が無くてわからないけど、もう生きてはいないんじゃないかな」

「二千……年? しかも根の国? 馬鹿な……」


 浦島太郎どころではない。神話の時代すら終わって人の時代になっているのだ。


「スサノオへの復讐の為だけに封印という屈辱にも耐えてきたのだぞ……⁉ 奴の首がなければ、クシナダヒメに顔向けできないではないか!」


 伊万莉が衝撃を感じる程の強さで男は拳を地面に振り下ろした。

 感情むき出しの行動。

 罠に嵌められて封印されたことに怒っているのはわかる。アシナズチとテナズチ、そしてクシナダヒメに対して申し訳が立たないと嘆いているのもわかる。

 だがもっとその奥に何か別の感情がある気がする。


「ヤマタノオロチとクシナダヒメってもしかして……」

「…………恋仲だった」


 そう、伝えられていたことが逆だというならこういうことだ。

 恋人が目の前で自殺し、その原因であるスサノオは既に手の届かないところへ行ってしまっていた。


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