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華蓮とひなのはなし2 後編

 前編中編後編の配分を間違えたせいでとってもとても長くなってしまいました。そして投稿の間隔がかなり空いてしまいました。

 結局のところ、一週間のうちに見学に訪れたのも、その年に美術部に入部したのも、私とひなの二人だけだった。仮入部してからは私も絵を描くようになって、ひなに至ってはスケッチブックと絵の具を持ち込んで大作を描きあげようとしている。


 そんな彼女の横顔を眺めながら、私はここ数日のことを思い返していた。

 毎日のように話しかけてみるも、大抵は「うん」とか「へえ」とかで片付けられてしまう。昨日は今日だけ歩きだから一緒に帰ろうと誘ってみたが、「ごめん、急ぐから」と断られてしまった。それだけではない。目が合うとなんか避けられる。廊下ですれ違ってもにこりともしてくれない。それは私が知っている「同じ部活の子」とはかけ離れているものだ。


 結論。嫌われている。


 今のところ二人きりの美術部なのだ、是非とも仲良くなっておきたい。が、ひなはおそらく、根本的に私「を」苦手とするタイプの子だった。私は深いため息を吐いた。ひなのスケッチブックを見つめる。桜をテーマにした薄ピンクの世界は、広大なスケッチブックの上で着々と完成に近づいていた。水彩だけであんなに綺麗なグラデーションが作れるものなのか、と心底感心しつつ私も鉛筆をとる。


 程なくして行き詰まり思案していると、すぐそばで絶え間なく鳴っていた筆と水の音が途切れたことに気づいた。じっと自分に注がれる視線を感じる。何か言いたげ。そんな気配がひしひしと伝わってくる。が、顔を上げるわけにはいかない気がして、私は紙を凝視したままおし黙った。ひなが口を開いた。見えるはずがないのに、小さな唇が開くのが見えた気がした。


「ねえ、何描いてるの……?」


 その声が小さく震えていることに、気づかないわけにはいかなかった。

 自分が置かれている状況が理解できなかった。これはただの放課後の部活動のはずで、私とひなは今日も一言も会話せず黙々と絵を描くはずで、その後だって特に何もなく一人で帰るはずで。それなのになんで、私はひなに問い詰められるみたいに話しかけられているんだろう?


「ええと」


 正解が何かなんてわからなかった。今私が描き表してるこれを、一体何と表現すればひなは安心するんだろう。また私は何か間違えたのだろうか。

 しばらく堂々巡りの思考を経て、私は恐る恐るこう言った。


「……わんこ?」


 出てきた答えはあまりにも幼稚でのほほんとしていて、今この瞬間の張り詰めた空気には到底そぐわないものだった。息が詰まって、時間が止まったように感じる。ひなは何も言わない。ただただ微妙な、嵐の前に立つさざ波のような胸騒ぎだけがあった。


「ちょっとトイレ行ってくる」


 ひなは絞り出すようにそう口にして、逃げるように部室を出て行った。それを引き止めることもせず、私はただ取り残される。


 ぼんやりと数秒前の出来事を反芻しながら、私は机上の絵にもう一度目をやった。犬だ。拙いタッチで犬が描かれている。ひなが描いていた桜。桜と犬。桜と、わんこ。

 何かを思い出せそうな気がした。でも、思い出せない。


「ひなちゃん」


 その日、彼女が美術室に戻ってくることはなかった。


§


 その夜、私は本棚から小学校の卒業アルバムを引っ張り出していた。卒業式直後は毎日のように眺めていたが、入学してからはそんな時間もなくなってしまった。修学旅行やら運動会やら、どの写真でも私は何も考えてなさそうな顔で笑っている。ほんの一年も経たない思い出に懐かしさを覚えながらページをめくると、ある違和感に気づいた。


 私が、いない。

 慌てて一ページ戻ってみる。四年生のページ、秋の遠足の時に撮ったクラス写真に私はちゃんといた。でも、それ以上戻るとどこにもいない。集合写真にも、だ。一体なぜ?

 思い悩んだ末、私は思いの外単純な事実に行き当たった。

 私は小学校を転校していたのだ。小四の夏休みを境に、前いた小学校から新しい学校へ。そんな大事なことを忘れていたなんて、私はなんてお馬鹿なのだろう。


 そういえば私はなんで転校したのか。住んでいる家はずっと変わっていないし、学区としては前いた学校に属しているはずだ。考えてみれば、転校する前の記憶もあやふやだ。

 おかしい。何かがおかしい。

 ひなの態度。桜と犬の絵。理由がわからない転校。しかも、それを私が忘れていたこと。全くない、最初の小学校の思い出。


 何か思い出せないことがある。ついさっきまで、思い出せないことがあるという事実すら、私は思い出せなかった。

 思い出せ。思い出さなければ。ピンクのランドセル、ベロアのワンピース、体育館のステージ、六年生のお姉さん、あやこ先生、優勝旗、別れの言葉、好きだった本、クローバーのしおり、仲の良かった子……

 ぴよちゃん。


「あ」


 喉の奥から、掠れた呻きが漏れた。

 ――仲間はずれ。陰口。悪口。

 思い出した。全部。嫌なことまで。


「そっか……全部全部、忘れてたんだ」


 きっかけさえひねり出してしまえば、あとは勝手に溢れてくる。


§


「気持ち悪いから近寄んないでよ」

「なんかウザくない、あいつ」


 小学生というのは意外に残酷だった。なんかちょっと気に入らないとか、なんかちょっと自分たちと違うとか、そんな理由でいとも簡単に人を傷つける。裏で言われてる悪口なんて、知らぬが仏。気づかないうちはなんだっていい。気づいたら終わりだけれど。


「学校来なければいいのに」

「なにあれ、ジマン?」


 そんなことになるまで仲が良かったのが、ぴよちゃんこと、ひなちゃんだったのだ。ひなちゃんは絵を描くのが上手で、特に犬や猫の絵が好きだった。二人でいつも一緒にお絵描きをしていた時間が楽しかったことを思い出す。確か、初めて話しかけた時はぴよちゃんが芝犬、私が桜を描いていた。


「カレンのくせに」


 でもひなちゃんとて人の子、私を助けてくれる正義の味方でもなんでもなかった。彼女は簡単に私を見捨てて、結局私は一人だった。最初のうちは女子同士の陰口で済んでいたのが男子まで加担し始めて、そのあたりから物を隠されたりとか落書きされたりとかが起きて。流石に先生と親が気づいて、それで転校させられたんだっけ。


 当時はなんだか平気なような気がしていたけれど、後になってみるとそうでもないらしい。その証拠に、私は今の今までその記憶を全て自分の中に抑え込んでいたのだ。


§


 ショックと多すぎる情報量に軽いめまいを覚えて、こめかみをきゅっと押さえる。ひなが私を避けていたのも、今なら納得できた。逃げていたのだ、私から。多分、彼女の中には私を裏切ったことに対する罪の意識みたいなものがあるんだろう。私が言うとなんだか自惚れているように聞こえるが。自分が悪者になりたくないから。しかも相手が綺麗に忘れているらしいとなったら、なるべく思い出させないに越したことはない。そういうことなのだ、おそらくは。


 アルバムをそっと閉じて、本棚に戻す。大きく息をついてそのままひっくり返り、古びて黄ばんだ天井を見上げた。

 明日どんな顔で会ってどんなことを言うのか、今のうちに考えておかなければ。


§


「話が読めない」

「わかってるわよ、私も読めなかったもの」

「急展開すぎる」

「同感ね」


 頭を抱える私に、彼女は苦笑いしながらそう答え、ついでにもう一つのサンドイッチを平らげた。結構なサイズと厚みのあるサンドイッチが、少しずつ少しずつ消えていく。そんな様子を、私はぼんやりと眺めていた。


「ええっと……その、記憶を失ってたの?」

「うーん、失ってたというよりは思い出せなくなってたって感じかしら。しまいこんでカギをかけてた、というのが正しいかもね。そのカギを、私は拾ってしまった」


 そう言って彼女はふと窓の外を見た。私たちが店に入ってからすでに一時間は立ったが、外は相変わらず雨が降っているようだ。黒い傘をさしたサラリーマン風の男が一人、何かから逃げるように駆けて行く。


「まさかこうなるとは思わなかったよ。まあ確かに、九歳の頃のあんたとか同級生から見たら未知の生物だよね。いや、だからと言って仲間はずれにしていいわけじゃないけどさ」

「まあ私も、その頃はあんまり周りのこととか考えてなかったしね。集団行動とか社会生活とか、苦手だったのよ。致命的に」

「ふーん」


 私は曖昧にそう返した。人とずれているが故の生きづらさというのは、私にとっても無関係ではない感覚である。


「自分が一番びっくりしたわ。そっくりそのまま忘れてたのよ。幸い転校先の学校では上手くやれた。いじめられたことなんて、覚えてても仕方がないものね。それが偶然、ひなちゃんと再会してしまった。最初出会った時と同じように、絵が私たちを繋いでくれたの。皮肉なようだけど、これって運命じゃない? だから私、決めたのよ」


 彼女の黒い瞳が私を見た。長い睫毛がそこに影を落としている。うっすらと寒さを感じさせる表情だった。


「その次の日は雨だった。ちょうど、私が初めて美術室に入った日みたいにね」


§


 夢を見ていた気がする。思い出せないけど、奇怪でしあわせな夢を。


 ぼんやりとする頭が、徐々に五感を通して外界と繋がる。明るいはずの東側の窓ぎわが薄暗い。ぱらぱらと、雨粒の屋根を叩く音がした。

 こういう日はいつだって少し鬱屈としていて、妙な脱力感に襲われる。端的にいえばやる気が出ない。それでも私は布団から這い出して、顔を洗って化粧水をつけて、髪を綺麗にしばって学校へ行く。


 一つ深呼吸をして、昇降口で目当ての人が来るのを待った。彼女は私の姿を捉えると、信じられないという風に目を見開いて硬直した。持ったままの傘から滴がぽたぽた垂れる。そんなひなを見て、私は今日最初にして最高の笑顔を浮かべた。


「あ、おはよう青葉さん」


 大丈夫。私は気づいてない。なにも気づいていないから。はじめまして、青葉さん。


「……お、はよう、古屋さん」

「教室まで一緒に行こうよ。昨日はどうしたの? いきなり一人で帰っちゃったりしてさ。心配したんだよー」

「ああ、ごめん……」


 私は多少の図々しさを装って、ひなの隣にすたっと並んだ。


「昨日いきなり何描いてるのって言われてショックだったんだよ? 私の描いたわんこははたから見たら何かわからないレベルの謎物体なのか、って!」

「ちょっとあの時、思いついただけだから……」


 彼女は呆気にとられていたが、やがてちょっと微笑んだ。その笑顔に隠れた安心の色を見て、私は思い通りに事が運んだという確信を得る。


「なんだそれ。あ、筆とバケツだけ洗って干しといたよ」

「え、ありがとう。ごめんね」

「いいの、いいの」


§


「これが、最初の過ちを思い出した話。上下巻の上」


 彼女はそう言って、そしてハンドバッグを持って立ち上がった。カフェの暖かい光と、雨降りのほんのり白い光との中で、彼女はとても美しく見えた。


「ごめんね、もう行かなきゃ。続きはまた今度でもいい? これから会わなきゃいけない人がいるの」

「うん。なんというか、刺激的な話を聞かせてもらった」


 私がそう言うと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。その会うべき人というのが誰だか、私には分かる気がした。


「じゃあね。ひなちゃんに、よろしく」


 彼女は軽く手を挙げて応じ、店を出て行った。

 なんか腑に落ちない終わり方だなと思ったそこのあなた。私も腑に落ちてないですごめんなさい。

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