§1 世界の終わりの日 右脚一閃
日常パートにも少し動きが欲しくなりますよね。
二年生の初日は、もうこの話題で持ちきりだった。そして話題の渦中にいたうちの1人は間違いなくこの俺、一乗寺迅だろう。
何がどうなって俺の隣の席が空いているんだよ。出席番号4番。まだ後ろに二行も人の並びがあるというのに、俺の隣に転校生を座らせる行為に理解が及ばない。
かくいう侵略者さんは、違和感を持たずに俺のすぐ横の席に腰かける。座るとすぐにあたりを見渡し、目が合いそうになった生徒は思わず目を背ける。
侵略者さん、これには流石にご機嫌とは言い難い表情を見せていらっしゃる。
「貴様、名を名乗れ。」
誰かが絡まれたらしい。また悪寒がした。関わりたくない。
そう思って突っ伏した。
「貴様だ。せっかく隣の席だというのに、釣れないな。」
......残念ながら、絡まれたのは俺でした。
背筋がスッと冷えたが、何故かエイプリルフールほどの恐怖感はもうなかった。諦めて頭を上げる。とりあえず名乗ることにした。
「一乗寺迅です。よろしく。」
「迅か......よろしくな。」
「......おう。」
おそらくぎこちなかったであろう、精一杯の笑みを返した。
もしかすればの話だが、この悪魔に人の心があるのならば、彼と仲良くなることで世界は侵略の魔の手を逃れることができるのかもしれない。
「えっと......。何て呼べばいいかな?」
面舵いっぱい、俺は距離を詰める方向に舵を切った。
とりあえす軍司令官だの、悪魔だの、呼びにくい名前を払拭し、親しみやすい環境を提供する。警戒心を示さないよう目を合わせ、笑顔で......。
「すまない、名前といえるものはあいにく持っていなくてな。」
いきなり心が折れそうだ。もう絞る勇気のないカラカラな布切れのようになってしまった。
こうなるとクラスメートの助けを求める他ない。
誰か、俺の意図を読み取ってくれ......。
スタッスタッ。
教室の前方から歩み寄る二人。どうやら願いは叶ったらしい。
「よっす〜!立派な羽だよねぇ!そうだ、黒羽根くんでいいんじゃない?」
どうやら救援はものすごく単純なバカだったらしい。朱雀凛、このクラスのムードメーカーであるが、この状況を打開するには少し役不足といいますか。
ただ、俺としては非常に助かった。
「確かに、せっかく日本に来たのなら、日本名を名乗るのは良い考えかもしれないね。黒羽根さんなら日本に一定数いるし。」
「でしょ?凛ってやっぱり天才!」
凛を立て、この場の雰囲気を和ませたのは、聖護院劉。
俺は去年からクラスが一緒であり、まだ委員が決まっていないとはいえ、クラス委員キャラの劉はやはり頼りになる。加えてイケメンな彼は、まるで傷一つない骨董品の如し。羨ましい限りである。
「どうですか?」
当然侵略者さんの様子を伺うよう、自然に微笑む劉。
「これは羽ではなく翼なのだが。まあいい。そう呼んでくれ。」
その刹那、我々を嘲笑ったこれまでの笑いとは別の、自然と口が緩んだような彼の横顔を見た。
「やった!よろしくだね!黒羽根くん!」
というわけで、侵略者さん、もとい黒羽根くんが俺の隣になった。
どうやら先ほどの凛と劉の絡みにより、俺の緊張も解けた。自分の席の方へと戻りながら俺の方に微笑みかける劉に、無言で小さな会釈を返す。
「迅、そろそろ授業とやらは始まるのか?」
「あぁ......一限がクラスの顔合わせですぐ終わったからな。次の二限は九時四五分から五◯分だ。黒羽根くんは数学ってできる?」
「多少は先ほどの女教師から複製した。見知らぬ事項も多かったが、まあ問題ない。」
「へ〜、複製ね......。うん、複製......。」
は?複製?一体何を言ってるんだこいつは。
ホワイトハウス前の残酷な光景をテレビ越しに見て、俺はもう何が起こっても動じないとたかを括っていた。ただ、どうやら彼は俺を心臓発作で殺したいらしい。今の恐ろしい単語で、寿命が何年縮んだことか。
「何を驚いている。実際のところ人の記憶を移植でもしない限り、先日日本に来たばかりの私と貴様が不自由なく会話できている理由に納得がいかないだろう?フフ。」
また嘲笑われた。
この超高度情報社会においては、人間は何かしらのウェアラブルデバイスを身につけることで不自由なく他言語話者とコミュニケーションが取れる。
その結果、明らかに俺らは見落としていたのだ。なぜ、この男が何も文明の利器を持たずに英語、そして日本語を話せるのかを。
俺は自分の視界の左上、左耳から伸びた細長い曲線型ウェアラブルデバイス、『LINKS』の翻訳アイコンを参照する。そこには確かに、相手話者の使用言語が日本語(標準語)であると表示されている。
「......分かりましたよ。じゃあ、教科書も読めるんだよな。これ。」
カリキュラムの関係で去年から使い始めている数学IIの教科書を彼に渡す。開くのは、今日やるであろう微分のページ。
「助かる。今日はこの微分というのをやるのか。フン、どうやらあの女、数学が苦手らしいな。貴様が微分が嫌いだなどという情報は不要なのだが。」
『複製』の結果知ってしまった情報に苛立ちを見せながら教科書を読む。
この男、一体舞ちゃんの何から何まで複製したというのか......。この複製とかいうチート能力、もちろん舞ちゃん一人にだけ使ったわけではあるまい。彼がアメリカに現れたあの日、彼の四月一日の発言を信じるならば、異世界からやって来た日、それ以降一体誰の、何人の記憶を奪ってきたというのか。
すでに侵略の手はそこまで伸びている。
「安心しろ、迅。複製したのはたったの三人だ。三人共優秀だったのでな、貴様ら人間の記憶を複製することはもうしばらくない。」
......は?今、完全に俺の思考読まれてましたよね?あいつデバイスの人工知能より優秀な魔法使ってますよね?人類終わりでは?
俺は半ば怯えたような、怪訝な目を向ける。
「フフ。貴様、魔術なぞ使わなくとも目を見ればわかるぞ。まったく単純な男だ。」
「はいはいそうですか。」
読心術というのは相手を疲弊させるらしい。もうこれ以上詮索されたくない俺は、始業まで黙っておくことにした。
ーーーーーーーー
「ふぁぁ。やっと終わったぜ。飯だ飯!」
導関数を求める問題演習を誰より早く終えた隣のチート野郎にもはや呆れた俺は、今日一日の多すぎる情報量を脳みそから追い出すように、急いで弁当を開け、かき込もうとする。
「ねえ、迅。せっかく蘭ちゃんが作ってくれたお弁当が可哀想でしょ?」
この子供っぽいが説教くさい女の声。五条アリス(ごじょう ありす)。生まれた時から知っている、俺の唯一の幼馴染である。切れ長の目に、長いまつ毛。汚れひとつない綺麗な肌色ーー。肩より少し下まで伸びた茜色の髪をなびかせた彼女は、俺の席の前にどんと仁王立ち。
まったく、容姿だけ見ればクラスの女子について男どもで語らえば必ず名のあがる美少女なのだが、容姿に見合わずこのデカイ態度である。
「腹減ってんだ。仕方ねーだろ。」
「もう......。アタシもここで食べていい?......んしょっと。」
俺の向かいの空いた席に腰かける。俺の前では容姿や西洋風の名前と見合わないババアみたいな言葉を発するその姿を、もう何年も見ている。もはや親の顔よりよく見た顔だ。
ただ、ハッと隣の男の姿に気がつき、我に変える。なんとも自己満の延長線上にあるような、彼女のプロ意識には敵わない。
「あ、アタシ五条アリスって言います!よろしくね、黒羽根......くん?」
アリスがこれまで幾人もの男を勘違いさせてきた営業スマイルを向ける。何万回も見てきた俺でなきゃ惚れちゃうね。恋愛経験0の天然たらしには困ったものである。
......本音を言うとたまには俺にもその可愛いのを見せてくれ。
目線をアリスに合わせ、見定めるように上から下までじーっと見つめる侵略者さん。どうやらこいつも女の子についてはそこら辺の男と変わらないのか。親近感が湧いてきた。
「ん?アタシなんかついてる?」
じっと見られて居ても立っても居られなくなったアリスが均衡を破る。
「貴様......。容姿は確かに女なのだが、人界には妙な種族がいるものだな。」
微笑みかける。彼がこの世界に降りたったあの日から一度たりとも見せたことのない、安らかな笑み。
「ふぇ?アタシって......そんなに......可愛い?」
蘭の言っていた通りの、紛うことのない完璧なイケメンに微笑みかけられ、アリスがまんざらでもない顔を見せる。彼女がこの様に頰を赤らめる姿は初めて見た。
慣れないその表情に、俺はむず痒さすら覚えた。
「フハハ。確かに貴様は綺麗な顔立ちをしている。ただ、人界の女というのはこの歳になっても胸が大きくならない種族もい......ブハッ!」
バシンッ!
右脚の回し蹴り一閃。
ホワイトハウスの屈強なSPをちぎっては投げていた、銃弾すら弾く男の左頬に確かにその脚は届いた。教室の空気は静まり返り、視線はこの二人に向けられる。
「おいアリス......。」
「迅は黙って。アンタ、さっきの言葉、撤回するか、もう一回言ってここで死んで。」
どよめく教室。勇敢なアリスと対照的に怯える女子生徒や、野次馬のようにこちらに食いついた視線を向ける男ども。
「......白だな。」
「ええ......白でしたね。」
微かに届くその声から、野次馬の論点がアリスの下着の色であることに気づく。これには俺だけでなく、下着公開少女本人も気づいたようで、茜色の髪よりも真っ赤に頰を赤らめた。
「アンタ達もみんな嫌い!死ね!......グズッ。」
泣きながら教室を飛び出すアリス。無理もない。
「おい、後で謝っとけよ。」
俺の口から出た、初めての侵略者さんへの命令形であった。
「フハハハハ!気に入った......気に入ったぞ!こんなに痛い感覚は久方ぶりだな。あの女が......欲しい。」
もうこの侵略者はただの非常識野郎に成り下がっている。彼がこんなにも感情表現をあらわにするという事実もはやどうでもよく、ただ呆れた。
数秒の静まりを経て、教室は昼休みの騒がしさを取り戻しつつあった。
ゴゴゴゴゴ。
悪魔の高笑いにより静まりかえった教室に轟くヘリコプターの音。かなり近い。
「ほう、ようやく来たか。」
そう言うと、キリッといつもの人々を嘲笑うような顔に戻った非常識野郎が、スッと席を立つ。
「おい、どこ行くんだよ!」
「フフ。来るか?楽しい飯の時間だ。」
そう言って悠然と教室を出て行く謎に包まれた黒翼が気になって仕方なかったのか、気づけば俺は急いで弁当の蓋を閉め、その後ろ姿を追っていた。
その黒翼を携えた背中にはもう、恐ろしさは感じなかった。
答えは、驚きの白さでした。