悩める古道具屋 -博麗の巫女と里の賢者の愚痴-
文明の発達により忘れ去られた者たちが流れ着くのは、幻想郷の常である。外来本を読んでいると、外の世界の道具の新陳代謝が激しいのがよくわかる。だが、その忘れ去れるものというのは、時に道具のみとは限らない。先日はこんなことがあった。
―カランカラン
「いらっしゃい」
扉を開けて入ってきたのは、みすぼらしい風体の男だった。ボロボロの傘を持ち、着ている羽織は干からびた海藻のようにくたびれており、継ぎはぎだらけの穴だらけであった。顔はというと、ぼさぼさの総髪に、死んだ魚のような伏し目、髭は老仙人の如く伸び放題である。
(見かけない顔だな)
「すまねえ、座らしてもらっていいか?」
男は店に入るなり、客用の椅子に腰かけると、そのまま押し黙ってしまった。どうも、相当お疲れの様子である。
僕はあえて彼には話しかけず、横目でこっそりと様子を窺っていた。
男はたまに顔を上げては店の商品をちらりと見て、また目を伏せる、の繰り返しである。
(何か探してるのか、それとも単にどう話しかけるべきか迷っているのか・・・?)
とりあえず僕は、男に話しかけることにした。
「何か、お探しかな」
下を向いていた男は、僕に視線を移した。改めてよく見てみると、顔つきは若者のように見える。それも、髪を梳き直し、髭を剃り落とせば、中々器量は悪くはない、むしろそれなりに整った顔立ちに思える。
「あぁ、悪いな。特に何を探してるってわけじゃねぇんだ。ごめんな」
男は申しわけなさそうに言う。
「ここの事、まだあんまり知らねぇんだ。ただ、ここでは懐かしいモンを扱ってるって、それは聞いたからよ」
「ああ、様々な小道具を取り揃えているからね。・・・誰かから、この店のことを聞いたのかい?」
「おう。紫色のドレス着た、金髪の女子が言ってた」
紫色のドレス・・・金髪・・・?まさか―
「よく分からないところに迷いこんじまった俺に、親切に色々教えてくれたんだよ」
「・・・」
「綺麗な女子だったなあ。まるで欧羅巴の貴婦人だ」
この人、紫の案内でここに来たのか。しかしこの人のこの様子は・・・
「なあ、店主の兄ちゃんや」
男は僕の目をじっと見つめる。直感が働いた。この男はただ者ではない、と。
「半化けか」
「・・・ご名答」
果たして僕のことは紫から聞いていたのだろうか?僕が妖怪と人間のハーフだということを。でもこの感じ、それを知らずに、ただ僕と顔を合わせただけで正体を見抜いたようにも思える。
「くふふ」
「・・・」
答え合わせは正解だ。男は無邪気な笑顔を見せた。
「さっきの女子のことだが・・・」
男は目を薄めて息を吐く。
「あれも物の怪だった。すぐわかる」
「・・・すぐにわかったのかい」
「おうよ、年の功と言う奴だ。おっと、でも兄ちゃんも結構長生きしてそうだな。あはは」
男はまた少しだけ笑顔を見せたが、すぐにまた伏し目の寂しそうな表情に戻った。
「・・・」
僕は彼に、今まで質問したかった事を聞いてみた。
「貴方は・・・一体何者なんだ?」
男は自嘲気味の笑顔を僕に向ける。
「俺は・・・神様だよ。こんな身なりになっちまったが」
―カランカラン
「霖之助さん、いるー?」
扉から聞き慣れた声がする。
「やあ」
「相変わらず暇そうねえ」
「そういう訳でもないよ。さっきまで色々、物の整理とかをやっていたからね」
「あっそ」
霊夢は僕の横を通り過ぎると、さっと振り向いた。
「喉乾いちゃったから、お茶貰うわね」
「・・・」
「じゃあ失礼するわね」
いいよ、とも何も言ってないんだが。いつものパターンだからまあ仕方がないか。
「ふう、おいしー」
お茶を飲みながら表情を緩める霊夢を見ながら、僕もお茶をちびちびとすすりつつ、読みかけの本を読み始めた。が、楽しい読書タイムはすぐに中断されることとなってしまった。
「ねえ、霖之助さん」
「ん?何だい」
「ごめん、ちょっと愚痴らせて」
勘弁してくれ、と言いたいのを抑えて、僕は霊夢に言う。
「僕がもし断るといったら?」
「構わずに喋らせてもらうわ。その時は」
「はあ」
「なんか、誰かに聞いてもらわないと気が晴れないのよ」
ふうっ、と息を吐くと、霊夢は不機嫌そうに語り始めた。
「昨日ね、うちに厄介なのが来たのよ」
「厄介なの?」
おうむ返しに僕は答える。
「そう。とっても厄介な奴」
厄介な奴か。一体どんな奴なのだろうか?単に妖怪や妖精がちょっかいを出しに来たわけではなさそうだ。
「追い返すのに苦労するわ、ああいうのは」
「追い返す?」
追い返すということは、退治しなかったのか。いや、退治をしないのではなく―できなかった―のか?
「追い返したと言ったね。その厄介な奴というのは、もしかして妖怪とかじゃなくて―」
「人間」
はあ、と霊夢は大きなため息をついた。
「あたしと同じ年くらいの女の子が来たの」
驚いた。祭事でもないのに博麗神社に普通の人間が訪れるのは稀なことである。だが、いったい何の目的で?
「それで、その子は何て―」
「弟子にしてほしい、って」
「弟子!?」
危うく持っていた湯呑を落とすところだった。まさか霊夢に弟子入りを志願する者が現れるとは。
「最初はね、優しく諭してあげたわ。私は、というか博麗の巫女は弟子をとるわけにはいかないってね」
「ふむ」
まあまずそう言うだろうな、と僕は思った。まあ、厄介な奴扱いされるということは、その言葉で引かなかったことはまず間違いない。
「でもね、何回説明しても、『弟子にしてくれるまで帰りません』の一点張りで・・・
そのうち延々と自分の自慢話ばかりするようになって・・・だんだんイライラしてきちゃって・・・」
「うん」
「金輪際ここに来ないで。二度とあんたの面も見たくない」
「・・・」
「思いっきり、そういってやったわよ。あーもう本当ムカつく」
「・・・霊夢」
「何かしら?」
「一応、その子の話はちゃんと聞いてあげたんだろうね?どうして君の弟子になりたいのか」
「ええ。ずっと前から私に憧れていたみたいね」
「ふむ」
僕は霊夢が不機嫌そうなのが気になっていた。
「喜ばしいことじゃないか?君に憧れているんだろう?その子は」
「なーにが喜ばしいことよ。迷惑なだけよ」
霊夢は不快感を露わにした声で言う。
「・・・私に憧れているって、それを聞いた時は悪い気はしなかったんだけどね。嬉しかった。それに、博麗の巫女として悪い妖怪への対応のやり方とか、簡単な弾幕や術の使い方を教えてあげようかとは思ったわ。最初はね。弟子は無理だとしても、みんなのために妖怪退治をしたいという気持ちが真剣なものならば、後々心強い味方になってくれるはずだから」
「・・・なるほど。その様子だと、彼女はそうではなかったと?そういうことかい?」
「そうよ。『どんな妖怪にも容赦しない、冷徹な最強の巫女、そういうのすごく憧れます』ですって。・・・まあ、間違ってはいないんだけど。ただね、そういう煽りは、天狗の新聞やら、雑誌やら、あることないことごちゃまぜのゴシップ記事の内容で全部知りましたーって。それで私の触れられたくないことや恥ずかしいことまで、どや顔でひけらかしてくるのよ。冗談じゃないわ。あんなデタラメばっかり、プライバシーの侵害ばっかりなもので知ったことを延々と、さも事実のように言われたら、腹が立つに決まっているじゃない」
霊夢は怒りをぶちまけた。僕はあえて、相槌を打つことはせずに黙って聞いていた。
「それに」
霊夢の怒りは収まらない。
「まったく、妖怪退治を甘く見すぎなのよ。『私、強くなって霊夢さんみたいに妖怪を懲らしめたいんです!』ですって。そんな単純な話じゃないわよ。正義のヒーローかなんかと勘違いしてるわね」
「正義のヒーローか」
思わず僕は唸った。
「人間からすれば、君は立派な正義のヒーローじゃないか」
「『人間からすれば』、でしょ?妖怪からすれば恐ろしい敵よ」
「それは確かにそうだが」
それは否定できなかった。それほど力の無い妖怪は、霊夢の姿を見るだけで震え上がり、恐れおののくものである。
「まったく、妖怪退治にしても、異変解決にしても、色々考えてやらなくちゃいけないって言うのに・・・ろくに知らない癖に変な間違った知識だけは一丁前で・・・」
「うーん・・・」
いつも冷静な霊夢が相当ヒートアップしている。しばらくこの愚痴りは止みそうになかった。
「ところで、一つ気になっていたんだが」
「何?」
霊夢はじろりと僕を睨み付ける。いや、僕にまで怒りの矛先を向けるのは筋違いだろう。
もっとも、そんなことは口が裂けても言えないが。さとり妖怪には通用しないだろうけど。
「その子は、一人で神社まで来たのかい?」
「そんなわけないじゃない」
霊夢は呆れたように言う。
「慧音が一緒だった。はぁ、妖怪退治をろくに会得していない人間が簡単に一人で来れるわけないでしょ。それでも彼女、最初は一人で神社まで来る予定だったらしいわね。流石にそれは彼女の家族からも、里の退治屋からもストップがかかったそうよ」
「慧音が・・・」
「『保護者役として一緒に来た』って疲れた顔してたわよ。まったくいい迷惑よね」
霊夢の話を聞いていると、慧音も相当大変だっただろうな、と思う。
「それでね、その子、その道中でうるさい妖怪やら、妖精やらを何体もやっつけてやったとか得意気に言い出すのよ」
「へえ」
単純に何の能力も持たない子じゃなかったのか。
「それは驚いたな。何かの能力を持って―」
「あんなもの所詮は付け焼刃よ」
僕の言葉を遮って霊夢が言う。
「中途半端な結界術。試しに見せては貰ったけど、危なっかしくてもう無理、見てられない。冗談抜きで危険よ、あれは。たとえ全く力の無い素人であっても、手順を踏んで基礎から少しずつやっていけば、それなりに身を守る術にはなるわ。でも彼女は違う。なまじ才能があるから、色々途中の重要な箇所をすっ飛ばして、あろう事か難しい複雑な術を使おうとしているのよ。自分の力に酔っていて、如何に危ない真似をしているのかが全く分かってないわ」
霊夢は早口でまくし立てた。が、僕はその中で気になる言葉がある事に気づいた。
「今、『なまじ才能がある』って言ったね」
「ええ、そうよ」
「まったく術の才能が無いわけじゃなかったんだ」
「まあね。何でも、代々伝統的な結界術を扱ってきた家系だって言ってたわ。それこそ、昔は妖怪退治の仕事もしていたことがあったらしいわね」
「なるほど、それでか」
いまや、幻想郷の妖怪退治と言えばそのほとんどは博麗の巫女の役目である。妖怪が人間を襲う、という概念が形骸化した今となっては、それが普通である。ただ、一昔前の時代はそうではなかった。人間を襲う妖怪を退治するために、里には数多くの退治屋がいたのだ。今でこそ退治屋を本業とする者は少ないものの、その名残はわずかに残っている。かつてのご先祖の経験を活かし、副業としてではあるが、里の結界の修繕の手伝いや、地鎮祭などのお祓い、博麗の巫女が出るまでのないちょっとした悪霊退治といった仕事を行うものは今でも何人もいる。
「でー、さらに悪いことにね。『この結界術は初代博麗の巫女の教えを汲んでるんですよ』とか言い出すのよ。それが慧音曰く、本当らしくってさー」
盛大な溜息を吐き、霊夢は両手で顔を覆った。
初代博麗の巫女か・・・博麗大結界を作り上げた結界術の達人だったな。その初代巫女の結界術となると相当凄まじいものじゃないか。
「凄い所の娘さんじゃないか、彼女」
「家柄や教えが凄くても、使う人がなってないと全然意味ないわよ」
霊夢は呆れ顔で溜息をついた。本日何回目だろう、霊夢の溜息を見るのは。
「さっきの道中の退治の話だけど、みんな容赦なくぶちのめしてやった、って言ってたわね。
知らず知らずのうちに自分にも相当負担がかかる術まで思いっきり使って・・・もちろん慧音が彼女には気づかれないようにフォローしてたみたいだけど」
「慧音が・・・」
もう完全に保護者状態じゃないか。話を聞く限り、その子は自分がどれだけ危険な振る舞いをしているのか全く理解していないようだ。霊夢がブチ切れるのも無理はないか。
「そもそも、最初付き添い役は慧音じゃなかったようなの。魔理沙が同行する予定だったみたいね。で、道中の妖怪退治は全部魔理沙が行うって言ってあげたらしいんだけど・・・その子、妖怪退治は自分で全部やりたい、一切手出ししないでくださいって馬鹿げたことを言いだしたから、呆れた魔理沙は降りたってわけ」
そんな事情があったのか。魔理沙も親切心を蔑ろにされるとは・・・可哀想に、その弟子入り志願の子は相当歪んでいるな。
「真兵衛さんは最初っから乗り気じゃなかったみたいね。神社までの往復の案内賃を吹っかけてその子にメチャクチャ噛みつかれてたそうよ」
・・・からかってるだけだろうそれは。まあその子の家柄を鑑みて、もしやいけると思ったのかもしれないが。
「彼は相変わらずせこい稼ぎもやってるようだね」
「土地代の収入があるんだからそれでいいでしょうに。まったく、私の仕事もこれ以上取られたらたまんないわよ」
「そこは同じ退治屋同士、上手くやっていくのが正解だと思うね」
「そりゃまあ・・・そうだけど」
何度も同盟を組み、妖怪や悪霊を協力して退治したこともあるだろうに、と思ったが、普段はお互いライバル同士という認識は相変わらずのようだ。
その後も霊夢の怒りに満ちた愚痴は続いた。延々と続く愚痴に完全に今日のスケジュールは台無しになってしまった。
言いたいことを吐き出し、すっきりした顔の霊夢が去った後で、僕はようやく読書を再開しようと思ったのだが・・・
「あ・・・これは」
ふいに霊夢が動かした椅子の横に、ボロボロの傘があるのが目についた。そうだ、この傘はあの神様の忘れ物・・・
―僕は先日の神様のことを思い出していた。あの神様は、元々外の世界の神社に祀られていたという。彼は元人間で、若くして流行り病で命を落としてしまった。それを憐れんだ村の人々により、神として祀られたという。彼のような若くして命を落とすものが今後現れぬよう、病気を治す癒しの神として、長い間人々から信仰されてきたという。
だが、外の世界では目まぐるしく情勢が変わっていく。ずっと彼を信仰し、病の治癒を願っていたはずの人間は、医術の発達により、いつの間にか彼のことを見向きもしなくなった。社は寂れ、供物が供えられることは無くなり、賽銭箱も朽ち果ててしまった。世から忘れられ、居場所を失った彼は、気が付くと見知らぬこの土地に来ていたという。
「あの物の怪の女子から色々聞かされたよ。俺は・・・もはやお役御免なんだとよ。存在価値が無くなっちまったんだとさ」
・・・紫の手引きか。たまにあるんだよな、こういうことが。
「ずっと過ごしたあの社にも、もう二度と戻れねえんだってよ。・・・畜生」
癒しの神は、寂しそうに呟いた。
「・・・ここはね、全てを受け入れる場所なんだ。ここで信仰さえ集まれば、貴方もかつての輝きを取り戻せるかもしれない」
「どういうことだ?それは」
「過去の話ではあるが、外の世界には貴方を必要とした人間が大勢いた。病気や怪我を治すために、人々は貴方を無心に信仰した。この地にも、貴方を必要とする者がきっといる」
「信仰か・・・」
「正直、今の僕にこれ以上のアドバイスをすることは出来ないかな。後は全て貴方次第だ」
「困ってる奴を助けてやりたい。病や怪我してる奴を救いたいんだ」
「ほら、それで十分じゃないか。それを実行するために、何をすればいいか?」
「そうだな」
癒しの神様は、少し考えて、
「薬師の手伝いが一番だよなあ。そう考えると」
「うむ、いい選択肢の一つだね」
「なんにせよ、まずはここの土地のことを少しずつ学んでいかなきゃなんない。とりあえずそっからだな」
「そうだね」
こうして癒しの神様は、店を去っていった。
そして、あの日の愚痴る霊夢が訪れた数日後に、もう一度神様は僕の店を訪れたのである。
―カランカラン
「おう、こんちは」
「いらっしゃい。・・・ちょっと、前より顔色が悪くなってないかい?」
「ああ、ちいとえらい目に逢っちまってな。少々、力を使いすぎた」
ん?彼に何かあったのか?
「何か・・・あったのかい?」
「まあな。大怪我した妖怪や妖精がたくさんいたんだよ。そのひーりんぐだ」
無理して横文字を使う様が若干シュールに感じたが、大勢の怪我人がいたというのが気になった。何かあったんだろうか?
「博麗の神社に向かう山道からちょっと外れた場所でな。・・・みんな強力な結界術を使う人間にやられたらしい」
結界術を使う人間・・・?
「ひでえ有様だったよ。ほとんどは何もしてないのに急に襲われたっつってた」
まさか。まさかそれって―
―カランカラン
「失礼する」
扉が開き、一人の少女が店に入ってきた。
「やあ、いらっしゃい」
「すまないな、今日はお客としてきたわけじゃないんだ」
慧音は申しわけなさそうに苦笑する。
・・・どうも嫌な予感がする。このパターンはもしや。
「ちょっと、聞いてくれないか。私の話を」
「いいよ」
今日も読書タイムは中断だ。無念なり。僕は本を閉じると、慧音のそばの椅子に腰かけた。
「この前、霊夢の弟子になりたいって子を連れて、博麗神社まで行ったんだ」
ああ、その話か。・・・まいったな、今度は慧音の愚痴を延々と聞くことになるのか。
「・・・実は、霊夢からたっぷりその時のことは聞いたよ」
僕は霊夢から聞いた厄介な奴の話をした。
「あの時は、大変だったみたいだね」
「ああ、本当に、本当に大変だった」
ふうっ、と慧音は息を吐いた。
「・・・あいつを連れて、博麗神社に向かう途中、妖怪や妖精に何回か出会ったんだが・・・」
「確か、うるさい妖怪妖精を退治したって・・・」
「うるさい妖怪、うるさい妖精、か・・・」
慧音の表情が暗くなった。
「ほとんどは、本気で危害を加える気は無かったと思う。ちょっと知らない人が来たから、びっくりさせてやる、それくらいの感覚だよ」
「まあ、あの辺にいる妖怪連中ならそういうのばっかりだろうね」
「私だって、それは十分理解している。ちゃんとそれをあいつにも出発前に説明した。むやみに妖怪に手出ししないこと、何かあったら私が妖怪と戦うことをね」
「うん」
「でも、あいつはその約束を平気で破った。出会った妖怪相手に、なりふり構わず思いっきり術を使い始めたんだよ」
「・・・」
「もちろん私は彼女を叱った。でもあいつは・・・っ、全然、悪びれる様子は無かったんだ。『妖怪は人間を襲う、だからやられる前にやって何がいけないんですか』ってね。・・・あいつは・・・っ、」
慧音の言葉が途切れた。手がぶるぶると震えている。
「大馬鹿だ!」
慧音は下を向き、涙声で叫んだ。
「・・・あいつは、最低だよ。ほんの悪戯でからかってきた無邪気な妖精も容赦なく・・・」
掠れた声で慧音が呟く。
「私は・・・必死でやめさせようとした。なんとか相手に致命傷だけは与えないように、感づかれないようにあいつの術を和らげようと・・・でも、無駄だった。途中で感づかれて、『慧音さんは手出ししないで下さい』、って怒鳴られた。それからあいつはもうやりたい放題だった。もう、見ていられなかった。未だに、泣き叫ぶ妖怪や妖精の声が耳から離れないんだ」
慧音の目から涙が一つ、二つとこぼれ落ちた。
「・・・こちらに何も危害は加えていないのに・・・ただその場で出くわしただけなのに・・・妖怪と言うだけで・・・そんな理不尽な理由で相手を攻撃するんだぞ・・・信じられるか?」
僕は無言で慧音の話を聞いていた。
「忘れることができないよ。あいつの言葉が。満面の笑みで言った『うざい妖怪はみんないなくなれ』って言葉が」
「・・・」
「なあ、なんでだと思う?」
「え?」
「妖怪と、人間が、仲良く暮らすことができないのは、何故なんだろうな」
「それは・・・」
「・・・幻想郷というこの地に生きてる以上、仕方のないことかもしれないけど―」
慧音は目を閉じて、ハンカチで涙を拭う。
「みんな、一緒に仲良く暮らすのが一番、でもそういうのは、やはり難しいんだろうか」
「・・・どうだろう」
僕は答えることができなかった。僕自身、過去に自分の出自で相当悩んできた過去がある。
皆が争いもせず、他人を悪く言うこともなく、平和に暮らすことは不可能ではない―そう思いたいのだが・・・
「・・・妖怪は悪、と一方的に決めつけるのは良くない。いい妖怪だって、人間と仲良くしたい人間だってたくさんいるだろうに」
慧音は寂しそうな顔で僕を見つめる。
「妖怪でも、人間でもある霖之助、お前ならわかるだろう?」
僕は黙って頷いた。
「・・・でもまあ、幻想郷もまだまだ捨てたものじゃないな」
「んん?何がだい」
慧音の表情が穏やかに戻りつつあった。
「・・・その後、やられた妖怪や妖精たちが心配になってね。あいつを里まで引っ張っていった後にもう一度近くまで様子を見に行ったんだ。必要であれば永遠亭に手配しなければならないと思ったからな。そしたら―」
「・・・癒しの神か」
「え?」
慧音の目が丸くなる。
「知ってたのか?」
「ああ。この前本人が来て、話してくれたよ。たくさんの負傷した妖怪や妖精の手当てをしたってね。ここ、幻想郷を訪れて初めての俺の仕事だったって、青白い笑顔で話してくれたよ」
「そうなのか・・・ふふ、まさかここに来ていたなんてな。・・・あの時は驚いたよ、怪我をしたみんなに、一人一人優しい声をかけていた。優しい神様だよ、彼」
「優しい神様か・・・」
外の世界でも、かつて癒しの神様として祀られていた彼は、見事にここで復活を果たしたのだ。
「・・・もっとも、全員の治療を終えた後で、意識不明になったけどね、彼」
「ええっ・・・」
「妹紅にも手伝ってもらって、永遠亭に急いで担ぎ込んだよ。能力を使いすぎて衰弱しきってたそうだ」
「まあ、無理もないだろうな」
僕は先日の神様の顔を思い浮かべた。病み上がりの表情だったんだな。
「それで面白いことにな、担当の玉兎ナースの子に一目惚れしたらしくて」
「ええっ・・・!?」
「永遠亭で働かせて下さい、薬師の心得はすぐに身に着けられます、って永琳に直談判してたよ」
何だか次から次へととんでもない情報がもたらされてる気がする。神様、大出世じゃあないか。
「・・・あれ。でもあそこは、男子禁制じゃなかったかな」
「・・・ああ、今でも規則が変わってなければ、そうなんじゃないか?」
前言撤回。神様の就職活動はこれからもまだ続きそうだ。
幻想郷は全てを受け入れるという。それは邪な心を持つ者であっても、善の心を持つものであっても平等だ。そう、ここには様々な者たちが、魑魅魍魎の如くひしめいている。
他者のことをろくに理解せず、一方的に敵対して憎む者がいる。かと思えば、困っている者は放っておけず、自分の身を犠牲にしてでも救おうとする者がいる。今回の出来事でも、僕は色々と考えさせられた。
霊夢に弟子入り志願したあの子は、果たして自らの行動を悔いる日が来るのだろうかと。彼女には・・・悪気はないのだろう。だが、自分の力を過信し、これからも自分が否と考える者に対しては有無を言わず敵対するのだろうか。そんな彼女の先に待つのは身の破滅・・・いや、絶対にそうはなってほしくはない。というか慧音がそうはさせないはずだ。彼女は帰り際、こんなことを言っていた。
「あいつは神社からの帰り道、ずっと泣いてたよ。霊夢にクソミソに説教されて、それでもなんであんなこと言われなきゃならないのか、自分は悪くないのにって言ってた。私は、最初あいつは最低な奴だと思った。けど、そんな歪んだ心を持ったままにさせるわけにはいかないとも考えるようになったんだ。
あいつの結界術の才能は中途半端でメチャクチャだ。だが、今からでも遅くはない。一から学びなおせば、きっとこれからは頼りになる術を見事に披露してくれるはずだ。
それから、あいつには妖怪や妖精たちと仲良く過ごす人間になってほしい。確かに妖怪には人間を見下したり憎んだり、危害を加えようとする者もいる。でも、人間と仲良く過ごしていきたい妖怪だって星の数ほどいるんだ。あいつは今まで里の外に出たことが無かったからな。
相当時間が掛かるって?まあ、かかるだろうな。でもあいつは、心の底から妖怪を憎んでいるとは思えないんだ。試しに質問してみたよ。『妖怪が嫌いなくせに、なんで天狗の書いた新聞や雑誌をよく読んでいるのか』ってね。そしたら顔真っ赤にしてもじもじしてたからな。
・・・実は、あいつを家に送り届けた後に親御さんから気になる話を聞いたんだ。小さいころに妖怪に驚かされて、散々怖い目に逢ったらしい。あいつも以前色々あったんだろう。これからちょくちょく、あいつと会って話をしていきたいと思ってる。・・・そうでもしないと、やりきれないんだよ」
慧音は一度、「その子」を香霖堂に連れてきたいとも言っていた。・・・やれやれ、話す言葉は慎重に選ばないと、とんでもないことになりそうな気もする。
癒しの神様は、こんな事を言っていた。
「俺は一度、いや、二度死んだも同然だな。人間として一回、神としても一回。でもその度に、不死鳥みてえにしぶとく復活してるからな。今、実にすがすがしい気分だ。ずっと誰からも相手にされず、忘れられてた俺を必要としてくれる連中がここにはいる。そのためだったら身を粉にしてでも動いてやる。
え?何だって?いやいや、休むわけにはいかねえよ。確かに例の騒動でぶっ倒れたが、可愛いウサちゃんたちを見てたら一気に疲れが吹っ飛んじまったよ。・・・あっこで働けなかったのはちと残念だがな。あー、だから顔色が悪いのは前からだっての。そんな心配そうな顔すんなよ、気持ちは嬉しいけどな」
癒しの神様は、しばらく幻想郷中のあちこちを周ると言っていたっけ。そのうち、どこかで開業でもするのだろうか。・・・あ。
「傘・・・」
結局、神様はまた傘を忘れてしまっていた。忘れ物を取りに、もう一度彼がここを訪れる日は近いかもしれない。