再会
今日こそはサイモンと会う。
明け方近く、フェリシティはむくりと起き上がった。窓からは朝の光がカーテンを白く染めている。
「今日こそは頑張るわ!」
気合を入れると、寝台から足をおろした。すでに今日着るドレスは決めてある。部屋にある長椅子の上に用意してあったドレスを手に取った。
普段着ているものよりも少し華やかなドレスだ。
布は肌触りがよく、明るい薄緑。何層にも重ねてあり、動くたびにふわりと裾が舞う。小さな襟からスカート部分まで一列に小さな包みボタンが並んでいるのが可愛らしい。最近の流行だと母親が用意していたものだ。
手ぶらで実家に来てしまっていたので、どうしても子爵家が用意していたドレスを選ばなくてはいけない。隠密に行動するには華美すぎるのだが、選びようがないので仕方がない。
実用性よりも美しさに重きをおいたドレスは結婚してからは着ることはなかった。これしか選べないからと言い訳しながらも、こうした美しいドレスは心が弾む。その高揚感を後押しに、気持ちを奮い立たせる。
兄のミランに連れ戻されてから三日目。
サイモンは毎日仕事前に子爵邸に寄っていく。でもフェリシティは一度も会えていなかった。ミランと母親に追い返されてしまうのだ。一日ぐらいはそれもいいかと思っていたが、流石に三日目になると会えないことに不満が出る。
早く支度しないと、と思いながらも小さな包みボタンに手間取った。朝の早い時間で、光が十分に部屋の中を満たしていないのも原因かもしれない。
苦労して包みボタンをはめていると、扉がノックされた。
「お嬢さま、起きていらっしゃいますか?」
控えめな問いかけに、フェリシティは返事をした。すぐに扉が開き、侍女が顔を出す。スザンナの娘で、フェリシティが嫁ぐ前まで仲良くしていた。そのおかげで、こうして子爵夫人よりもフェリシティを優先してくれる。
「おはよう、ポーラ」
「おはようございます。お手伝いしましょうか?」
まだ半分しか止められていない包みボタンを見てポーラが言う。フェリシティはポーラに頷いた。
「お願い。このボタン、とても小さいのね。はめるのが難しいわ」
「最近、王都から入ってきたデザインですよ。わたしたちも初めて奥様方のお手伝いをした時には四苦八苦しました」
そう言いながら、慣れた手つきで次々とボタンがはめていった。
「ありがとう。助かったわ」
「こちらで暮らしていた時にはわたしがお嬢さまのお支度をしていたのに寂しいものです」
「そうね。そう思うとわたしも一人でできることが増えたわ」
嬉しくてにこりと笑うと、ポーラも朗らかに笑った。
「それでは行きましょう」
「案内をお願いね。ああ、ようやくサイモンに会えるわ!」
「……お嬢さま、声は小さくお願いします」
ポーラは人差し指を唇に当てて、静かにするようにと指示をする。フェリシティは自分の口を押えた。
「ごめんなさい。つい興奮して」
「ばれたらすぐに部屋に押し込められてしまいますよ」
「わかっているわ」
こそこそと二人で会話をして、そっと部屋を抜け出した。ポーラが選んだ道は使用人たちが使う廊下だ。時折ぎょっとしたような顔をした使用人たちに会うが、にこりと笑って見せれば、身振りだけで応援してくれる。応援を背に、フェリシティはポーラの後を追う。
「ここで待っていてください。もうしばらくするとサイモン様がおいでになると思います」
「緊張するわ」
「ミラン様はあちらのドアで待機していると思いますので、ミラン様が出てくる前に接触するのがいいかと」
淡々としたポーラの言葉を真剣に聞く。屋敷につながる小道にサイモンの姿を見つけたら、全力で走る。何度も何度も想像して、落ち着くようにと自分に言い聞かせた。
じっと小道を見ていれば、背の高い男性の影が見えた。まだ遠くて顔立ちまでははっきりしないが、その影だけでフェリシティには十分だった。
「行ってくるわね!」
躊躇うことなく、フェリシティは飛び出した。ドレスのスカートの裾を摘み、全力で駆け寄る。サイモンの影は次第に大きくなり、その表情も分かるほど近くなっていく。久しぶりのサイモンにフェリシティはさらに早く足を動かした。
「……フェリシティ?」
サイモンも彼女に気が付いたのか、足を止めた。驚きに目を見開き茫然とした様子だ。フェリシティはそのままの勢いのままサイモンに飛びついた。
「会いたかったわ!」
体当たりするように飛びついた妻を危なげなく支え、サイモンは驚いた顔で妻の顔を見下ろした。
「フェリシティ? 本物?」
「そうよ。すぐに帰ろうと思っていたのに、こんなにも会えないなんて」
不満そうに言うフェリシティの顔を両手で包み込み真正面から見つめた。その近い距離になって初めてフェリシティはサイモンが非常に疲れた様子であることに気が付いた。
「サイモン、ちゃんと寝ている? ご飯は食べている?」
「ああ」
そっと手を伸ばし、彼の目元に指を這わせた。目の下の隈がひどい。徹夜した後でさえ、これほどの隈にはならない。よく見れば、髪はまとまらず、頬も少しこけたような気がする。
家に帰ってフェリシティがいなくて、ショックを受けたのだろう。一人で茫然とするサイモンを想像し、胸が痛んだ。
「ごめんなさい」
「いや、謝らなければいけないのは俺の方だ。どれだけ自分が無神経なことをしていたのか、ここ数日で思い知ったよ」
「サイモン」
彼がようやくフェリシティの辛さを理解してくれたようだ。驚きながらも嬉しくて思わず笑みが浮かぶ。頬に這わせていた指を離し、彼の首に両腕を回した。ぎゅっと抱きしめれば、サイモンも強く抱き返してくれる。その確かな温もりが嬉しくて、幸せで、涙が滲んだ。
「玄関先でいちゃつくのはそこまでだ」
二人の世界に水を差したのはミランの呆れたような声だった。フェリシティはサイモンにかじりついたまま、ミランの方へと首を巡らせた。
「お兄さま、おはようございます」
「はいはい、おはよう。二人とも中に入りなさい」
叱責されると思っていたのだが、そんな様子もない。ミランの投げやりな態度に首を傾げた。
「お兄さま、怒らないの?」
「そろそろフェリシティの我慢も限界だろうと思っていた」
そう言いながら、肩を竦めた。そして神妙な顔をしているサイモンへ目をやる。
「朝食はまだだろう? 一緒に食べていくといい」
「ありがとうございます」
「まあ、針のむしろになるのは覚悟しておけよ」
「お兄様!?」
ぎょっとしてフェリシティは声を上げた。サイモンは宥めるようにフェリシティの手をぎゅっと握る。
「わかっています」
「君が何を考えていたか、理解はするけどね。それは大抵女性に通用しないことが多いんだ」
フェリシティは持って回った言い方に眉を寄せた。
「お兄様は何が言いたいの?」
「サイモンは今回のことで学習したということだ」
「ふうん?」
やっぱりよくわからなかったが、朝食の後にでも聞けばいいかとそれ以上の質問はしなかった。
サイモンとしっかりと手を握り、ミランの後に続いた。