サイモンの事情
事務員に連れられて、サイモンとロイは小さな面会室に入った。外部との打ち合わせなどを行う時にも使う簡素な部屋だ。部屋の中央に上等ではない長椅子にテーブルが置いてあるだけだが、たっぷりと入る日の光が部屋を心地の良く感じさせた。
「どうして後見人になってくれないの」
部屋に入ったサイモンにヘザーがまず言った言葉がこれだった。サイモンは苦い顔をしたロイに大丈夫だと目配せしてから、無表情に恨みがましい顔をする彼女を見下ろした。どこか拗ねたような表情が幼い頃を思い出させる。
「事務の方から説明があったと思うが……。それ以前に俺はもうお前を助けるつもりはない」
「何を言っているの? サイモンが困っているわたしを助けないなんておば様が知ったら悲しむわよ」
「……ヘザー、それは子供の頃の話だ。それにこの領地に来る前に家とは縁を切った」
「え?」
「俺がお前を助けていたのはあれこれ言ってくる周囲が面倒だったし、お前もそれを知っていて大げさに騒ぎ立てていただろう?」
サイモンは淡々と事実を告げる。サイモンは幼いころからヘザーを可愛いと思ったことは一度もない。実妹の我儘を叶えるのはまだ可愛いと思えていたが、ヘザーは母親の親友の娘であるだけで、どちらかというとあまり会いたくない相手だった。とはいえ、ヘザー母子はよく男爵家に遊びに来ていて逃げられなかったのだが。
「サイモンはわたしのことを愛しているでしょう?」
「愛している? あり得ないな」
ヘザーの母親は男爵家の令嬢であったが結婚した相手は平民だった。貴族は貴族と結婚したがるが、全員が貴族と結婚できるわけではないのだ。
ヘザーの母親の結婚相手は平民であったが、そこそこ成功している商家の跡取り息子だ。身分さえ気にしなければ、結婚自体は恵まれたものだ。だが、ヘザーの母親はよほど平民との結婚が嫌だったのか、娘は貴族の子息に嫁がせたいと常々言っていた。
親友の嘆きに同調したサイモンの母親は跡取りではない息子と結婚させることを思いついたというわけだ。
それが幼い頃の話で、貴族ならば政略結婚も当たり前。サイモンの意思など誰も確認しない。兄はヘザーのことを嫌っていたが、妹はヘザーと仲がいい。
サイモンは自分が跡取りになることはないので、結婚は自分の意思で決めてもいいと父親に言われていた。父親の言葉を盾に、気持ちを無視した結婚などできないと何度も反発した。
「ヘザーが可哀そうでしょう?」
それが母親と妹の口癖だ。何が可哀そうなものか。だが何度拒絶しても聞く耳を持たない。サイモンは次第に騎士団の仕事へ逃げるようになった。
そんな状況の中、ヘザーが他国の伯爵家の息子と駆け落ちした。サイモンはいつも纏わりつくヘザーが来なくなってよかったとしか思っていなかったが、駆け落ちしたと聞いて驚いたものだ。
あの当時は母親と妹が大騒ぎで、サイモンはかなり責められた。母と妹に理不尽になじられて我慢の限界を超えた。ずっと飲み込んできた怒りを爆発させた。母親はあまりにもサイモンにとって毒が強すぎた。
騎士団をやめて、実家とは縁を切ることを決めた。未練は全くなかった。どうして早くこうしなかったのだろうと思うほど清々しい気持ちだ。
とはいえ、騎士団をやめ、家との縁を切ったサイモンは平民となんら変わりがない。将来を心配した騎士団の友人たちが色々と手を尽くして用意してくれた場所が子爵領の警備隊だ。
王都から離れる最終日、父と兄が見送りに来た。母と妹とはあれから会っていない。何かあれば頼れと少なくない財産を押し付けながら兄に告げられた時には嬉しさを感じた。
父も母親が納得するために縁切りという体裁を取っているが実際には切ったわけではないから、男爵家の力が必要なら使っていいとまで言ってくれた。サイモンにはそれだけで十分だった。
「嘘よ。サイモンは昔からわたしのお願いは何でも聞いてくれたじゃない」
「……そもそもそこが間違えている。俺はお前の願いを叶えたのではない。母親たちが煩いから仕方がなく手を貸していただけだ」
「サイモンが結婚してくれないなら、わたしはどうしたらいいのよ。生きていくために働くなんてイヤ」
「俺はすでに結婚している」
「離縁したらいいじゃない。貴方の奥様、大人しそうなつまらない女みたいだし」
簡単に離縁、と言われて唖然とした。サイモンは自分勝手なヘザーに怒りが込み上げてきた。怒鳴りつけようと大きく息を吸ったところで、横からロイが割り込んだ。
「うわー。あり得ないわ。幼馴染だから何をしてもいいなんて、どんな育ちをしているんだ」
ロイの呟きに、サイモンの怒りが削がれた。ロイを見れば、わざと口を挟んだのがわかる。
「関係ない人は口を出さないで」
「あのさあ、ここ詰め所だってわかっているかな? 勝手なことをべらべらとしゃべっているけど、これ以上騒ぐなら、今すぐ領地追放にするけど」
「領地追放? そんなことできるわけないじゃない」
「できないと思う理由がわからないんだが。あんたが見下しているサイモンの妻はここの領主の娘なんだが」
「それが何だっていうのよ。サイモンだって男爵家の息子じゃない。どうにでもなるでしょう?」
「それはすごい理屈だな。なあ……もしかして頭が悪いのか?」
サイモンにロイは確認する。サイモンは肩を竦めた。
「よくはないだろうな。穏便に済ませたくて、初日に話をきちんとしたつもりだったんだが……」
「これだけ勝手なことを言う女なら、理解できていなくても当然だな。はは、そうか。それで誤解されたのか。会わせたくない気持ちはわからなくもないが、後手後手だな」
ロイはサイモンがヘザーと一晩いた理由を理解した。これだけ堂々巡りの話になるのなら、知らないうちに時間が経ってしまうだろう。思わず同情の眼差しを向けてしまう。
「とにかく、わたしはサイモンと結婚するの。だからさっさと離縁してちょうだい」
「断る。俺はフェリシティを愛しているし、離縁するつもりはない」
「なんで……なんであの人もサイモンもわたしを選んでくれないの! 貴族だからなんだっていうのよ!」
ヘザーは思い通りにならないサイモンに癇癪を起こした。サイモンは疲れたようにため息を落とした。
「駆け落ちした相手が好きだったんじゃないのか」
「好きだったわよ。でも、彼は伯爵家の息子で、平民とは結婚させられないから愛人どまりで、そのうち追い出されて」
いくら聞いても分からなかった事情をぼろりとこぼす。ヘザーの身勝手さに怒りが込み上げてくる。怒鳴ってしまわないようにと気を付けて息を吸った。
「サイモンはフェリシティ様にぞっこんだぞ。そもそもあんたはサイモンを愛していないくせに、どうして選んでもらえると思えたんだ?」
純粋な疑問。
ヘザーが初めて口ごもった。
「そんなこと」
「それに貴族が血を尊ぶことは常識だ。結婚できると思える方が不思議だ」
「愛に身分なんて関係ないわ」
かみ合わない会話になり始めて、うんざりとする。ヘザーはいつだってこうだ。話が少しずつずれていき、最後にはかみ合わなくなる。どうしても自分の思い通りにしたいからそうなってしまうのかもしれない。どう収拾しようかと考えていると、扉が開いた。
ヘザーもロイも口をつぐんで、そちらに目を向ける。入ってきたのは先ほどサイモンを呼びに来た女性事務員だ。
「失礼します。部屋の準備ができましたので、いつでもぶち込めます」
彼女は清々しい笑顔でそう報告する。ロイは彼女の言葉を聞いてニヤリと笑った。
「さて、呑み込みの悪いお嬢さん。迎えが来るまで詰め所に泊まっていくといい。ここの詰め所の中で一番居心地のいい反省部屋を用意した」
「反省部屋……?」
理解できていないのか、ヘザーが繰り返す。
「今すぐこの領地から追放される、もしくは迎えが来るまで大人しく反省部屋で過ごす。どちらがいいか選ばせてやろう」
「迎えって誰が」
「いくら話しても理解できないようだったから、王都にいる家族に連絡しておいた。もうそろそろ王都に手紙が届く頃だろう」
サイモンが抑揚のない声で、ロイの言葉を補足する。王都と聞いて、ヘザーが目を見開いた。
「そんなの嫌よ! 今更、のこのこと実家になんて帰れるわけないじゃない!」
「それはお前の都合だ」
「サイモン!」
縋るように名前を呼ばれたが、サイモンは無視した。自分の都合のいい返事をもらえずに、ヘザーはようやく口を閉ざす。その顔はひどく醜く歪んでいたが、サイモンは見なかったことにした。