快楽の都編08
魔法を、初歩とはいえ覚えたことでベスパーラの稽古はさらに進展した。
フェイオンによる飛燕流のさわりの習得も順調に進んでいた。
その使い方について、ある程度の自信がついたのは闇試合の当日だった。
夕闇がモーレリアントを茜色に染めた。
それは、この街にとっては楽しい夜の始まりを告げる色だ。
浮かれる人々の間を、数人の男たちが歩いていく。
邪魔だ、と声を張り上げる酔客もいたが、連れにオルトロス会だと教えられると、途端に顔色を変えて謝ってくる。
あらゆることが許される快楽の都でも、触れてはいけない場所はあるのだ。
首領、フェイオン、ベスパーラ、そして幾人かの構成員。
彼らは、夕暮れの街を縫うように歩く。
その影は、早めに訪れた夜のようだ。
その目的地は、ゲートタウンとミドルゾーンの境界にある廃屋だ。
もとは、オルトロス会のお屋敷に匹敵したであろう大邸宅は借金の山に絶望した当主が首をくくってから廃屋となっていた。
そこが、今夜の闇試合の会場である。
薄暗い邸内には、すでにワイバーン連盟一行が来ていた。
白い洋装のサラマンドと、椅子に腰かけているものの強い瞳の老人がいた。
あの老人がワイバーン連盟の盟主だろう。
その他にも、四人の構成員が来ている。
そして、闇試合の見届け人としてマンティコア商会の連中もいる。
「あれは、アントリオン商店の連中だな」
とフェイオンが囁く。
なんでも、マンティコア商会の中でも強大な権力を持つ主流派の一つ、なのだとか。
そこまですると言うことは、オルトロス会とワイバーン連盟が手を組むことをマンティコア商会が危惧している、ということか。
同盟が今夜、組まれることまで気付かれているとは思えないが。
「それでは、ダレントラ家の地下資産の運用権を賭けた闇試合を開始します。ワイバーン連盟の代表は、サラマンド。オルトロス会の代表はベスパーラです」
両者は、廃屋の綺麗に片付けられたダンスホールで向かい合った。
先に口を開くのはサラマンドだ。
「お前らの力を測りたいとは思ったが、フェイオンじゃなくお前が出るとはな」
「あてが外れましたか?」
「まあなあ」
「私もまあ、それなりですよ」
ベスパーラは抑えていた闘気を解放した。
闘気を抑える方法は、カリバーンのやりかたを見て学習していた。
感情を抑える方法とよく似ている。
ベスパーラが普段からやっていたことだ。
兄であるスズメビーとは、その才覚において大きな差があったことは子供のころから、いや生まれた瞬間にはわかっていた。
その兄との確執を生まぬために、ベスパーラは感情を抑える術を身に付けたのだ。
闘気を抑えることは、ただ実力を隠すためではない。
溢れでる闘気を抑えることで、気を練り、その質を高める。
高められた気は、その実力を何倍にも高めるのだ。
いや、その本当の力を引き出すというほうが正しいのかもしれない、とベスパーラは感じた。
その放たれた闘気は、サラマンドだけではなくフェイオンやオルトロス会の面々にも驚きを与えた。
フェイオンの顔がひきつっているのが見える。
「いや、これは凄いな。あんたのことを見くびっていたようだ」
サラマンドが口角をつりあげて笑う。
「よく、言われますよ」
「これなら、俺の本気にも相手になりそうだ」
サラマンドも闘気を解放する。
マンティコア商会との闇試合で見せた以上の力強さを感じる。
ベスパーラの今の力量を超えている。
と、感じるほどだ。
お互いの力量を見せあった今、あとは戦うだけ。
ベスパーラは、その足に力を込め駆け出す。
同時にサラマンドも駆ける。
事前に詠唱を完了させ、待機させていた“符”の第二階位“ウォータースリップ”を放つ。
相手の足元で発動し、わずかに行動を遅らせるだけの魔法だ。
中位以上の魔法使いの戦いには、まず使われることのない初歩の魔法である。
魔法を使う相手との戦いの経験も豊富であると見え、サラマンドは足にさらに力を込め踏み出すことで魔法を無視しようとした。
下手に魔法解除をしようとすると、余計な時間を食うことになるとの判断。
全くもって、まともな対応だ。
ベスパーラでもそうするだろう。
だが、“符”の魔法は単独で使っても効果は限られる。
このカテゴリーの魔法は、組み合わせることで効果を劇的に上昇させることができるのだ。
足を止めた相手を広範囲攻撃で凪ぎ払ったり、精霊魔法を多用する相手を空間ごと変化させ弱体化したり。
単なる脳筋では、使いこなせないほどの潜在能力を“符”魔法は秘めているとベスパーラは確信している。
今度もそうだ。
組み合わせる一手をベスパーラは打つ。
「飛燕流蒼流脚」
魔力を脚部に込め、移動速度を増加させる飛燕流の技の一つだ。
相手の足を遅らせ、自分の足を早める。
相乗効果で、サラマンドが反応できないほどの速度が実現。
そこへ。
「飛燕流青滝閃」
飛燕流の単発攻撃、これは腕に魔力を込めたうえで剣にも魔力を流し、一時的に魔力武器と同じ働きにする攻撃だ。
威力は大きく、第七階位の“杖”魔法に相当するほどだ。
ベスパーラが魔法を覚え始めただけというのを勘案すると、とんでもない威力だと言える。
その強力な攻撃を、サラマンドはわざと“ウォータースリップ”に引っ掛かることで足を止め、ベスパーラの読みを外した。
眼前を滝のように落ちる剣を見て、サラマンドは賞賛の笑みを浮かべる。
「正攻法の裏をついて、強攻撃で一撃必殺か?見事な奇襲だ」
「それを避けますか?」
「楽しい戦いは、長いほうがいいからな。こんなもんじゃないんだろ?」
「楽しい仕掛けはまだまだ用意してますよ」
「面白い。どんどん来い」
ベスパーラとサラマンドの戦いは激化していく。
サラマンドの拳がベスパーラを撃てば、ベスパーラは“ウォーターコート”を濃いめに発動し、その拳を絡めとる。
再度、放たれる青滝閃をサラマンドが最小限の動きでかわし、高速かつ高威力の突きを撃つ。
観客は誰も止められない。
そういうルールだからではない。
この二人についていけないからだ。
いや、厳密に言えばフェイオンは可能だ。
しかし、二人同時に来られたら苦戦は避けられないだろう。
「凄まじい才だ。よもや、あれほど飛燕流を使いこなすとは」
「お前、あそこまで育ててどうする気だ?」
フェイオンの呟きに、首領が問いかける。
確かに、オルトロス会の二番手に匹敵する使い手が現れれば手駒が増える。
だが、それが忠犬でなくて一匹狼だったらどうする気だ?
と首領は聞いた。
フェイオンは首を横に振る。
「私は彼に三つの技しか教えていません」
「は?」
「単発攻撃である閃、移動技である脚、全体攻撃である斬、この三つです。それ以外の技や術は、彼のオリジナルでしょう」
「なんと、確かにお前の言う通り凄まじい才だな。あれで狼であったら……」
「今のところ、その危惧は外れでしょう」
「なぜだ?」
首領の問いにフェイオンは笑って答える。
「今はまだ、私のほうが強い」
首領はキョトンとした顔になった。
そして、大笑いする。
「そうか、そうか。お前のほうが強いか。ならばいい」
それならばいいのだ、と首領は安堵する。
フェイオンは、声に出さず続きを思う。
今は、まだ。
だが、このまま強くなれば……。
そして、闇試合の決着がついた。




