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凛と杏奈のはなし

りんってさあ、彼ぴっぴとかいたりするの?」


 寝転がって曲を作っていたはずの相棒パートナーがそんなことを言ったのは、ちょうど午後三時十五分のことだった。同じくカーペットにごろ寝しながら作詞に勤しんでいた私は、スマホの画面から顔を上げる。答えは決まっていた。


「いないよ。なんで?」

「いや、なんとなく」


 そう言って、杏奈あんなは再び画面上の鍵盤を叩き始めた。いつもピアノを弾いているしなやかな指が、液晶画面をリズミカルに跳ね回ってコードを打ち込んでいく。私はしばらく手を止めて、その機械的な音色をぼんやりと聞いていた。


 杏奈とバンドを組んで、そろそろ一年半が経つ。ほぼ勢いで始めた音楽活動だけど、今のところはなかなかに好調だった。作曲とハモりの杏奈、ボーカルの私。杏奈の曲に私の歌声を乗せたサウンドは、着実に再生回数を伸ばしている。大学生になったらライブとかしてみたいね、なんて夢だってできていた。


 Aメロが終わって、不協和音を駆使したBメロが流れる。生まれる前の曲は不安定な音をはらんでいて、あちこちスカスカで、時々転んだり外れたりする。それがまた、耳に心地よいのだ。創り手だけに許される、不完全という悦楽。杏奈の指先から紡ぎ出される和音や旋律が、私は大好きだった。


 それまでは休みなく動いていた杏奈の手が、止まった。そのままスマホがスリープモードにされる。


「前の曲さあ、結構伸びたよね」


 彼女はくるりと仰向けになって、天井を見た。私もつられて、広いオフホワイトを見上げる。


「うん」

「ラブソングだったじゃん」

「そうだねえ」


 前作は、普段と少し毛色を変えた可愛い曲だった。いつもごりごりのロックやジャズばかりの杏奈が珍しくポップスを作ったから、私もそれに合わせてラブソングっぽい歌詞を書いたのだ。明るくて弾むような曲調が新鮮で、歌っていて楽しかった。


「なんか歌詞がすごいリアルだったから、凛にもついに彼氏できたのか、と思いまして」

「ほうほう……って、んなわけあるかーい」


 私は思わず笑ってしまった。多分深い意味はないのだろう。けれど、杏奈がそんなことをちょっとでも真剣に考えていたと思うと面白い。

 ころんと転がって、杏奈の横にくっつく。彼女は天井から視線を外して、私の顔を見た。


「あのね、私たちの普段の曲思い出してみて。どんな内容の曲があった?」

「大正時代の女学生がマシンガンぶっぱなしてる曲とか、男の子が自分の人生を振り返りながら海の中に沈んでく曲とか……」

「もしかしてそれ、全部私が経験したことだと思ってる?」

「いやまさか……あー、ね」


 私が何を言おうとしているのか、杏奈は察したようだった。にやっと笑って、こう言う。


「恋してなくてもラブソング書けるじゃない、って言いたいんでしょ?」

「その通り。さすが杏奈さん、よくわかっていらっしゃる」

「私は違うと思うぞ?」

「えっ?」


 まさかの切り返しをされて、私は思わず杏奈の顔を見た。黒目がちな目がこちらをじっと見つめている。ふざけているような真剣なような、不思議な雰囲気がその瞳にあった。


「だってさ、実際大正時代に女学校通いながらマシンガンぶっぱなしてた人はあんまいないだろうし、自分の人生振り返りながら海に沈んでった男子高校生もあんまいないじゃん。ましてやそういう人たちが私たちの曲聴いてるとも思えないじゃん」

「まあ、そうだねえ」


 私が言おうとしていたことの繰り返しか、はたまた発展か。口もとに少し微笑みをたたえながら、杏奈は話し続ける。


「だからさ、そういう歌詞を想像で書いたとしても誰も本当にそうかどうかなんて気にしないじゃん。ああそういうもんか、ってなるでしょ、多分」

「うんうん」


 確かに、そうだ。私たちが想像して妄想して作る世界を、自分で体験した人はいない。だから、それが真実に近しいかどうか気にする人もいない。


「でも恋愛って違うよね。みんな恋して、やれ誰が好きだ誰に惚れたってやって、時々本気で思いつめたりして、勇気出して告白したりとかする。みんなやってることを、みんなが大体おんなじように悩む。それが恋ってもんだと、私は思うのだよ。こういうのなんて言うんだっけ、フヘンテキ? そんな感情が曲になった時薄っぺらかったら、すぐバレちゃうんだよ」

「ほうほう」


 相槌を打ちながら、私は頭の中で杏奈の言葉を反芻していた。わかるような、わからないような気がした。恋という感情をはっきりと抱いたことは、まだない。一歩手前みたいな淡い気持ちでいつも終わってしまうのだ。


 今だって、そんなぽやんとした温かい気持ちがないわけではない。ずっと一緒にいたい。そう思えるような人と、出会えている。


「凛の歌詞はね、恋する女の子の書いた歌だったよ。間違いない。恋愛のスペシャリストこと私がいうんだから」

「何それ」

「私は凛と違って彼氏いたことあるもんね」

「一人じゃん。まだ好きなの?」


 そう聞いた途端、杏奈はちょっと頬を染めて嬉しそうに頷いた。


「うん」

「一途だねえ」


 一途だ。そして不憫だ。別れた元カレをずっと思い続けているなんて。


「というわけでですね、私は凛に好きな人がいるんじゃないかと勘ぐっているわけですよ。誰々? 言ってごらんなさい、ほら」

「結局それかいな」


 苦笑しながら、私はこう言った。


「モデルにした人が、いないわけじゃないんだけどね」


 冬だけど、窓から差し込む日は暖かかった。

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