§1 世界の終わりの日 襲撃
諸用で早退した侵略者さんのその後。
せっかくの登校初日に諸用で学校を抜けるのはなんとも寂しいものがある。
制服を亜空間の海に流し、いつもの黒衣を引っ張り出す。寂しいけれども、せっかく友好条約を結んだ友人からの誘いとなると断るわけもいかない。それに、いきなり軍の基地を見学できるとは!この大いに発展した人界の国力、その結晶を拝むことができるという事実に黒衣は心を昂らせた。
「定刻、だな。」
グラウンドの中央から校舎の時計を見る。約束の午後三時を確認し、眼前に広がる世界を裂く。目的地は海の向こうの大陸。上空に雲を描く鉄の鳥を嘲笑い、黒衣は裂け目の奥に消えた。
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「お待たせしておりました、総司令官殿。」
カシャカシャ。
裂け目の向こうに広がる広大な土地。整備された黒いコンクリートの地面に、大人しく並ぶ鉄の鳥の群れ。この基地の長と思しき壮年の男の挨拶とともに、アメリカの基地に降りたった黒衣に降り注ぐ幾度かのノイズと発光。
紅い光が不愉快な発光の出どころをキッと刺すと、男たちは顔の前の鉄塊を首に下げた。
「本当に空を裂いた。」
「どうなっているんだ。」
鉄塊を首に下げた男たちがどよめく。空間移動の魔術はかなり高級なもので、一握りの魔族しか使えない。人間にとって奇妙な術に見えるのは当然であろう。
対して動じることなく綺麗に整列した迷彩服を纏った大男達。こちらがアメリカ軍の兵士だろう。なるほど、よく訓練されている。
「とっとと案内しろ。」
先ほどの発光のためか、学校を早抜けしたためか、軍の視察を待ちきれないのかーー。どれにしろ異界の民にとって不慣れな地で案内が早く始まらない状況が、彼の気を短くする。
「申し訳ございません。どうぞこちらへ。」
先ほど挨拶した壮年に連れられ、鉄鳥の群れの横を通りすぎると、大きな倉庫の奥の暗黒に黒衣は溶け込んでいった。
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「こちらが我が軍の誇る無人爆撃機、ハーマンでございます。」
ピカッ。
庫内が一気に照らされると、黒衣の招待客を取り囲んでいたのは、外の鉄鳥の群れよりかなり小さい、鉄の小鳥の大群だった。幾段もの棚にずらっと並んだその数は、ざっと千は超えている。この鳥一匹一匹が、ただの人形ではなく、自立して動き、攻撃機能を備えているというのだ。
二番目に複製したアメリカの大統領の記憶がこの鳥も外の鳥も同じ飛行機に分類されるということを告げるが、旅客機も未だ見慣れない彼は驚きを隠せない。
「素晴らしいな。一匹ほど飛ばすことはできないか?」
「一匹......ですか。まあまあ、一匹と言わず何匹でもお見せしましょう。」
倉庫奥へと壮年が消えていくと、左の棚の三段目から、一匹の鉄鳥がこちらへまっすぐと突っ込んでくる。止まる気配はない。
「なるほど。我は敵か?フフッ。」
鉄鳥の真正面に左手を伸ばす。黒衣から左手を出し、人差し指と中指をスッと振った。
シュッ。
鉄鳥が綺麗な真っ二つに切れた、その刹那だった。
ドカン。
「グッ......。」
爆発音とともに、爆風が鉄鳥ごと黒衣を巻き込んだ。この鳥の捨て身の反撃に驚きを隠せなかった攻撃者は、防御の体勢が少し間に合わなかった。左頬を鉄片が擦る。
「おい貴様。謀ったな!」
紅い光を壮年が消えた先に向ける。
あれは鉄の鳥の意思ではなく、あの男の指示、つまりアメリカ軍の命令で間違いない。大戦後魔界では既に禁じられた、自らの命を犠牲にする術だ。人界の道徳観は意外にも魔界のそれに遅れをとっているとでも言うべきか。
しかし、待てど返事は返ってこない。代わりに返ってきたのは、幾匹もの鉄鳥の大群だった。
ヒューン。ヒューン。
右に左に、隙間なく詰まった鳥たちが真っ黒の標的目掛け一心不乱に突っ込む。
「すまないな鳥ども。我の顔に傷をつけた、その罪は重いぞ!」
スッ。
標的が黒衣の先から両手を伸ばすと、空間が目に見えて歪んだ。鳥を殺める覚悟を決め、両目を瞑ると、鉄鳥の群れは彼を中心とする歪んだ球体の先で弾け、燃え尽きていく。
歪んだ球体はどんどん半径を広げていき、まだ飛び立つ準備をしていた小鳥までも飲み込んでいく。周囲を飲み込む恒星の超新星爆発となった彼は、その倉庫に広がる小宇宙を燃やし尽くした。
恒星の核として残った彼以外何者も生きることを許されない、残酷な小宇宙。
「ただ、この蔵はよく出来ているな。フフッ。」
その黒い核は小鳥の巣の跡地となった綺麗な倉庫を眺め、いつもの嘲笑うような笑みを浮かべると、案内の壮年を追うように巣を立った。
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壮年が消えた先へ向かうと、すぐそこに倉庫の出口があった。黒づくめの追っ手となった彼は、鉄の扉を捻じ曲げ、外に出た。
「フフッ。」
眼前には探していた壮年の男と、その横にずらっと並んだ銃を持つ大男。このときの中央の壮年の空より白く、青ざめた顔は傑作だった。
「お前、どうして無傷でここにいるんだ......?」
「貴様、我の頰に傷をつけておいて無傷とはよく言えたものだな。ここで散るか?」
紅い光が一掃鋭く壮年を刺す。腰から崩れ落ちた壮年は、年甲斐もなく失禁していた。
「貴様らもだ。大統領府の男どものようになりたくなければ、その鉄のおもちゃ、捨てた方がいいぞ?」
紅き光が大男達を照らす。彼らは顔を見合わせると、諦めたかのように銃を下げた。
「大統領に伝えておけ。」
光源は声を大にしてこう告げる。
「これを以って魔界とアメリカとの友好条約を破棄する!貴様らにはこれより、一秒たりとも心の安らぎが訪れることはもう無いと思え!フフフッ。」
真紅の双玉は遥か遠くで作戦の失敗を知ったアメリカ全権の長、ポリー大統領その人の方を向いていた。
向いたその先へ、勝ち名乗りを上げる。
「我が黒魔術こそがこの空間、この世界、三界までも支配する!この身を満たす血となれ!肉となれ!常に飽かぬ玩具であれ!」
黒い両翼を翻し、右手の先の天を裂く。
「大した暇つぶしにもなりそうにない。」
そうため息まじりに呟き、彼は帰路についた。
皮膚も暇であったのだろう。先ほどの頰の傷は、もう癒えていた。
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帰る先は、日本が用意したホテルで本当によいのだろうか。アメリカとの友好条約を破棄してしまった手前、日本が我が身の安全を保証してくれるだろうか。わざわざ魔界に帰るのも、情けない話だ。
こうなると、答えは一つしか浮かばなかった。
所属するクラスの教室に人影が見えないことを確認し、校門前へと歩を進める。真っ先に見つけた、クラスの女が着ていた制服とはまた違った消息を着た小柄な少女三人組に声をかける。
「貴様ら。」
「は、はい......。」
三人のうち、右端の眼鏡と、左端の一つ括りの娘が一歩下がり、今にも泣きそうな顔をする。紅い光が目を見開いて突っ立っている中央の黒髪の小柄な少女に照準を絞り、彼は話を続ける。
「この学園にいる一乗寺という者の家を知らぬか?」
「い、一乗寺は、うちです。」
微笑み返す中央の少女。ビンゴだった。数歩前へ足を出し、彼女の右手を両手で包むように握る。
「我の料理人になれ。フフッ。」
笑みが体内から溢れ出ていた。この手を離さない。
その後、手を繋いで帰路を辿る男女は、既に破棄された友好条約より遥かに真剣な宿泊交渉を行った。
こうして不審者は手を繋ぎ、一乗寺家へ。