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彩夜と鞠花のはなし2 後編

 翌朝から、事あるごとに鞠花が私にくっついて回るようになった。朝駅で待ち伏せられるのが嫌すぎて一本早い電車にしたら、次の日にはその時間に鞠花がいた。

 そして部活の時間ともなると延々「絵を!! 教えてください!!」と頼み込まれる。もともと押しに弱く諦めが早い私が折れるには、一週間とかからなかった。


「だあああああああっ! わかった、わかったからもうやめて! 落ち着いて描かせて!」

「やったーー! よろしくお願いします、師匠!」


 セミロング髪をふわふわさせながら飛び跳ねる鞠花。テンションが高い。めんどくさい。疲労の原因にしかならない。


「部活の時に一時間だけね。部誌の発行前とかで忙しい時は教えらんないから」

「らじゃっ」


 素直に敬礼をするあたりは、子供っぽいながらもまだマシというところか。これで駄々こねられたりしたらたまったもんじゃない。


 こうして私は鞠花にイラスト講座を開くことになり、幽霊部員だった鞠花は毎日部活に参加するようになった。オタクだらけの二次元王国だった文芸部に突如としてパリピが乱入してきたのだから、当然彼女への風当たり、というか注がれる視線はきつめだ。本人は気にしていないけど、なぜか私まで邪険にされている気がした。胃が痛い。


「……つら」

「ん、なに? つらら?」


 赤ペンで注意を書き込みながら思わず漏れ出た一言に、鞠花が目線を上げた。なぜそこまで聞き取れるのに氷柱になるのだ。それに上目遣いを可愛いと思うのはバカな男だけだぞ、と当てつけのように思う。


「なんでもない」


 私は絞り出すようにそう言った。


「ふーん」


 納得いかないようにそう発して、彼女はまた紙上に目を移した。


 身体をいきなり描くのは難しいから、とにかく今は顔を練習させている。一生懸命に描いてはいるが相変わらず下手で、まるでバランスが取れていなかった。さすがに私が教えるにも限界があるし面倒だから、ネット上のわかりやすい講座でも教えてみたらいいかもしれない。そうしたら私の負担も減る。


 ただそれには大きな問題があって、私は鞠花の連絡先を持っていないのだ。それに交換しようとも思わない。というわけで、作戦は振り出しに戻った。


 結局彼女を預かるわけだから、思うように絵やら小説やら創れていないのが現状だ。この調子だと来月の読み切り小説も完成できるか怪しい。


「ひじの曲がり方、またおかしくなってるよ」

「んー、おかしいのはわかるんだけど、どう直したらいいのかわかんない」

「えと、ここに手を持って来たいなら、ひじはもう少し引いて手首から曲げる」

「おーなるほど、ためになります!」


 鞠花はピンク色のデコラティブな消しゴム――いわゆるインスタ映えってやつか――でごしごしと紙を擦る。摩擦で生み出されたカスが紙の上に散らばっている。そのもそもそとした質感が気になって、私は口を開いた。


「絵描くんだったらモノとかの方がいいよ。そういうの、消しづらいし紙ぼろぼろになっちゃうから。あと練り消しもあると、」

「あのさ」


 そんな私の言葉を、鞠花が途中で遮った。


「……何?」


 苛立ちを覚えながらその茶色い瞳を見つめ返すと、そこには確かな不満の色。彼女はシャープペンシルを置き、頬杖をつきながらこう言った。


「彩夜ちゃんってさ、私の名前呼んでくれないよね」

「は?」


 思い返してみれば、そもそも私から話しかけたことがない。だから、名前も呼ばない。彩夜ちゃーん! と、鞠花のやかましい声が頭をよぎる。そんなことまで気にするのか、普通。つくづく女子というのはめんどくさい。私は何度目かもわからないため息をついた。


「はいはい、鈴木さん」

「そうじゃなくて」

「今度は何」

「鞠花って呼んでよ」

「……それなんか意味あるの?」


 今度こそ睨みつけると、彼女は頬を染めてにっと笑った。無邪気で無垢。そんな言葉が似合う笑顔が、今は神経を逆撫でる。


「オチカヅキのしるし!」


 何がお近づきのしるしだ、勝手につきまとってきているくせに。


「はあ……鞠花さん」

「んー、まあいっか。あ、これできたよ」


 名前を呼べば満足したようで、鞠花は新しく絵を描き始めた。

 今さっき出来上がった絵を見てみると、まあまあ悪くない仕上がりだった。


§


「ああぁ……段々日短くなってきたねー」

「うん」


 鞠花と私は、二人並んで駅への道を歩いていた。イヤホンのせいで細かいことは聞こえないが、それでも鞠花は飽きずに私に話しかけている。鞠花の言う通り、ここのところは急に日暮れが早くなってきたようだ。制服の厚い生地に、しんしんと寒さが染み込んでくるような冬。私はずび、と音を立てて鼻をすすった。


「ありゃりゃ、風邪引いちゃった? ティッシュいる?」


 そう言いながら、鞠花はポケットティッシュを取り出した。首を振って拒否すると、彼女はそっかと頷き、また喋り出した。


「ちょっと肌寒いし、そろそろマフラーと手袋出そうかなあ」


 にこにこと笑って、心の底から楽しそうだ。しかし、だからこそ、私には理解ができない。


「……あのさあ」

「なーに?」


 私は意を決して足を止めた。鞠花もほぼ同時に。耳に埋まっていたイヤホンを引き抜く。音楽が途絶えた。

 視線は足もとにやっているから、彼女の顔は見えない。多分、こてんと首を傾げて私も見つめているのだろう。薄暗い中で、アスファルトのでこぼこが着彩前のグレースケール画みたいだった。


「もうさ、やめない? こういうのさ」


 吐き出すみたいに、早口で言う。

 ひゅっ。鞠花が息を呑むのが、なぜかこっちまで伝わってきた。


「それ、どうい」

「いや、いい加減にしてよ。迷惑なんだけど。こんなことして何が楽しいの? 大体鈴木さんだって、絵が描きたいならそれこそネットの講座でもなんでも見ればいいんだよ。なんにも考えないでいきなり人に教えてもらおうとか、図々しすぎるし。ていうか誰でも良かったんでしょ? 私がたまたまあそこにいたから、私に頼んだんでしょ? だったらもうやめようよ。こんなの……」


 私に何もいいことないじゃない、と言おうとしたところで、その先の言葉が紡げなくなってしまった。

 顔を上げた先の鞠花が、あまりにも傷ついた目で私を見ていたから。


「あ……」


 息ができないような沈黙。彼女は泣きそうな顔で、私をただただ見て、そして俯いた。


「そうだよね……ごめんね。私、何も考えてなかったのかな。迷惑だったよね……ごめん。ごめん……っ」


 震える声でそこまで告げて、鞠花は走り出した。


「えっ、待っ、」


 追いかけようとして、はたと気がつく。なぜ私は今、彼女の後を追おうとしたのだろう。相手が傷つこうが何しようが、私には関係ないはずだ。勝手にすり寄ってきて、勝手に傷ついて離れていっただけじゃないか。


 それでも、鞠花のあの瞳が、視線が、私の言葉が間違いであったことを確実に証明してしまっていた。

 何も考えていない子だと思っていた。ただちょっとSNSでお絵描きか何かにはまって、いいねを集めるためだけに私を巻き込んでいるのだと思っていた。私なんかに不満をぶちまけられたって大して傷つかずに、教えてもらえなくて残念だなで終わらせるものだと思っていた。キラキラした女の子同士で散々悪口を言って、何事もなかったように終わらせるものだと思っていた。多分、彼女は違ったのだ。


 これが私の自惚れでないのなら、鞠花が私を選んだ何かがあって。それを今、私が頭から完全に否定してしまった。


 数秒の迷いの後、私は決断した。

 追いかけるべきだ。今すぐ。


 私は乾いたアスファルトを蹴って走り出した。次の電車が出るまでは、鞠花は駅にいる。間に合うかどうかはわからないけど、間に合わせなきゃいけない。


 ちょっと走っただけで喉がひりひりして、脇腹が痛む。たった数百メートルの道が運動音痴には辛くて、ホームへの階段を上る頃にはボロボロになっていた。


 鞠花はまだホームにいた。ホームの待合室で、一人で俯いていた。私は彼女の名を大声で叫んだ。


「鞠花!……さん!」


 思わず呼び捨てし、慌ててさんをつけなおす。鞠花ははじかれたように振り返り、目を丸くした。荷物を置きっぱなしで待合室から飛び出てくる。


「彩夜ちゃん?」

「ごめんなさい! ほんっとーにごめんなさい!」


 もはや土下座しそうな勢いで謝る私に、彼女はおろおろとしていた。


「えっ、いやいやいや、なんで? どちらかというと私が彩夜ちゃんに……」

「ううん、そうじゃなくて」


 私は落ち着いて、鞠花の目を見つめて話し始めた。チョコレート色の瞳が、まだ潤んだように揺れ動いている。


「さっきはごめん。ついなんかこう、カッとなったっていうか……キツいこと言っちゃって。なんか私、鞠花のこと全然わかってなかったし、勝手に誤解してた」

「そんなこと! いいよ全然。私こそごめんね。自分勝手で」


 鞠花はいとも簡単に、笑って許してくれた。あまりにもまっすぐで、なんだか後ろめたいくらいだった。


「じゃあさ、ケンカして仲直り記念に、改めて自己紹介しようか!」


 微笑みながら鞠花はそう言った。初めて会った時と同じくらいの無遠慮さで、彼女は私のすぐ前に立った。白くて柔らかな手が、私の両手をそっと持ち上げて、握る。


「一年四組、鈴木鞠花です。ずっとずっと、彩夜ちゃんとお友達になりたいって思っていました。改めてよろしくお願いします!」


 私もぎこちなく微笑み返して、言う。


「一年五組、柿沼彩夜。こちらこそ、こんな私ですがよろしくお願いします」


 変に生真面目に言い合うのが面白くて、二人してくすくす笑い出してしまった。


「これで私たち、ちゃんと友達どうしだね!」

「うん」


 鞠花と私のへんてこでこぼこコンビは、このようにして誕生したのであります。

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