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理解できない


「おかえりなさい」


 扉が開いた音がしたので、フェリシティは急いで居間から玄関へと向かった。もやもやした感情はいつまでも胸の中にあったが、それでも一日ぶりのサイモンである。フェリシティは笑顔で夫を出迎えた。

 サイモンは駆け寄ってきたフェリシティを見て、疲れ切った顔をほころばせて嬉しそうに笑った。


「ただいま。昨夜は連絡も入れずすまなかった。着替え、助かった」

「心配になるから、せめて連絡を入れてほしかったわ」


 さりげなく文句を言えば、サイモンは申し訳なさそうに目を伏せる。フェリシティは夫の仕草を一つも見落とさないと意気込みながらじっと観察をした。


「同じことはもうしないと約束する」

「そうしてちょうだい。それで、昨夜はどうなさったの? 夜勤でもないのに帰ってこないなんて」

「それは」


 言い訳を考えていなかったのか、サイモンが口ごもった。フェリシティは下から見上げるようにして、サイモンと目を合わせる。


 サイモンは落ち着かない様子できょろきょろと視線を動かし、フェリシティを見返さない。その態度がフェリシティをひどく嫌な気分にさせた。


「……言いにくい? 聞き方を変えるわ。昨夜、一緒にいた女性は誰? 薄茶色の髪をした方のことよ」

「何故、それを」


 サイモンが驚いたように息を飲んだ。フェリシティはぎゅっと両手を握りしめ、落ち着け、と自分を言い聞かせる。


 怒っては駄目だ。感情的になっては、何でもないことでも拗れてしまう。


 必死に自分の心を宥めながら、サイモンを見つづけた。だが、後ろめたいことがあるのか、サイモンの視線はさらに落ちる。


「今朝、着替えを届けた帰り道で一緒に二人で寄り添って歩いているのを見たわ。店から出てきたのですもの。ずっと一緒だったのでしょう?」

「……彼女は古い知り合いだ。ちょっとしたことがあって、俺を頼ってここまで来たんだ」

「ちょっとしたこと? 何なの?」

「それは」


 非常に歯切れの悪い言葉に、フェリシティは忙しく頭を働かせた。


「はっきり言って? 言葉にしないとわからないわ」


 サイモンはどうにもならない気持ちでもあるのか、乱暴な手つきで頭を掻きむしった。彼の頭の中でどう処理されたのかわからないが、サイモンは迷いのない強い眼差しでフェリシティを見つめた。


「迷惑はかけない。俺が愛しているのはフェリシティだけだ。信じてほしい」

「……ずるいわね。今まで一度も愛しているなんて言ったことがないのに、こういう時に言うのはどうなの?」


 フェリシティは自分の心が冷えていくのが分かった。お互いを知りながら、少しずつ夫婦として愛情を育てていきたいと、フェリシティはあれこれとサイモンに歩み寄ってきた。


 彼の態度からきっと大切に思われているのだろうと感じることはあっても、愛しているとは一度も言われたことがない。だからこそ、ちゃんと言葉をもらいたいと頑張ってきたところがある。


 それなのに。

 まだ柔らかな二人の関係に亀裂を生んだ出来事への追及を逃れるために愛しているという言葉を使う。フェリシティの気持ちが一気に硬化した。


 妻の拒否を感じたサイモンは一歩前に出て彼女の肩を抱こうと腕を伸ばした。伸ばされた腕があと少しで届くところで、ふわりと知らない匂いが鼻をくすぐった。


「やめて」


 香ってきた自分とは違う女の匂いに、フェリシティは咄嗟に彼の手を払った。結婚して初めての妻の拒絶にサイモンが驚きに目を見開き固まった。


「女の匂い。帰ってくる前も会っていたのね。香り移りがするほど近くにいて、事情を説明せずにわたしに信じろと言うの?」

「本当にやましいことは何もしていない」


 訴えるような言葉だが、フェリシティにもプライドがある。背筋を伸ばすと一歩下がった。


「食事の準備は出来ています。食べるつもりがあるなら食べてください」

「フェリシティは食べないのか?」

「食欲なんてあるわけないじゃない。一晩、心配して待っていたのに、連絡もなく女と一緒。さらには事情も説明せずに女の匂いを付けている。どこにわたしの気持ちが落ち着けるような部分があるのかしら?」


 感情が抑えきれずフェリシティは一気に言い放った。そして大きく息を吸って、吐いた。


「ごめんなさい。信じていないわけじゃないの。ただ、嫌な気持ちばかりが込み上げてきて……。少し冷静になる時間が欲しいわ」


 フェリシティはサイモンの言葉を待つことなく身を翻し、そのまま自室へと向かう。一人、夫婦の部屋に駆け込むと、乱暴に扉を閉めた。


 扉に背を預け、ずるずるとしゃがみこむ。フェリシティは泣きたい気持であったが、のどまで込み上げてきた塊を無理やり飲み込んだ。何度か大きく呼吸をして落ち着こうとするが、頭が痛み、吐き気がする。


 落ち着くまでと、扉に寄りかかり目を閉じた。

 意識してゆったりと呼吸するようにしていれば、次第に吐き気や頭痛が小さくなった。


 そろりと目を開ける。気持ちはまだざわつくが、少しは落ち着いた。フェリシティは扉に寄りかかったまま、ぼんやりと夫婦の部屋を眺めた。


 夫婦の部屋はくつろぐための居間とその奥に寝室の続き部屋になっている。居心地他良くなるようにとフェリシティが一番心をこめて整えた部屋だ。

 寝室の扉は開いており、ここからでも大きな寝台が見えた。こんな気持ちで一緒の寝台を使うなんてできるはずがない。


 フェリシティは寝室に入り、自分の枕と寝間着をまとめた。ぐるりと一通り部屋を見渡してから、廊下に続く扉を開けた。


 扉を開けると、そこにはサイモンが立っていた。驚いて彼を見れば、全身びしょぬれだ。頭から水を被ったのか、ぽたぽたと水が床に落ちて足元に水たまりを作っている。


「どうしたの、そんなに濡れて……」

「匂いがついていると言っていたから、とりあえず水を被った」


 意味が分からなくて、フェリシティは眉をぎゅっと寄せた。そんなことをするよりも、さっさと理由を話してもらった方が嬉しいのに。フェリシティは詰りたくなる気持ちを必死に抑えた。


「だったら、理由を教えて?」

「……彼女は少し困った状態になっている」


 言葉を選びながらサイモンは重い口を開く。フェリシティは続きを視線で促した。だが、サイモンはそれ以上話そうとしない。


「困ったことになったからって、ほとんど付き合いのない貴方を頼るのはおかしいじゃない」


 言葉にして見て、嫌な想像が頭に浮かんだ。否定したくても、疑う自分がいる。


「その点については申し訳ない。まさかここまでやってくるとは思っていなかった。だが、何があっても俺はお前を愛している。静観してもらえると助かる」


 再び愛していると言われて、フェリシティの顔は引きつった。妻の気持ちを正しく理解していない男を睨みつける。


「言いたいことはわかったわ。じゃあね」


 フェリシティは納得していないことを態度に示しながら、そのままサイモンの横をすり抜けた。


「どこに行くんだ?」

「客室よ。言ったじゃない。冷静になる時間が欲しいって」

「だったら、俺が客室に……」

「結構よ。今はとにかく放っておいて」


 ツンとした態度でサイモンを突き放すと、フェリシティは客間へと移動した。


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