華蓮とひなのはなし
「ひいい、寒い寒い」
家から出て来るなり、おはようも言わずにひなはそう呟いた。マフラーに埋もれるように首を縮める姿に、私は思わず笑ってしまった。
「ね。どんどん寒くなるよね」
「うーん、華蓮ちゃんはどうも寒くなさそうに見えるんだよなー」
「なにそれおかしいでしょ。私だって寒いよ」
天気予報で見た今日の最高気温は一桁だった。金木犀やコスモスはあっという間に散って、掃いて捨てられて、今はそこらじゅうの庭先をクリスマスローズやポインセチアが飾っている。一昨日あたりからついに霜がおり始めて、今朝は庭が一面真っ白になっていた。この分だと初雪も遠くないだろう。なんなら、ついこの前まで夏だった気がするのに。季節が巡るのは早い。
「もう冬とかなくていいよ……夏もだけどさ。春しかない国に行きたい」
そんなぼやきとともに擦り合わされたひなの手のひらは、言葉に矛盾して剥き出しのままだった。骨格の見えないぽやぽやとした指が、血色を失ってくすんでいる。
「あれ、手袋は?」
私がそう尋ねると、ひなは眉尻を下げてえへへ、と笑った。
「それがねー、家の中でどこいったかわかんなくなっちゃって。手が冷える冷える」
「ええー、ばっかじゃないの。かたっぽ貸そうか?」
「大丈夫大丈夫。ていうか片っぽなのね、そこは」
すりすり、すりすり。乾いた手のひらを摩る乾いた音が、規則正しく続いていく。
「別に両方だっていいけどね」
と、私は言った。北風が一段と強く吹きつけてきて、ひなが声にならない悲鳴をあげた。
こういう天気の話だとか好きな漫画の話だとか、下らないことを話しながら学校に行けるのも、あと三ヶ月。高校生になったら、私たちはばらばらだ。お互いわかっているけれど、お互い目を背けていた。ずっと友達でいようねなんて、思っても言ってはいけない。中高生の友情には、賞味期限がついている。
空を見上げると、雲ひとつないまっさらな晴れだった。こんな広い空に一人ぼっちじゃ、お日様だって寂しいだろうに。乾ききった空気のせいで顔がぴりぴりして、私はマフラーの中に口もとを埋めた。
「さむい」
寒い、というそれだけの事実を反芻するように、私はもう一度呟く。ホッカイロ持ってくればよかった、とひなも同調する。すると、
「あ」
そう声をあげて、ひなが歩みを止めた。何事かと顔を上げると、何やら嬉しそうに道端を指差している。その先を見て、私はひなが何を見つけたのかを知った。
「見て見て、ねこ」
「わあ、ねこだ」
ほとんど同時にそう言って、私たちは顔を見合わせて笑った。
まだほんの小さな、三毛の子猫のようだった。ぬいぐるみみたいなふわふわの毛並みと、くりくりとした黒目がちな瞳が愛らしい。民家の庭先に丸まって、きょとんと私たちを見上げている。首もとには赤い首輪がつけられていた。
「すごーい、もふもふだ」
「めっちゃあったかそう。私も毛皮欲しいなー」
「毛だらけの華蓮ちゃんとか笑えるんだけど。きゃー可愛い。なにこの子超可愛い」
動物好きなひながしゃがみこんで、興奮気味にそう言った。ぱっちりとした丸い目を大きく開いて、両手を子猫の方にさしのべている。子猫は首を傾げてひなをじっと見つめていた。
「ああほら、スカート地面についてるよ」
「あー、うんうん。あーもう君可愛いね! 三毛だから女の子かな。名前なんていうんだろ。ここの子なの?」
全く話を聞いていない様子のひなに、私は苦笑した。通学中に犬や猫に出会うといつもこうだ。時間に余裕があってよかった。でもやっぱり、にこにこと嬉しそうに子猫にちょっかいを出している様子が、なんだかとても。
「……可愛いなあ」
まずい、口に出た。三秒くらい経ってから気づいて、私は一人あわあわする。しかしどうやら主語を間違えて捉えられたらしく、ひなはうんうんと頷いた。
「みぁーおん」
「あ」
構われるのに飽きた子猫が、するりとブロック塀の上に逃げた。そのままたったか走って行って、あっという間に私たちの視界から消えてしまう。
「ばいばーい」
ひなが手を振るから、私も手を振った。
「さーて、学校行きますか。ああ寒い寒い」
そう言うひなのほっぺたが真っ赤に染まっている。
「……ほんと可愛い」
「うんうん、子猫ってなんか異常に可愛いよねー! あのモフ感というか、あと目の感じ! ほんっと可愛い。あああ猫飼いたいなー」
「それわかる。私もペット欲しいかもしれない」
適当に相槌を打ちながら、ひなの横顔に浮かぶ笑みを見つめた。目をキラキラさせながら語るひなは、子猫よりも何よりも可愛いと思うんだけどな。