千恵子とまりあのはなし
むかしむかし。と言っても、そんなに昔ではなく、まだ日本が帝国だった頃のおはなし。
「ほら、できた。とても素敵ですわ、まりあさん」
「ありがとう、千恵子さん。まあ……このかんざし、なんて綺麗なんでしょう」
鏡に映る自分の姿を見て、まりあは頬を染めながら嬉しそうに笑った。
「千恵子さんは髪を結うのが本当にお上手ね。私は不器用だからいけないわ」
彼女は椅子に座り、私は彼女の背後に立っている。私の手によって丁寧に編み込まれた髪が、窓から射す陽光で金に輝いている。そのまばゆいばかりの黄金色の巻き毛の上に、きらきらと光を透かす空色の玉があった。
「気に入っていただけて何よりです。これを見つけた時、真っ先にまりあさんの瞳が思い浮かびましたの。あなたの金の髪にも、きっと映えると思って」
「嬉しいわ、千恵子さん。本当にありがとう」
そう言って、まりあはもう一度花のような唇を綻ばせた。その笑顔を嬉しく思いながら、私はそっと彼女の亜麻色の髪に触れた。
今は亡きまりあの母は、はるか遠いエゲレスからやってきたのだという。きっとまりあによく似た、美しい女性だったのだろう。私たち日本の人間とは全く違う蒼い瞳や金の髪も、そこから来ているのだ。女学校の同輩である彼女のどこか人間離れしているとも言える容貌を私は崇拝してやまず、こうして「特別な」関係になってからであってもそれは変化しなかった。
まりあの黄金色をした美しい髪を弄びながら、私は深い吐息を漏らす。
「ああ、貴女の髪はなんて美しいのでしょう。まるで母なる太陽の光を閉じ込めたようですね。あたたかくて優しい輝きに満ち溢れていますわ」
その言葉を聞いて、まりあはふふ、と笑った。
「それを言うなら、貴女の髪は深い夜の色ね。月の精霊たちが踊る、煌めく夜の色なのよ。ええ、きっとそうに違いないわ」
彼女は手をあげ、私のまっすぐで真っ黒な黒髪を愛おしげに撫でた。少し赤みを帯びたたおやかな指。私はもう一度、今度は深い苦悩からため息をついた。
「まりあさん……まりあさん、私、辛いですわ」
「ああ千恵子さん、なぜ? 何か、悩み事でもありますの?」
「ありますわ……とても、とても大きな。ああまりあさん、私もう耐えられませんわ」
「どうしたんですの? 話してくださいな」
私は荒む心を落ち着けるように息を吸って、吐いた。
「私、一週間後にお見合いがありますの」
それを聞いて、まりあは大きな目をますます丸く大きくした。
「……まあ……それは、大変ですわね。くれぐれも――」
「そうではありません。そうではないのです」
私はヒステリックにそう言った。そのまま勢いで言葉を紡ぐ。
「貴女の隣にいる権利が、永遠に私のものであればいいのに。毎日毎日、貴女とこうして過ごせる日々が消えていくと思うと、私の心は張り裂けそうなほど痛んで痛んで仕方がないのです」
「そんなことを言ってはいけませんわ。それは……それは確かに本当のことですけれども、私たちは今こうして一緒にいられるではありませんか」
「だめなのです、愚かな私はそれでも、いつか来る別れの日のことを考えずにはいられないのです」
「ああやめて、お顔をあげてくださいな」
まりあの眉が八の字に寄り、手のひらがさらりと頬を撫でる。それだけで私はとろけるような心地になり、より一層失いたくないと願ってしまうのだ。彼女はそのままそっと目を閉じ、
「でも、本当に。この世というのはなんて残酷なのでしょう。これほど想い合っていても、結ばれることはできないのですね」
と言った。
「ああ、いっそ私が男の身で生まれていればよかった。そうしたら、奪い去ってでも貴女を私のものにしたのに」
頬を寄せ合うと、まりあからはかすかに花に似た香りがした。
「ねえ千恵子さん、例えば生まれ変わってもまた出逢えたら、どんなに素敵でしょう」
「それは素敵ですわ。ええ、とても素敵」
「その時には、私たちがずっとずっと、それこそ顔が皺々になったって二人でいられるような世になっているかしら」
「そうかもしれませんね。そうなっていたら素晴らしいわ」
私はまりあの髪の匂いを吸い込み、もう一度口を開いた。
「ああまりあさん……お慕い申しています。貴女のことを、心から」
「私もですよ、千恵子さん。」
お互いに恋を囁き合って、私たちは触れるだけの切ない接吻を交わした。