心が寄り添う
「もう一度、謝らせてほしい」
サイモンと二人、日当たりの良いテラスに移動すると、改まってサイモンが頭を下げた。驚いて目の前にある彼の頭を見つめる。フェリシティはすでに先ほどの説明で納得していたからそれで終わったものだと思っていた。
「サイモン」
「俺は一人の夜を過ごしてみてはじめてフェリシティの気持ちが……辛く寂しい気持ちが理解できた」
そうか、寂しいと思ってくれたのか。
フェリシティはサイモンにとって自分がなくてはならない存在になっていることに自然と頬が緩む。彼の表情は見えないが、ひどく後悔していることが伝わってきた。
「ねえ、顔を見せて?」
彼の顔を見たくて、大きな肩に触れた。サイモンは促されて、のろのろと顔を上げる。その表情はいつもよりも険しく、苦し気だ。フェリシティは宥めるように笑みを浮かべ、彼の大きな手を取り、ぎゅっと握りしめた。そして長椅子に寄り添うように腰を下ろす。
「本当に済まなかった。俺の想像力が足らなかった。もっと君に寄り添うべきだった」
「さっき話してもらったから、サイモンがわたしのためを思ってくれたのだと理解しているわ」
「情けないだろう。俺はあまり弁が立つ方ではない。母や妹と一緒にまくしたてられると面倒くさくなってしまう」
「……それは仕方がないことだわ」
サイモンが寡黙であることはわかっていた。自分の思い通りにするつもりで話している相手に勝てるとは思っていない。
どっぷりと落ち込むサイモンを見ているうちに、愛おしさが込み上げて来る。間違っていたが、彼は彼なりの方法で守ろうとしてくれていた。
「でもそれではいけなかった。対応できないのであれば、望みを叶えるのではなく逃げるべきだった」
「教えてほしいのだけれども。言うことを聞いておけばいいと思っていたのに、実家と縁を切ってここに来た理由は何?」
大したことではないと思っていたからサイモンが実家とは縁を切っている理由を聞いたことはなかった。
子爵家がサイモンとの結婚に反対の態度は取ったことがなかったのと、フェリシティ自身が貴族との繋がりは必要としていない。逆に貴族とのしがらみはない方がすっきりする。そんな思いもあって、あえて聞かなかったのもある。
「ヘザーが隣国の貴族と駆け落ちをして、その原因は俺にあると散々責められたからだ」
「えっと? どういうこと?」
「ヘザーの気持ちを繋ぎとめておけなかったのは努力が足りないからだと」
「サイモンは彼女のことを好きだったの?」
「いいや、まったく。顔を合わせたくないほど嫌いだ」
当時のことでも思い出したのか、不愉快そうに眉間のシワがきつく寄った。その嫌悪の表れに、昔は少しでも好きだったのかもしれないという小さな不安が霧散する。
だが同時に首を傾げてしまう。何でも願いを叶えてくれるとはいえ、自分を嫌っている相手と結婚しようとするだろうか。
「それほどサイモンが嫌っているのに、どうして彼女はサイモンと結婚するから離縁しろという話になるの?」
「すまないが、俺がヘザーを理解できたことはない」
「そうだったわね。ではもう一つだけ。彼女、わたしが領主の娘だということは知っているのよね?」
ここが一番不思議なところだった。フェリシティとサイモンは両親が貴族だ。たとえ母方の伯父が男爵であってもヘザーは平民だ。ただの平民であるヘザーが貴族に対して意見を押し通すことはできない。それはこの国だけでなく、他国でも同じ。
「知っている。知っていて、俺が貴族であるから大丈夫だと思っている」
フェリシティは自分とは違う価値観をすぐに理解できなかった。理解しようと眉間にシワを寄せてうんうんと唸っていると、そっと額にキスが落とされた。
突然のキスに驚いて、フェリシティは自分の状況にようやく意識を向けた。いつの間にか隣に座るサイモンにぴったりと抱き寄せられている。サイモンは大きな手でフェリシティの顎を掬い上げ、真正面からのぞき込んだ。真剣な眼差しに、フェリシティの意識は彼の方を向いた。
「フェリシティが側にいることが嬉しい」
「わたしだって嬉しいわ」
「君を愛している」
「わたしもよ」
サイモンに熱い眼差しで見つめられての愛の告白に、フェリシティは顔を真っ赤にした。自分からはいくらでも愛していると伝えられるのに、こうしてサイモンから言ってもらうとドキドキしてしまう。
サイモンは大切なものを包み込むようにしてフェリシティを抱きしめた。フェリシティも彼の背中に腕を回す。彼の温もりがじわりと全身に伝わってくる。
「よかった。こうしてフェリシティを感じることができる」
「サイモン」
安心させるように、彼の大きな背中をさする。彼は一度だけ強く抱きしめると、腕の力を緩めた。
「もう二度とあんな思いはさせない。だから、フェリシティは家で待っていてほしい」
「嫌よ」
フェリシティはあっさりとサイモンの言葉を拒否した。拒絶されたサイモンは固まる。表情豊かになりつつある夫を愛おしそうに見つめながら、にこりとほほ笑んだ。
「貴族的な対応は両親に任せるけど、彼女にはわたしから釘を刺すわ」
「釘を刺す?」
「そうよ。何があってもサイモンが彼女の言うとおりにしてくれると勘違いしているようだから。ここはきっちりとわからせておかないと」
「あれと話すと嫌な思いをするぞ」
サイモンが心配そうに眉を寄せた。
「嫌な思いをしたっていいのよ。わたしはそれぐらいでへこたれないもの。でも今後一切同じことをさせるつもりはないの」
「今回のようなことは、俺がさせない」
「サイモンはそう思っていても、彼女が自覚していなかったら同じでしょう?」
「それは」
言葉が返せないのか、サイモンの視線がうろつく。
サイモンの気持ちを信用するしないの問題ではなくて、刷り込まれた何かがある限りサイモンがヘザーに勝てる未来はない。
ヘザーもそれをちゃんと押さえていて、サイモンが無視しようとしてもしつこく攻めていけば丸め込めると思っているのだろう。今回突然やってきたことと、いくら結婚していて離縁などできないと説明しても受け入れないことから彼女の考えは透けて見える。
「とにかく! サイモンはわたしの夫だということをきっちりと理解してもらうつもり。サイモンは口を挟まないで側で見守っていてね」
きっぱりと宣言した。絶対に有耶無耶にしないという強い気持ちがフェリシティを高揚させる。
フェリシティはちゅっと彼の頬にキスをすると、勢いよく立ち上がった。
「善は急げよ! さあ、お母さまに説明したあと詰め所に行きましょう!」
「これから詰め所に行くのか?」
「サイモンはお仕事でしょう?」
「今日ぐらいは」
「ダメよ! ほら、立って!」
フェリシティの勢いに負けて、サイモンは仕方がなく立ち上がる。
「ヘザーは本当に理解不能な人格をしているんだぞ」
「知っているわよ。でも、このままサイモンの背中に隠れているなんてイヤなの」
そう、これは女同士の戦いだ。
引くつもりなんてない。
そう意気込んで、サイモンを連れて子爵夫人の元へ突撃した。ゆったりとお茶を楽しみながら待っていた子爵夫人は二人の明るい様子に嬉しそうに目を細めた。
「よかったわ。ちゃんと話し合えたのね?」
「はい。心配かけてごめんなさい」
「いいのよ。貴女はわたしの可愛い娘だもの」
にこにこと上機嫌に微笑む子爵夫人に、フェリシティも嬉しくなる。
「お母さま、これからサイモンとヘザーに会いに行ってきます」
「どうして?」
「ここは妻であるわたしがガツンと言っておかなくてはいけないからです!」
強く言い切った。やる気を出した娘を微笑ましく見つめながら、子爵夫人は一言言った。
「却下」
「え?? お母さま!?」
「ミランにも指示を出してあるから、まだ駄目よ」
「でも」
「二人は……そうね。こちらの準備が整うまで、もっと夫婦の仲を深めなさい。二人っきりになれるように離れを貸してあげるわ」
夫婦仲を深めろと言われて、フェリシティとサイモンが固まった。
「お母さま?」
「ふふ。もっと愛を深めましょうね? そろそろ子供ができてもいいと思うの」
意味深に微笑まれて、フェリシティは真っ赤になった。