話し合い
フェリシティの両親、兄夫婦に囲まれての朝食は非常に心地が悪そうだった。フェリシティは隣に座るサイモンを横目で見て、密かに嘆息した。
心地の良い朝食になるはずはない。仮面のような笑みを浮かべる母親に、不機嫌そうな父親が目の前にいるのだから。そして他人事のように見ている兄と空気に徹している義姉のジェイン。
ちらりと助けを求めるようにジェインを見たが、彼女はにこりと微笑んだだけでお皿に向き合ってしまった。
いつもなら色々と助けてくれるジェインだが、今日はその援護を期待できそうにない。こうした家族の問題にはジェインは一定の距離を保つのだ。できた兄嫁である。
話し合いは朝食の後でということになっているのだが、これほど気まずい空気になるのならさっさと話し合いにすればよかったと後悔する。だがサイモンはやや顔色を悪くしながらも、不愉快そうな様子は見せていない。それだけが救いだ。
「それで、言い訳はあるのかしら?」
朝食が終わり、お茶が運ばれたところで子爵夫人が尋ねた。どうやら子爵ではなく、子爵夫人が取り仕切るようだ。
「俺が彼女を傷つけたのは本当のことです。言い訳のしようがありません」
「あらあら、随分と潔いのね。でも語らなければ何もわからないわ」
ころころと子爵夫人が笑う。笑いながらも攻撃する気満々という空気が伝わってきて、フェリシティは慌てて間に入った。
「お母さま! もう少し言い方を……」
「大丈夫だ。俺が説明すべきことだから」
抗議しようとしたフェリシティの手を優しく握りしめると、サイモンは子爵夫人の態度を気にすることなく事情を説明し始めた。
時折、話の途中で子爵夫人が質問をし、サイモンがそれに応える。フェリシティはその内容がとても信じられなくて、質問することが何も思い浮かばなかった。聞きたいと思っていた内容なのに、一つも言葉が出てこない。
「彼女はフェリシティを絶対に傷つけるとわかっていた。彼女にとって中心は自分で、自分の思い通りにならない人間は邪魔になるから」
「それで早く追い払いたかったわけだ。上手くいかなかったようだが」
ようやくミランが口を挟んだ。サイモンは小さく頷いた。
「元々、諫められないから求められるまま行動していたのでしょう? それが急に突っぱねることなんてできるわけがないわ」
子爵夫人のばっさりと切り捨てるような言葉にサイモンは項垂れた。そんなサイモンを励ますように、フェリシティは彼の手を優しく握りしめる。
「わたしはどんなことでもいい、すべて話してほしかったわ。たとえわたしのためだったとしても、隠し事をされて動かれる方が嫌よ」
「そうか、そこまで思い至らなかった。本当にすまなかった」
サイモンの後悔が瞳に滲む。初めて見る辛そうな表情に、つい先ほどまで胸の中にあった拗ねた気持ちや投げやりな気持ちがすっと溶けた。フェリシティを守りたいから関わらせたくなかったというサイモンの言葉を信じられる。
「だから今回限りにしましょう。わたしもこんな程度とは思わず何でも相談するわ。だからサイモンももっと言ってほしいの」
「……ありがとう」
二人で微笑み合えば、空気が柔らかくなる。久しぶりの穏やかさにフェリシティの瞳に喜びの涙が浮かんだ。何度か瞬いて涙を散らすが、どうしても潤んでしまう。
「さて、今までのことがはっきりしたのだから、先のことでも話そうか」
今まで傍観していた子爵が重々しく口を開いた。サイモンは表情を改めると背筋を伸ばした。
「今、彼女の実家の方へ迎えに来るようにと連絡を入れています」
「それは聞いている。だけどな、君の幼馴染は貴族の娘であるフェリシティに対して喧嘩を売ったのだ。これは見過ごすことができない」
「わかっています」
サイモンが神妙に答えれば、子爵は頷いた。
「そうか。ならいい。後のことはこちらの話だ」
「お父さま、わたしは大丈夫ですから」
何かを含んでいるような笑みに、フェリシティは慌てて父親に進言した。貴族が平民を罰するなんて、領民からの心証が悪くなってしまう。それにフェリシティは今は平民として生活している。たとえ領民たちはお嬢さまとして接しているとしても、すでに貴族としての立場はない。
そんなフェリシティを止めたのはサイモンだった。フェリシティは驚いて夫をまじまじと見る。
「温情を与えるのは駄目だ。いつまでも甘やかされているのだという勘違いは彼女のためにはならない」
「そうかもしれないけど、お父さまが領民に横暴な貴族と思われたら」
彼女の行く末を心配しているのではない。この子爵家に瑕を付けたくないという気持ちだけだ。今回のことに関して言えば、領民でないヘザーを不敬という理由で罰するのはできなくはない。理不尽だと感じさせるような理由で罰するのはなるべく避けた方がいい。
「フェリシティ、心配はいらない。これで何もしなかったら逆に暴動が起きる」
面白そうに笑うミランにフェリシティは真剣みの足りない兄を睨みつけた。
「そんなはずないじゃない」
「フェリシティは領民に愛されているわよ。つい先日だって、早く彼女を領都から追い出してくれと嘆願されていたわ」
今まで黙っていたジェインが言葉を挟んだ。驚いてジェインを見れば、彼女はにこりと微笑む。
「貴女と皆親しくしながら、フェリシティ様と呼ばれているでしょう? それがすべてじゃない?」
「それは嬉しいけど!」
好意を自覚させられて思わず顔が赤くなる。フェリシティもこの領地の住民が好きだ。だからここで暮らしている。
「フェリシティの心配はわかったわ。あなたが家族を愛していて同じぐらい領民を愛している。嬉しいことだわ。なので、この件はわたしが対応しましょう」
仕方がないからと言った様子で、子爵夫人は言った。その場が固まる。
「お母さまが対応するの? え、お父さまの方がよくないかしら?」
「そうだよ、お前の手を煩わせる必要はない。私が指示をすればいいだけの話だ」
「ふふふ。二人とも何を慌てているのかしら?」
フェリシティと子爵が慌てれば、きらりと光る眼で睨まれた。子爵はもごもごと聞き取れない言葉をつぶやき、フェリシティは縋るように兄を見る。ミランは妹の無言の訴えに肩を竦めただけだった。
「フェリシティ、諦めろ。母上がやる気だ。誰にも止められない」
やる気が「殺る気」と聞こえるのはどうしたことか。不安しかない。
「そんなに心配しないで。逆恨みされず、今後も煩わされることもなくするから。大丈夫よ、ちゃんと考えているわ」
「……でも、これはわたしがきちんと向き合うべき問題なのよ」
フェリシティはどこか納得できなくて、そう呟いた。その言葉を拾いあげた子爵夫人はじっと娘の顔を見つめた。
「本当にそう思っているの?」
「ええ。だってこれからだってこういうことがあるかもしれない。もちろんお父さまにもお母さまにも立場がある。わたしが口を挟んでいい範囲までだけれど」
子爵夫人はふんわりと微笑んだ。
「だったらサイモン殿ととことん話し合いなさい。そしてあなたがどうしたいかをわたしに教えてちょうだい。その結果でどうするか決めましょう」
「いいの?」
ちらりと子爵と兄を見る。二人は苦笑いしながらも頷いた。子爵夫人はどこか嬉しそうに目を細めた。