彩夜と鞠花のはなし
どこからか伸びてきた手が、短くなった私の髪の毛をもしゃりと撫でた。私は緩慢な動作で振り返る。それが誰だか、だいたいわかっていたから。
「あーあ、なんで切っちゃったかなあ」
白くて細くて綺麗な手のひらは、尚も私の頭を触り続けている。私はちょっと怒ったふりをして、その手首を掴んだ。
「ちょっと鞠花、やめてよ。ぐしゃぐしゃになっちゃうでしょ」
十二月はじめの校門前。花壇の枯れかけた植物はいつのまにか綺麗にむしられて、代わりに名も知らない冬の花が植えられていた。
「ええ、だってえ」
歩きながら、鞠花は不満げに唇を尖らせた。今日一日中、彼女は私の髪に触れてはため息をついている。丁寧に巻かれた焦げ茶色の長髪が、マフラーの上でふわりと揺れた。
「長かった時の方が絶対可愛かったのに」
「なんで。邪魔じゃん」
やれ新作コスメがどうの、インスタのトレンドがどうのと言っている鞠花と違って、私はファッションに無頓着だ。なんとなく邪魔だなと思って長い髪をばっさりショートにしたのは、昨日。今日は朝一番で鞠花に怒られた。
「邪魔とかそういう問題じゃなくてさ。彩夜の髪、せっかくさらさらストレートで綺麗だったのに。ローツインテも似合ってたのに。ううう」
「綺麗より便利でしょ。髪洗うのも乾かすのも手間が省けていいよ。鞠花も切っちゃえば?」
答えながら、私は道端のポインセチアを眺めていた。美容院の店先からはみ出して、雑草の中で強かに生き残っている。こいつを見るとクリスマスを思い出す。今年、鞠花には何を贈ろうか。
趣味が正反対の私たちは、いつもちぐはぐなプレゼントを選んでしまう。去年の聖夜に鞠花からもらったのは、ラメがキラキラしたピンク色のグロスだった。なんじゃこれ、と思ったけれど、結局鞠花と出かける時にはいつもつけていくことにしている。私より何倍も可愛い鞠花が、私のことを可愛いと褒めてくれる。悪い話ではなかった。
視線を鞠花に移す。何やらまだぶうぶうと文句を垂れている。よく手入れされた色白の肌は冬でもぷるぷるのつやつやで、まるでお人形さんみたいだった。話の内容はそっちのけで横顔を眺めていると、ふとその色素の薄い瞳がこちらを向き、刺々しくこう言った。
「彩夜、話聞いてないでしょ」
「うん」
「そこは否定してよ!」
よく考えもせずに即答した私を、鞠花はぴしゃりと叱りつける。ますますむくれてしまった彼女に、私はとりあえず弁解を試みた。
「髪なんてすぐ伸びるんだから、別にいいじゃん」
まあ伸びたらまた切るけど、と心の中では付け足す。
「すぐは伸びないよお……彩夜とお揃いのヘアアクセ買おうと思ってたのに」
「それは素直にごめん。謝る」
「いいよもう」
「ていうかなんでそんなに長い髪にこだわるかなあ。ショートの私、そんなに嫌?」
「そういうわけじゃないんだけど、長いほうがこう、あどけなさというか、可愛らしさというか、あると思わない? あるよね?」
「私に聞かれても困るよ」
「どうしてわかってくれないの……あ」
しかめ面をしていた鞠花が、突然ぱっと明るい顔をした。可愛いけど、これはろくでもないことを思いついた時の顔だ。例えば、部活をさぼって一緒に遊園地に行こう、とか。
「私いいこと考えた」
「なあに?」
やっぱりそうだと思いながらも仕方なしに聞く姿勢を示すと、もったいぶったようにあのね、と始まる。
「高校出たら一緒に暮らせばいいじゃん」
「……はい?」
「グッドアイデアじゃない?」
「詳細の説明を頼む」
鞠花が足を止めた。
「二人で一軒家を借りて、一緒に住むの。そしたらお風呂はいる時も一緒だし、髪乾かす時も一緒でしょ? 彩夜は髪伸ばしても面倒なことしなくていい。私は髪が長くて可愛い彩夜が毎日見放題。はい最高」
得意げに話す鞠花の顔を、気の早い夕陽がオレンジ色に照らしている。
彼女の計画はあまりにも夢見がちで破天荒で、でもそれだけにとても素敵だった。なんだか笑えてくる。
「いいんじゃない?」
「なんでそんなヒトゴトなの」
「知らない」
「えっちょ、待って待って」
唐突に早足で歩き出した私を、慌てて追う鞠花。
「私はさ」
わざと、小声で話し始めてみた。
短くなったもみあげの髪を、耳にかける。北風ですぐに落ちてしまう。
「そういうの関係なく、将来は鞠花と一緒に暮らすつもりだったんだけどな」
言った後で、少しだけ恥ずかしくなった。私ったら、なんてキザったいことを言ったんだろう。
「なになに、もっかい言って!」
狙い通り、鞠花には聞こえなかったようだ。
「別に。育毛剤買ってみようかなって思っただけ」
「なにそれ、ハゲたおじさんみたい」
「じゃあやめた」
ふざけたことを言いながら、どちらからともなく手を繋ぐ。まるで正反対の恋人が離れていってしまわないように、しっかりと。
「伸びるまで側にいてよ」
「当たり前じゃん。なんなら足もとまで伸ばそうよ」
「それは流石に邪魔だよ」
夕焼け雲が綺麗だった。