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背面黒板のラブレター  作者: 東源雷頸華
2018・19年末年始
18/20

千恵子とまりあのはなし2

「まりあさん!」

 息を切らした私の叫びは、どうやら届いたらしかった。潮風に金髪を揺らすその少女はゆっくりと振り返る。まろやかな錆浅葱が、まん丸に見開かれた。

千恵子ちえこ……さん……?」

 呟く彼女を、私は飛びつくようにして抱きしめる。ただ呆然としていたまりあは、やがて涙に顔を歪ませ、無言のまま私を抱きしめ返した。

「よかった……もう、間に合わないかとっ」

 堪え切れなくなった感傷が目からじわりと溢れ出した。


「ご存知? あの黄色い頭の方、今年のうちに欧州へ行くんですって」

「あらまあ、そうなの? でもそちらの方がお似合いね」

 そんな噂話を耳にしたのは、そろそろ東京に初雪が降ろうかというある日のことだった。

 愛するまりあが黄色い頭などと呼ばれていることも不快だったが、それよりも気になることがある。

 欧州へ行く、とは。

 すぐにその同輩たちを問いただしてみると、二人とも詳しい経緯いきさつは知らず、ただ人づてに聞いただけだと言った。

 何やらこそこそ言いながら逃げていく彼女らを、私は呆然と見送る。

 留学や旅行ならば問題ない。でも移住や、もしかして嫁入りだったらどうするのだ。もう一生会えないということすら、ありえる。

 それにちょっと欧州へ行くだけなら、まりあが話してくれないのもおかしい。つまり、隠すだけの理由があるのだ。

 暦を見れば、今年はあと十日と残っていなかった。

 調べなければ。私は決断したのである。

 それからというものの、千恵子は毎日のようにまりあと会う約束を取り付けた。一度疑いを持ってみれば、まりあが時々見せる寂しげな表情も気にかかる。そして、運命の日はやってきたのだ。

「ごめんなさいね、千恵子さん。明日は少し予定があって、会えませんの」

 まりあは申し訳なさそうに眉尻を下げ、そう言った。大晦日の前日のことだった。

 来た。私は身構える。

「あら、それは残念ですわ。では、明後日はいかが?」

 平静を装って微笑みながらも、内心は大荒れだ。

 ぎくり。まりあは一瞬身を固くした。そんな様子を、私は鉄壁の微笑とともに見守る。

「え? ああ、まあ、そうですわね。明後日。ええ、明後日には」

 見るからに不自然に言葉を濁すまりあ。彼女は隠し事が下手なのだ。大方、使用人かなにかに手紙でも預けて、明日旅立ったあと私に知らせようとしているのだろう。

 その日まりあを見送ったあと、私は即座に女中に言いつけ、翌日欧羅巴に渡る船を調べさせたのだった。

 

 真冬の港。風は冷たい。蒸気船に乗り込む客たちが、何ごとかと私たちを一瞥してゆく。

 なにも言わず抱き合う数秒間を終えて、二人は改めて向き合った。

「千恵子さん、私、嬉しいわ。なんて言ったらいいのか、わからないくらい」

 とろけるような微笑みを浮かべて、まりあは言う。こんな時に意地悪がしたくなって、私はわざと傷ついたふうを装った。

「ひどいわ、まりあさん。私になにも言わずにいなくなる、そういう段取りだったのでしょう? なぜ話してくださらなかったの」

 途端、悲しげな顔をするまりあ。

「ああ、ごめんなさい千恵子さん。貴女に伝える勇気を、私は持っていなかったのです」

 私はたまらなくなって、まりあのなめらかな頰に指を滑らせた。彼女は少し目を伏せて、どこか思慮に耽っているように見えた。

「ええ、ええ、何か理由があるのでしょう。私に教えてくださいな」

 彼女の白い頰を挟んだままその瞳を見つめると、青碧はまたわずかに揺らぐ。

「私、エゲレスに嫁ぐことが決まりましたの。いいえ、この言い方ではおかしいわ……ずっと、決まっていたのよ」

 絞り出すようにそう話すまりあの声は、今にもまた泣き出さんばかりに震えていた。

 やはり。やはりそうだったのだ。

 考えていたうちでは最悪の事態に、私の頭は真っ白になる。

 結婚。私たちおんなにとって、それは逃れようもない怪物であり、少女としての死。

 それなのに、由緒正しいおうちですってと微笑む姿のなんと健気なことか。

「では……ではもう、会えないの? 貴女とは、これでお別れなの?」

 無意識のうちに、私はまりあの髪に触れていた。太陽の色をした髪。私の大好きな、狂おしいほどに愛おしい色。

「いやですわ、まりあさん。そんなこと、そんなこと……私は死んでしまいます。今だって、こんなにも苦しいのに」

「千恵子さん、私もつらいわ。でも行かなければならないのです」

 そう告げるまりあの声は、もはやいたいけな少女のそれではなく、覚悟を決めたおんなの声だった。

 ああ、もう終わってしまったのだ。

 私の中で、なにかが崩れていった。それは例えば、今まで使っていた大事なものを小さな箱にしまいこんで、無理矢理目をそむけるように鍵をかけてしまう心地に似ていた。

「まりあさん。貴女は、この前のお話を覚えていますか? 二人で生まれ変わるお話を」

 これは私が彼女と交わす、おそらく最後の約束だ。

「ええ、覚えていますわ。ねえ待って、続きは私に言わせてくださいな」

 にっこりと薔薇の花の微笑みを浮かべて、まりあはひと言ひと言を確かめるように言った。

「千恵子さん。生まれ変わったら、必ず会いにゆきます」

 私も涙まじりのまま笑う。

「ええ。私も、貴女を探しにゆきます」

 まりあは最後に私をじっと見つめて、決心をつけたように踵を返した。

「またね、千恵子さん。また会えるその時まで」

 眩しく輝く金色の髪が、客船の中に消えてゆく。

 お互いに、最後までさようならは言わなかった。

 船影が地平線の向こうに吸われて見えなくなるまで、私はその姿を見送っていた。

 お久しぶりの大正女学生コンビです。

 この二人はセリフをちょっと詩的というか、芝居掛かった感じにするように心がけています。多分シリーズ中一番感嘆符を連発している。

 ちなみに、彼女たちは来世でめでたく結ばれました。

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