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27.地下はどこに通ずる

 箒と軍手を持ってその建物の前に立つと背中に一本棒を入れたように気が引き締まった。

 平屋で南側に玄関と縁側がある、いわゆる伝統的な木造日本家屋。

 壁面の木材は元からそういう加工が施されているのか年月を経て変色したのか、全体的に黒ずんでいて、銀がかった黒色の瓦と相まって家屋の重厚さを強調していた。


「ここか」

「下の家がだいたい築五十年で、こっちは百年くらいだって」


 伊万莉の家系は代々旅籠の経営をしていて、古くなった旅籠を建て替えてできたのが今の民宿神代だ。

 婿入りをしてきた祖父と一緒に祖母は新しく建てられた下の家に移り住み、民宿を営んだ。

 そして伊万莉の母が生まれると、育児の為に祖母と幼い母は一時的に曽祖父母の住む上の家に戻ったらしい。

 成長期のほとんどを上の家で過ごしていたのでこちらが伊万莉の母の生まれ育った家ということになる。


「すごいな……」


 オロチの顔が驚きの表情で固まっている。


「だよね。ここだけで世界が完結してる」


 家屋を囲むように起立する松や杉の針葉樹の隙間から時折吹く風。

 朝日が昇れば横を流れる小さな清流が天から降り注ぐ陽の光を反射し、壁面の一部に輝く揺らめきを映す。

 遠くに眺める山々は四季を絵画として落とし込んでいる。

 これらが全て計算された配置だというから、当時設計した人物には恐れ入る。


「伊万莉! 中……中はどうなってる⁉」

「じゃあ入ってみようか」


 玄関の引き戸は周りと違って少し新しい。伊万莉の母が小さい頃に建て付けが悪くなって、そこだけ取り換えたということだ。

 伊万莉はズボンのポケットから鈍色の鍵を取り出す。

 それを鍵穴に差し込んで回すとガチャンと手応えが返ってきた。

 戸を開けて一歩中に入ると伊万莉の鼻に古い畳の匂いが飛び込んでくる。いつ来ても変わらない懐かしい匂い。


「僕、窓開けてくるからオロチは好きに見てて」


 土間で靴を脱いで居間にあがり、そこを通り抜けて縁側へ。

 暗い中でネジ締り錠をぐりぐりと回しガラス戸を開ける。それから動きが悪い雨戸を次々に戸袋に押し込んでいった。


「ふう」


 この作業だけでも伊万莉の額には汗が浮かんでいた。

 しかし縁側には光が溢れて、淀んだ部屋の空気が一気に入れ替わった気がした。

 同じようにして反対側の窓も開けていく。


「どう? オロチ」


 伊万莉が窓を開けている間、オロチは建物の中を興味深げにぐるぐると見て回っていた。

 土間に戻ってきたところで伊万莉は声をかけたのだ。


「本当にここに住んでも……いいのか?」

「まだ母さんに正式に許可貰ったわけじゃないけど、たぶん大丈夫だと思うよ」


 何だかんだで伊万莉の母はオロチのことが気に入ってるし、この家も伊万莉が成人したら好きにしていいと言われている。

 少し早いがこれくらいなら問題ないだろう。


「感謝するぞ伊万莉! ここは神にとってもかなり居心地が良い。そういう風に造られてる感じだ」


 オロチが弾けんばかりの笑顔を伊万莉に向けてくる。


「そうなんだ。昔の家だからそういうことも考えられてるのかも」


 神棚も当然のように設けられていた。

 今は誰も住んでないので神札は下ろして神社に返納してある。

 オロチが住むとなると神そのものがいるわけだから、神棚には他の神の札を置かないほうがいいのかもしれない。



 しかし、神にとって居心地がいいこの家も、人間にとってはどうかというと。


「ただ、この家には問題があってね……現代の水準からするとかなり住みにくい」

「そうなのか?」


 水道がないから地下水をポンプで汲み上げて持ってこないといけない。

 ガスがないから風呂は薪で焚き、調理はかまどで。

 電気は止まってるから家電が使えないし、明かりも蝋燭とか行灯。

 そしてトイレが和式で汲み取り式。

 現代っ子の伊万莉がこれで暮らしていけるのはせいぜい三日が限度だ。

 これら全てを現代水準にしようとすると数百万は軽くかかる概算だった。


「まあちょっとずつ直していくよ。全部直すには何年かかるかわからないけど。それまで僕は下の家と往復かな」

「ふむ。……ん?」


 オロチが土間の一角をトントンと足で踏み鳴らしている。


「伊万莉……この下には何がある?」

「下? 何もないはずだけど」


 この家に地下室や地下貯蔵庫があるなんて話、伊万莉は聞いたことない。

 もちろんオロチが示すその場所は三和土(たたき)で固められている。


「空間がある。それに……変な感じも」


 そう言われて伊万莉もその場所を歩いてみたり、近くにあった薪で叩いたりしてみたが空間があるような反響はわからない。でもオロチが言うのならそうなのだろう。


「壊してみてもいいか?」

「ええっ⁉ あ、いやでも、確認はしとくべきなのか……」


 地下水の浸水で崩落でもしていたら住むどころの話ではない。命にも係わる問題だ。


「じゃあ壊してもいいけど――」

「よし」


 伊万莉が言い終わる前にオロチはその空間があると言う場所に腰を落として正拳突きを叩き込む。

 その拳にどれだけの力が込められていたのか、地面がひび割れると同時に爆発したような音と土煙が伊万莉を巻き込んだ。


「ぶふっ!」


 視界が黄色に染まって細かい粒子が目に痛い。

 呼吸した時に少し吸い込んでしまったのか伊万莉は何度かむせた。



 ようやく土煙が収まって腕でかばっていた目を開けれるようになったのに、そこには再び目を覆いたくなるような惨状があった。

 破壊された三和土は散乱し、畳や梁は土埃にまみれ、そして伊万莉自身も頭からつま先まで砂を被っていた。


「オ~ロ~チ~。やってくれたな……」

「あ……」


 伊万莉の声にやっと周囲の状況を把握したオロチは暑さによるものではない汗を滝のように流していた。

 周りが汚れるからシート等で覆いをしてから道具を使って壊そうと思っていたのに、伊万莉がそれを説明する前にオロチが行動に移してしまってこれである。


「二人だけで掃除するの絶対大変だよこれ……」


 髪の間に入り込んだ砂を落としながら伊万莉は言う。

 畳も一度外に出して叩かないといけないかもしれない。


「す、すまん」

「まあ、やっちゃったものは仕方ない。それより下はどうなってた?」


 伊万莉の場所からも三和土にぽっかりと穴が開いているのが見えている。

 自らの知らないところでこんなものが存在していたことに伊万莉は少し不気味さを感じた。


「深くはない。自然に出来たものでもないな。人の手が入っている」

「ということは、昔は使ってたけど使わなくなったから塞いだのかな」


 よく見るとその穴は不自然に四角に開いていて、その縁に朽ちた木の枠があった。もしかしたら一緒に吹き飛んでしまっただけで扉みたいなものもあったかもしれない。


「入ってみるか?」

「うん」


 ポケットから取り出したスマートフォンのライトを点けて穴の入り口を照らす。

 一メートル四方の穴の下は土が階段状に固められていて降りられるようになっていた。


「俺が先に行く。伊万莉は後ろに」


 オロチの声に警戒感が混じっている。

 そういえばオロチがこの空間を発見した時に変な感じがすると言っていたことを伊万莉は思い出した。



 階段を降りたオロチが左腕にしていた細身の腕輪を外して親指でピンと弾くと、その腕輪は空中に浮いて一定速度で回転して光を発した。

 伊万莉のスマートフォンのライトが必要ないくらい周辺を明るく映している。

 オロチの背中に隠れるようにして伊万莉は地下室に首を巡らせた。土壁は道具を使ってしっかり固められていて燭台もある。

 広さもそんなにはない。照らされた向こうに壁らしきものの存在も確認できる。ぱっと見は地下貯蔵庫かと思う。

 だが伊万莉は気になることがあった。


「この壁に描かれた線は何だろ?」


 壁をぐるっと一周囲む形で白っぽい線がいっぱい引かれている。

 床面に対して垂直に描かれているものや、壁面と天井面の境で方向が変わるものなどいろいろで、その規則性は感じられない。

 一本一本を見るとそうなのだが、全体を引いて見るとそれらが重なって図形のように見えなくもない。


「結界だ」

「結界?」


 オロチが壁の線を触りながら頷く。


「この奥は黄泉比良坂の出入口になっている。この結界はそこから亡者が出てこないようにしているものだ。変な感じがしたのはこれか」

「何でうちの地下にそんなものが……?」

「家を建てた後で気が付いて結界を張ったのか……いや、結界の古さからして結界が先にあってそこに家を建てたと言うべきか」


 百年前にこの家を建てたとされる時にこの地下室の存在に気付かなかったとは考えにくい。

 そうなると――。


「もしかしてうちが代々この結界を守っていたってこと?」

「そうだろう。ただの黄泉比良坂の出入口だったら岩でも置いて塞ぐだけでいいのに、あえてこちらから入れるようにしてある理由は……」


 伊万莉の考えていることと、オロチの考えていることがシンクロする。

 でもそんなことがあるのか。神代家の旧家屋の地下に、オロチの仲間が封印されている石塔に通じる黄泉比良坂の入口が存在するなんて偶然が。


「おじいちゃんかおばあちゃんが生きてたら何か知ってたかもしれないけど、入り口があんな風に固められていたってことは、ここが何なのかって言い伝えは途中で失われていたのかも……」

「これ以上考えても仕方あるまい。入ってみればわかることだ」

「うん、行ってみよう」


 一番奥の壁は光を不自然に歪めている。岩壁のように見えるが影の付き方がおかしい。

 オロチが壁の前まで行って腕を伸ばすと、あっけなく腕の半分はその壁に呑まれてしまった。

 伊万莉も同じように触れてみる。

 緊張で汗をかいている手のひらは、水蒸気を手で払ったくらいの感触を残して向こうにすり抜けた。

 伊万莉なら入れるという仮説もこれで正しかったと証明できた。



 オロチが差し出してきた大きな左手を握って、伊万莉は向こうの世界に飛び込んだ。


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