夫婦喧嘩、勃発?
あの女が逃げてしまったため、フェリシティとメイスンは詰め所で事情聴取に応じることになった。被害者なのでその場で事情を説明してもよかったのだが、メイスンの店の前で大騒ぎをしたものだから、あちらこちらから人が沢山出てきていた。フェリシティもメイスンもこの辺りの住人とは親しいので、心配そうな目を向けられている。
「これはすぐに噂が広がりそうですね」
「そうね。噂を立てるのが目的だったのかしら?」
メイスンの呟きにフェリシティが頷く。それを聞いていた隊員が苦笑いをした。
「申し訳ありませんが詰め所まで移動していただけますか? ここで聞いたら、住人たちが話し始めて収拾がつかなくなりそうです」
「そうね、早く済ませてしまいたいわ」
二人は素直に隊員と共に詰め所まで移動した。詰め所に入れば、すでに情報が回っていたのかロイが待ち構えていた。その表情はやや厳しめで、いつもの軽薄さは感じない。フェリシティはよそ行きの笑顔を浮かべた。
「こんにちは、ロイ」
「一体何があった? 先に戻ってきた隊員に報告を聞いたが、よくわからなかったのだが」
単刀直入に聞かれて、フェリシティは困ったように首を傾げた。
「理解できていないのはこちらも同じよ。サイモンはわたしと離縁したがっていて、空気を読んでわたしが離縁を切り出して家を出て行けと言われたわ」
「は?」
ぽかんとした顔をしたロイに、メイスンが詳細な説明を加える。
「その女性、わたしの店にドレスを作りに訪れていたのですが、その時もサイモン隊長と結婚をすると言っていました。なんでも王都にいたころの元恋人で、サイモン隊長とは結婚の約束をしていたとか」
「ちょっと待ってくれ。整理すると、その女はサイモンと昔結婚の約束をしていて、会いに来たら結婚していた。さっさと離縁して屋敷を出て行け、と言った。あっているか?」
「そうです。間違いありません」
メイスンが神妙な顔をして頷く。ロイが頭が痛そうに眉間を揉んだ。
「どこからどう突っ込んだらいいんだ。そもそもこの問題はサイモンの不始末という事か」
「さあ? わたしは彼女が昔の知り合いで何か困った問題を抱えている、としか説明してもらっていませんから」
しれっとフェリシティが告げれば、その場が凍り付いた。
「え? マジで?」
「マジというのが本当かという意味なら、本当よ。あら、そう考えればサイモンはわたしよりも彼女の方がいいということかしら?」
あの女が妄想癖があろうとも、サイモンは穏便に済ませたかったのだろう。そう考えれば、サイモンは妻であるフェリシティよりも彼女の方が大切に思っているとも受け止められる。フェリシティはむかむかしてきた胃に手を当てた。
「待てっ! 早まった考え方はするな!」
「だって、よく考えてみたらおかしいじゃない? 妻がいるのに離縁するのが当然、なんて普通の人は考えるかしら? それって――」
言葉を続けようとしたが、すぐに大きな手で口が塞がれた。少し頭を反らし、上を向く。頭を後ろから抱きしめるようにして立っていたのはサイモンだ。サイモンが無表情でそこにいた。
「サイモン! 早く来いよ!」
サイモンはロイを一瞥しただけですぐにフェリシティに視線を戻した。フェリシティはじっと冷静にその目を見返す。
「ヘザーとは何でもない。既に過去の話だ」
「ふうん。彼女のこと、ヘザーと呼んでいるの。随分と親しい間柄なのね」
フェリシティはゆっくりと彼の手を外すと振り返り、サイモンと向かい合わせに立つ。彼はいつもと変わらない顔をしていた。そのことがフェリシティの気持ちを逆なで、腹立たしくなる。
「フェリシティ」
「彼女、わたしは愛されていないからさっさと出ていけと言ったのよ。どうやら離縁したらあの屋敷に住みたいみたい」
「あり得ない」
「あり得なくても、そう思っているみたい。それって彼女に期待させる何かがあったということじゃないの?」
冷静に、と自分自身に言い聞かせていたが、話している間に気持ちが高ぶってきた。同時にむかむかも込み上げてきて、感情を全く見せないサイモンを睨みつける。
「ちょっと待て! ここは詰め所だ。夫婦喧嘩なら家に帰ってから……」
「夫婦喧嘩じゃないわよ。わたしが一方的に不機嫌になっているだけ。それぐらいサイモンにとってはどうでもいい話なのよ。本当に嫌になるわ」
大きく息を吐くと、フェリシティはロイを見た。
「他に聞きたいことはある? ないのなら帰りたいのだけど」
「ちょっと待て、フェリシティ」
「待たないわよ。どうせわたしには話すことはないんでしょう? わたしのことは気にしないでちょうだい。本当に気分が悪い。少し実家に帰ろうかしら」
わざと棘のある言い方をして、初めてサイモンが動揺を見せた。
「それは駄目だ!」
フェリシティは冷めた目で彼を見ていたが、二人で話し合うのも大切かもしれないとも思っていた。離縁したいわけではないのだから、引き際が大切だ。そうは思っていても、一度高ぶった感情を上手く抑えることができない。
「はいはい、お二人とも。お疲れ様。家に帰ってしっかり話し合ってくれ」
ぱんぱんと手を叩いてロイがその場の注意を引いた。わざとらしい軽い口調に重苦しい雰囲気が幾分和らいだ。
サイモンはぐるぐると唸っていたが、きちんと話し合うつもりなのかフェリシティの腕をつかむ。フェリシティはその手を振り払わなかった。とりあえず、この場は収まりそうだと部屋の中にほっとしたような空気が流れた。
「お取込み中失礼します。よろしいですか?」
丁寧な言葉が割り込んできた。部屋の中にいる全員の視線が扉の所に向かう。そこには領内の事務手続きを行っている職員の女性がいた。彼女は冷ややかな笑みを浮かべて、サイモンにしっかりと視線を合わせている。
「サイモン隊長、ちょっと役所まで来てほしいのですが」
彼女の冷たすぎる態度に誰もが面倒が起こったに違いない、と思った。サイモンも内心そう思っていただろうが、表情に出すことなく断りを口にした。
「今は忙しい。事務処理ならまた後で……」
「事務処理ではありません。ヘザー・ブロンテという女性がサイモン隊長を後見人として移住の手続きに来ています」
「移住だと?」
サイモンは呆気に取られて、それ以上の言葉が出てこない。流石に先ほどメイスンの店の前で騒動を起こして、すぐさま役所に来るとは誰も思っていなかった。
事務の女性は忌々しそうにため息をついた。
「サイモン隊長はこの領地に移られてからまだ三年です。規則により五年以上領地に住んでいないと後見人になれませんので他の方の紹介状を持ってくるようにと説明をしたのですけど、サイモンを出せと大騒動していまして。今は事務員が押さえていますが、手に負えません」
「それは……なんだ、すまなかったな」
「すまないと思うのなら、きちんとした対処をお願いします。なんでも隊長と結婚する予定だから移住したいのだそうです」
フェリシティは目を細めて、ふふふふと笑った。
「サイモン、行っていらして? 事務方をとても困らせているみたい。今日の夜にでも話し合いましょう」
そう言ってフェリシティはサイモンを扉の方へと押しやった。