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突撃


 フェリシティは大量に編み上がったレースを箱に入れた。サイモンの朝帰りした日からすでに七日経っていた。そろそろ歩み寄らなくては、と思うのだがどうしても一歩が踏み出せない。


 顔を合わせれば、お互いに何か言いたそうな顔をするが言えずにいた。部屋も別にしてからそのままだ。


 サイモンとは結婚してから、できるだけ朝も夜も一緒に食事をする。ただいつもと違ってフェリシティが黙っているから、まったくと言っていいほど会話がなかった。挨拶はするのだが、それだけだ。

 これほど会話のない時間は初めてだった。


「そろそろちゃんと向き合わないとね」


 わかっているけど、どうしても心は硬くなる。焦りと虚しさを感じながらフェリシティは立ち上がった。籠っていても気持ちは落ち込んでいくばかりだから、仕事を済ませてしまおうと思いついた。


 外出の準備をすると出来上がったレースの入った箱を持って家を出る。フェリシティの気持ちに関係なく、外はきらきら太陽の優しい光を浴びて綺麗だった。淀んだものを抱えるフェリシティの心も少しだけ明るくなる。


 領都の繁華街までゆっくりと歩いた。歩き慣れた道を行き、領都の繁華街の一角にあるドレスメーカーの店の扉を開けた。


「いらっしゃいませ! あ、フェリシティ様!」


 扉が開くのと同時に、明るい声に出迎えられた。フェリシティは店員の娘を見てにこりと笑う。


「頼まれていたレースを届けに来たのだけど」

「そうですか! うーんと、いまちょっと店長が取り込み中なので、こちらに来てもらってもいいですか?」


 慌ただしく彼女はフェリシティを事務所に押し込んだ。いつもなら応接室に通されるのだが、事務室に案内されて少し驚く。


「どうしたの? 変な客でも来ているの?」

「そうなんです。店長が上手くやると思うので、余計な人はいない方がいいというのか。関わらない方が無難というのか」


 ドレスメーカーには高飛車な客や難癖をつける困った客が時々いる。それを知っていたフェリシティはその曖昧な説明で納得した。


「そうだわ。前に教えてもらった銘柄の茶葉を仕入れました。飲んでもらってもいいですか? 美味くいれられているか、心配で」


 ころころと話題を変えながら、彼女はお茶を用意する。フェリシティは置かれたカップに手を伸ばした。香りを吸い込めば、ふわりと甘い花の香りがする。


「いい香りだわ」

「上手にいれられていますか? お花の乾燥したものが入っているお茶は初めてで」


 フェリシティは一口飲んで味を確認する。


「ふふ、心配しなくても大丈夫。とても美味しいわ」

「よかった。これで他のお客様に出せます」


 嬉しそうに彼女は笑う。他愛もない会話をしているうちに、時間が過ぎていった。


「こんにちは、奥様」


 どれぐらいたったか、2杯目のお茶をいれてもらった頃、丸い眼鏡をかけたメイスンが人当たりの良い笑顔を浮かべて部屋に入ってきた。メイスンは肩を超えるほどの長さの波打つ栗色の髪は作業の邪魔にならないように後ろで一本にまとめている。ドレスメーカーの主人らしく、もう40歳近いのに華やかな雰囲気を持っていた。


「あら、早いのね? 厄介なお客様がいると聞いたのだけど」

「お客様ではありませんね。ちょっと……いや、かなり困った人でした」


 苦笑しながら彼はフェリシティの前の席に座った。いつもよりも疲れているように見える。


「困った人?」

「ええ。ドレスを作りたいとやってきた女性なのですけどね」

「ふうん?」


 普通の客のような気がして、フェリシティは曖昧な返事を返した。メイスンは眼鏡をはずすと、こめかみを揉み解す。


「注文自体は問題ないのですが、世間話の内容が困ってしまって。どうやら近々結婚するらしいのですが、狂言としか思えないのです」

「貴方にそこまで言わせるほうがびっくりなのだけど」

「彼女の結婚相手がサイモン隊長なのです」

「は?」


 フェリシティは固まった。メイスンの冗談だろうかとまじまじと見つめる。メイスンは肩を竦めた。


「冗談でこんなことは言わないですよ。茶色い髪をした女で、初めて見る顔ですね。話し方からして領都の人間じゃない」

「信じられないわ」


 くらくらしたフェリシティは長椅子の背に体を預けた。メイスンはふっと息を吐く。


「頭がおかしいのかと思いましたが、サイモン隊長と一緒にいるところを何人か目撃しているのでどう受け取ったらいいのか悩みます。警備隊の人間なら妄言癖のある女に付き合うこともあるのだろうと思っていますが」

「……そう」

「大丈夫ですか? このようなことをお聞かせするべきではないのですが……」


 メイスンが心配そうにするので、フェリシティは気持ちを奮い立たせた。持ってきた箱をテーブルの上に置き、蓋を開ける。


「先に仕事をしてしまいましょう。レースが出来上がったので持ってきたのよ」

「拝見します」


 メイスンは外した眼鏡をかけ直し、仕事の顔になった。レースを手に取ると、丁寧に一つ一つ確認していく。今回持ち込んだレースはドレスの袖口に使う大きさのものだ。一心不乱で編んだから、いつも以上に沢山出来上がっていた。


「いつも素晴らしい出来ですね。これほど細い糸で編める人は一握りしかいないのをご存知ですか?」

「そうなの? わたし、ずっとレース編みは好きでやってきたから、よくわからないわ」

「奥様はどちらかというと使う側の人間ですからね。作り手の方はあまり馴染みがないかもしれません」


 世間話をしながらも、メイスンは手早く確認を終えていった。最後の一つを確認して、満足そうに微笑む。


「全て引き取ります。代金はいつもの通り、月末でいいでしょうか?」

「問題ないわ」

「ありがとうございます」


 フェリシティが立ち上がったので、メイスンも立ち上がりエスコートする。店の扉を開けると、メイスンが思い出したかのように付け加えた。


「言い忘れていました。先ほどの話ですが、妄想癖のある女が付きまとっているから本気にしないようにと周囲には伝えております。あの女性の言葉を誰も信じてはいないと思いますが、念のため」

「メイスン、ありがとう」

「いいえ。()()()()にはいつもお世話になっておりますので」


 久しぶりにメイスンにお嬢さま、と呼ばれてフェリシティは苦笑した。結婚前、フェリシティのドレスはメイスンがほとんど作っていた。


「では、また来るわね」

「お待ちしております」


 別れを告げて、店から出たところ――。


「サイモンの妻というのは貴女? あまりサイモンを困らせないで上げて」


 強烈なセリフがフェリシティに浴びせられた。

 驚きに目を見開き、声の主の方を見る。そこにいたのは薄茶色の髪と茶の瞳をした女性だった。フェリシティよりも年上のようで、体が自慢なのか、胸の大きさと腰の括れを強調するようなワンピースドレスを着ている。顔立ちはそれなりに整っているが目を見張るほどの美人ではない。少し勝気な目が印象的だ。


 フェリシティは困った顔をして首を傾げた。


「まあ、どなたかしら? 突然訳の分からないことを言わないでくださらない?」

「サイモンはわたしと結婚したいのよ。だけど、貴女が可哀そうだからサイモンは離縁してくれとなかなか言えないの。空気を察して離縁してちょうだい」

「離縁ですか? ありえないわ」


 フェリシティの気持ちは怒りで一気に高ぶった。サイモンは関わってほしくないような雰囲気だったが、相手から突っかかってきたのだ。この女を敵としてきっちり妻として対応すべきだ。


 フェリシティはちらりと隣に立つメイスンに視線を送れば、軽く頷かれた。どうやら店の誰かが警備隊の詰め所まで駆け込んだようだ。


「信じられないのは仕方がないわ。サイモンは昔からわたしのためなら何でもしてくれるのよ。だから貴女が悪いわけじゃない。でも愛のない夫婦なんてむなしいじゃない? 貴女がさっさと屋敷を出たらきっとサイモンも踏ん切りがつくわ」

「どうして屋敷をわたしが出ないといけないの?」

「離縁した貴女がサイモンの屋敷を出るのは当たり前でしょう?」


 ため息が出た。

 フェリシティは憐れむような目を彼女に向けた。


「残念だけど、あの屋敷はわたしの父の名義よ。万が一離縁したとしたら、出て行くのはサイモンだわ」

「嘘をつかないで!」

「嘘じゃないのだけど……」


 困惑気味にフェリシティが呟いた時、遠くで聞き覚えのある声が響いた。


「こっちです! 変な女がフェリシティ様に暴言を吐いていて!」

「あら、警備隊の方が来たわ」


 フェリシティはこちらに慌ただしく向かってくる警備隊員を見て呟いた。彼女は何やら悔しそうに唇をかみしめると、強く睨みつけてきた。


「サイモンを愛しているのならさっさと離縁してちょうだい!」


 そんな捨て台詞を残して、脱兎のごとく逃げだした。その後ろ姿を見送りながら、首を傾げた。


「彼女、どうしてあんなにも自信満々なのかしら?」

「さあ? 普通はもっと陰でやることだと思うのですが。頭がおかしいとしか思えませんね」


 メイスンが呟いた。フェリシティは同意するように頷いた。



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